勇敢な彼女


あちらこちらからすすり泣きが漏れ聞こえる。
はじめ黒い集団が生み出すかすかな囁き声だったものは、そのうちまるでひとつの意思を持った個体のように形成されていった。
粛々と居並ぶ喪服のように密室を埋めつつ、静かに膨張していく囁き声。
年若い女性の細い声。

「――みょうじさん、あんなに明るい良いひとだったのに……」
「そうよね、ちょっと前までは塞ぎこんでいたみたいだったけど……最近は本当に朗らかで、嬉しそうで――」
「もしかしたら恋人ができたんじゃないかって噂だったよ。本人は否定してたけど」
「そんな……じゃあ、この列席者のなかに、その恋人もいるかもしれないってこと?」
「ありうるわね」
「可哀想に」
「本当に」

彼女の葬儀には遺族や知人、仕事の関係者ばかりではなく、様々な業種の人間が訪れていた。
彼女とは直接面識のなかった者まで。
壁際に飾られた供花(くげ)は大小様々、彼女自身というよりも――彼女の起こした行動によって、参列者は生前の知人たちよりもずっと多くなっていた。
テレビ局のカメラも何台かまぎれ込んでいた。

囁きは波のようにうねり、伝播し、若い女性たちの声というよりも、数多の人間の共通意識のように広がっていった。
人々はそれと自覚しないまま、しかし明白に。

「駅のホームから転落して亡くなったんでしょう?」
「そうよ、線路に落ちそうになったひとを助けようとして、手をつかんでふたり一緒に……」
「あの駅……杯戸町の……、自殺者が多いって有名だったものね」
「みょうじさん、正義感が強かったから……」
「でも、線路に落ちそうなひとを咄嗟につかめる?」
「無理よ……本当にみょうじさん、勇敢だったのね……」

ぶわりと波が高くなる。
共鳴するように啜り泣きはピークに達した。

「そうそう、みょうじさんの勇敢な行動が原因なのか分からないけど……あの駅で自殺するひと、いなくなったらしいわよ」
「ええ? あの自殺の名所だとか、不名誉なこと言われていたあの駅で?」
「そうなの。みょうじさんが亡くなってからは、ぴたりと」
「みょうじさんみたいなひと、もう出したくないものね……」
「みょうじさんのおかげね……本当に素晴らしいひとだったわ」
「本当に」
「残念ね」



「彼女」が線路へ通行人を突き落としていた
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