「ああ、丁度良かった。なまえ、ドッピオ、買い物お疲れさま」
「プッチさん! いまお帰りですか?」

ドッピオくんと買い物の帰り、二人で歩いていると、偶然プッチさんに会った。
だいたいいつもおつかいに行くのは同じくらいの時間だから、もしかしたら会えるかとプッチさんは考えていたのかも。
お疲れさまですと微笑めば、ただでさえ軽いレジ袋しかドッピオくんに持たせてもらえていなかったというのに、それすらもプッチさんに奪われてしまった。
これでわたしは手ぶらである。

「もう、プッチさんまで甘やかして」

頬を膨らませて上目に見ると、不思議そうに「どうかしたかい?」と首を傾げられた。
肩をすくめて今日あったやりとりを話せば、「確かに、こうして買い物に出る君を見るのは久しぶりだったかもしれないね」と、今そこで初めて気付いたと言わんばかりにまばたきされてしまう。
わたしが気にしすぎなだけかなあと溜め息をつけば、ドッピオくんがそうですよと苦笑した。



小柄な青年と笑い合いながら、今日の夕飯は何にしようかと話す少女をじっと見つめる。
話を向けられれば穏やかかつ的確に言葉を返すため、日頃から特段口数の多くない自分はいぶかしまれることなく、楽しそうにその可憐な唇を動かすなまえをじっくりと注視することが出来た。
特別秀でて美しい容貌という訳でも、とりたてて聖人のように清白で穢れを知らないという訳でもない、ただの少女である。
にも関わらず、これ程に目が離せず、愛しいと思う気持ちがどろりどろりと腹の底で脈打つのはなぜだろうか。
探求心が沸き起こる。
元来、なぜ、どうしてと疑問に思ったことに対して、きっちりと答えを与えられなければ気の済まない性質だと自覚していたが、この少女に対する自分の思い、そしてなぜ彼女がこれほどまでに私を惹き付けてやまないのか知りたいという欲求が、いつからだったか、澱のように沈殿し続けていた。
生まれて初めてはっきりと明確に覚えた欲望は、風化も劣化もすることなく、少しずつ少しずつ砂時計の底に砂が溜まっていくように蓄積され深みを増し続けている。
いっそその愛らしい身体を切り開いてみれば、何か分かるかもしれないとぼんやり考えた。
この白い肌を裂き、ナカに詰められた臓物を全て出してきちんと並べて見比べたら、他の人間と違うところを見付けることが出来るかもしれない。
勿論、頭も。彼女が何を感じて、何を考えているのか知りたい。
その夜色の目を通してどのように世界が見えているのかも知りたいのだから、眼球も丁寧に摘出する必要があるだろう。

「プッチさん? どうしたんですか?」

思考の砂に埋没しきって彼女をじっと見つめ過ぎていたようだ。
どうかしたのかと首を傾げ、無垢な瞳をきらめかせて笑うなまえに、慈悲深く柔和に見えると評価され、自負している微笑を浮かべた。

「くるくる変わる表情が愛らしいと思ってね」
「……はっ!? えっ、な、なに突然言ってるんですか、もう……」

普段そんなこと言わないのに、プッチさんがそんなこと急に言うからびっくりしちゃいました、と、照れたように頬を紅潮させて言うなまえに、目を細めた。
そのやわらかそうな頬を切り開いて暴いたら、その下には何が隠されているのだろうね。




「ただいまー! ――わっ、ディエゴく、ちょっ、ま、待って! ……っ、ステイ!」
「誰が犬だ、お帰り」
「うん、ただいま……って違う! お願いだからちょっと放して、ただでさえ狭いんだから、靴も脱げない……」
「あ、ボクが靴を脱がせましょうか」
「い、いや、大丈夫だよドッピオくん……」

なんでもないように人数過多の玄関で跪こうとしたドッピオくんに丁重にお断りする。あ、あれは、本気の目だった……。

三人で帰宅してドアを開けたら、なぜか玄関にいたディエゴくんにあっという間に抱き寄せられてしまった。
狭すぎる玄関と廊下で、この人数は厳しすぎる。
申し訳ないけれど買ってきたものを冷蔵庫にしまうのをドッピオくんとプッチさんに任せて、ディエゴくんを宥めすかしつつ後ろから引っ付かれたまま部屋に入る。
耳は弱いからやめてっていつも言っているのに。
お構いなしに耳の後ろや首元をすんすんとにおいを嗅がれ、くすぐったさに背筋がぞわぞわした。

「ただいまです」
「お帰り、随分と大きな犬に懐かれたな」
「ディアボロさん、そう思うなら離すの手伝ってくださいよ……」

ガチガチと耳元で歯噛みしながら「だから誰が犬だって言ってるだろ」と言うディエゴくんに、ごめんねと謝る。
後ろからしっかりと抱きすくめられ、更にぐるりと腰に巻かれた尻尾のおかげで歩きにくいことこの上ない。
捕まえるように巻かれた尻尾をぽんぽんと優しく撫でれば、少しだけ拘束が弱まった。



大人しくオレの腕の中に納まってテレビを見ているなまえが、ふあ、と小さくあくびをした。
オレに比べて、ひどく小さくやわらかな手のひらが目尻をこすろうとするのを止める。

「ん、ディエゴくん……?」
「こするな、赤くなるだろ」
「んー……ありがとう。眠くなっちゃって」

最近あんまり外出していなかったから、久しぶりに外に出て疲れちゃったのかも、と、情けなさそうに眉を下げて苦笑するなまえの目元、頬を優しく指先で撫でる。
ならば外に出なければ良いだけだというのに。
外に出るからあんな男を引き寄せてしまうんだと苦々しく歯噛みした。

どこで出会ったんだか、外出した彼女に偶然を装ってよく声をかけていた、名前も知らないつまらない男。
照れたように顔を上気させて嬉しそうになまえと話すあの男を見たとき、どろりと腹のなかで濁った汚泥がのたうったのが分かった。
その憎悪はあいつをバラバラに八つ裂いて、やっと治まった。
醜いただの肉塊へと変わり果てた、元人間とは思えないソレを脚で踏みにじった。
高く響いたぐちゃりという気色の悪い音に、ひどく満たされた気がした。
コレが何人目だったかなんて、どうでも良いことだ。

ぐちゃりぐちゃりと一頻りブーツの底でいたずらに踏みにじって嬲りながら、さてこの醜悪な肉片と大量の血溜まりをどうしようかと逡巡していると、ふいに現れた別の男に嘆息する。

「お早いご到着だな。そんなに暇な仕事なのか?」

大統領って、と、鼻で笑うと、鬱陶しげにハンカチで口元を覆いながら、ヴァレンタインはヤレヤレと溜め息をついた。

「可愛いなまえにちょっかいを出す愚かな男だぞ? 勿論、把握していたさ。お前がソレに近付いたのも見ていた」

どうせあの監視部屋(とオレは呼んでいる)、あの部屋で見ていたんだろう。
窓のない薄暗い部屋中、壁という壁を埋め尽くすようになまえの写真や動画がディスプレイされたあの部屋は、初見の人間は間違いなく吐き気を催し本人の正気を疑うシロモノだろう。
オレまで監視されていたなんて、おお怖いと大げさに首を振れば、大統領は心外だと言わんばかりに「私はただなまえのために見守っていただけだが」と、何でもないように肩をすくめた。

「さて、コレをどこの世界に捨てようか」
「いつもすまないな、感謝する」
「そう思うならば、少しは自重してはいかがかな」
「そりゃあなまえに近付くヤツらに相談しないことには、何とも言えないが」

くっくっと喉の奥で暗く笑いながらスタンドを出した大統領に背を向け、ソレの処理を任せてその場を後にした。

回想をそこで放棄し、凄惨な猟奇現場とは遠くかけ離れたこの部屋で、ゆっくりとまばたきをする。
すん、と、鼻をならせば、その時の咽せ返りそうな血のにおいすら思い出せそうだと思った。

「なあ、なまえ」

オレの腕の中でうつらうつらしているなまえの目尻に小さくキスを落とす。
なぁに、と、舌足らずに紡いだ唇は、愛らしい桃色に潤んでいる。
それにもかすめるだけの口付けを落として、眠たいなら寝てろ、と、囁いた。
塵は塵に、不要なモノは抹消されてしかるべきだろう。




「お帰りなさい、吉良さん!」
「ただいま、良い子にしていたかい?」

もう、子供じゃないんですからと苦笑しながら、帰宅した吉良さんの荷物を預かる。
ちなみに夕食のお手伝いは一応申し出たものの案の定ドッピオくんにフラれてしまった。
多分、吉良さんにそれを訴えても、手が荒れるからやめなさいと逆に窘められるだろう未来が見えるので、もはや諦めの境地である。
というより慣れたというか……。
もういっそのこと順応した方が早いような、いやいや流されちゃいけないよなあ。
両手を掬い取られ、いつものようにうっとりと頬ずりしている吉良さんに良いようにされながら、どうしたものかとふうっと息をついた。



可憐な笑みを浮かべて迎えてくれたなまえの愛らしさに目を細める。
その日何があったかを逐一報告するよう言い聞かせていたのに従い、楽しそうに話しているなまえににこやかに相槌を打つ。

いつだったか思い出せない程に、遠い過去のこと。
私の知らないところで彼女が微笑んでいると思うと、はらわたが煮えくり返りそうな程に怨嗟を覚えたのがきっかけだったか。
ディアボロたちのようにいつも君と一緒に居られる訳ではないからね、仕方のないこととはいえ少々寂しいかなと目を伏せながら囁けば、無垢な彼女はその表情を痛ましげに歪めて、わたしに何が出来ますかとその手で私の頬を包み込んだ。
自分が育てた美しい手が、私を優しく愛撫するような行為にうっとりと目を細め、ではその日何があったか教えてくれないかなと言った。
そんなことで良いのかときょとんと目をしばたかせるなまえの手を、ゆっくりと撫でた。

「何があったか、誰と会ったか、何をしたか、君の口から聞きたいと思うのは迷惑かな」
「い、いえ! 全然そんなことないです、わたしも吉良さんとお話し出来て嬉しいですし……。でも、確か口うるさい女性はお嫌いじゃありませんでしたっけ?」

不思議そうに首を傾げながら問うなまえの手指に軽く口付けながら、「どうしてだろうね、君の話なら聞きたいと思うし、話している君を見るのは好ましいと思うよ」と微笑めば、くすぐったそうにうっすらと頬を赤く染めて、従順に頷いた。

あれからどれだけ時が経ったか。
毎日毎日、報告を繰り返すうち、なまえは私が機嫌を損ねないように話題や言葉を、無意識に選ぶようになった。
しかしそれでいて嘘を言うことは申し訳ないといじらしい罪悪感が働くのか、発言ではなく、少しずつ私の意に沿わない行動そのものを制限しはじめていることに、この少女は気付いていないのだろうか。
本当に、なんて――愚かで愛らしい。

「もう! 吉良さん、ちゃんと聞いていますか」
「ああ、すまない。しかしなまえ、感心しないな。またジョースターのところへ行ったのかい?」
「う……ごめんなさい」
「ああなまえ、誤解しないでほしいんだが、私は君のためを思って言っているということを、きちんと理解しているね?」
「は、はいっ、それは分かっています。ありがとうございます、吉良さん」

申し訳なさそうに目線を落としたなまえの髪を梳く。
呪いのように「君のためだからね」と耳に吹き込めば、頼りなげにゆらゆらとなまえの瞳が暗く揺れた。



(2014.11.15)
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