ベッドの下


喫茶店の仕事終わりという梓ちゃんと一緒に、わたしの自宅へ帰ってきたのは、夜の十時手前あたりだった。
夜も食事ができる、新しく開店したカフェへ敵情視察という名の小さな女子会は、明日もわたしが朝から仕事ということで、至って健全な時間にお開きとなった。

梓ちゃんは何度かわたしの自宅にお泊まりに来たことがある。
このマンションは、元々二部屋あったのをリノベーションでぶち抜きのワンルームに改築したらしい。
一人暮らしのワンルームとはいえ、だだっ広いわたしの城は、駅から程近い好立地とあって友人たちがよく宿泊していた。

シングルベッドやソファ、全身を映すことが出来る大きな鏡、化粧台が並んだ部屋に、梓ちゃんのお泊まりセットがちょこんと置いてある。
お泊まりの回数が増えるごとに彼女の荷物が減っていっているのは、かさばる基礎化粧品類をここへ置いていっているせいだ。

長い茶髪をまとめながら、梓ちゃんが壁時計を見上げて「あら」と声をあげた。

「もうこんな時間かあ……なまえちゃん、お風呂、借りていい?」
「もちろん。タオルの場所、分かるよね?」
「うん、ありがとう……あ、」

入浴支度をしていた梓ちゃんが、ふいに手を止めた。
彼女の布団を準備していたわたしは、「どうしたの?」と首を傾げた。

ぎこちない笑みで彼女がこちらを振り向く。
きょとんとしているわたしに向かって、梓ちゃんは顔の前で、ぱちん! と両手を合わせた。
「お願い!」という可愛らしい声と共に。

「ねえ、なまえちゃん、わたしアイス食べたくなっちゃった。コンビニに買いに行っても良い?」
「えっ、いまから? もう遅いし……いくら細い梓ちゃんでもこんな時間に食べると太っちゃうよ」

冗談めかして笑っても、梓ちゃんは折れてくれない。
入浴の準備もそのまま放って、もう立ち上がっていた。

「大丈夫! 今日もたくさん働いたし! 暑いから、アイス食べたくなっちゃって……。ねえ、なまえちゃんも着いてきて。夜道にひとりは怖いから」
「でも……」
「ね、お願い! 一緒に行こう!」

そう言いつつ梓ちゃんはハンドバッグを持って早々に玄関に向かっていた。
突然どうしたんだろう、と疑問に思う間もない。

「えっ、あ、待って! 梓ちゃん!」

梓ちゃんらしくない強引さに戸惑いながら、彼女ひとりで夜道を歩かせるわけにもいかず、わたしも慌ててスマートフォンと財布だけ持ってその背を追う。
慌てていたせいで危うく部屋に鍵をかけ忘れるところだった。

電気が切れかかって時折ふっと暗くなるエレベーターホールにかつかつとふたり分の靴音が響く。
マンションを出て、ほとんど小走りといっても過言ではないスピードで歩く梓ちゃんに、わたしは不信感を募らせていた。

信号の手前の角を曲がったところで、とうとうストップをかけて立ち止まった。
彼女の腕を引っ張る。

「梓ちゃん! どうしたの? こっちはコンビニなんてないよ」
「なまえちゃん、はやく! 交番に行くの!」
「交番? なんで?」
「……」
「梓ちゃん、どうしたの。なにかあったの? 教えて」
「……鏡に、映ってたの」
「鏡? うちにある、あの大きい全身鏡?」
「そう。……さっき、映ってたの。なまえちゃんのベッドの下に、包丁を持った男が隠れていたのが」
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