カシャン、と耳障りな音が、密閉された「オメガ部屋」に反響して消えた。
分厚いドアの開閉音にしてはいやに軽く、しかしいまこの場においてはなによりも重たく苦しい音。
みょうじなまえはびくりと身を跳ねさせた。

全てのはじまり、旧第一六資料室、通称「オメガ部屋」。
なまえにとってこの狭苦しい密室は忌まわしい記憶そのものだった。
人通りの少ない奥まった場所とはいえ、このフロアそのものに近付くことすら避けていたほど。

自分が自分ではなくなってしまう感覚というのは、それが快楽であれども、恐怖だ。
なにより、降谷零という、清廉、高潔なアルファの人生を自分の都合でねじ曲げ狂わせてしまった悔恨、罪悪感で、窒息してしまいそうだった。
この部屋はなまえにあのときのことを否応なしに思い出させる。

「や、やめてください、降谷さんっ」

ヒート以外の時期に、降谷と触れ合うことなどほとんどなかった。
業務外で顔を合わせる必要などないと互いに理解していたし、発情期が来ればふたりでどちらかの自宅にこもり、一週間、気も狂わんばかりの爛れた時間を過ごすだけ。
ただそれだけの関係だった。

「降谷さ、――ッ!」

なまえの懇願に反応することなく、降谷は備え付けの簡易ベッドへなまえを突き飛ばした。
オメガの鈍った思考と体では受け身を取ることも難しい。
なまえは無様にその埃っぽいシーツへどさりと倒れ俯せる。
降谷らしくない乱雑なその行為に抗う隙もなく、すぐに背へ大きな体が覆いかぶさってきた。
ぎしり、と安っぽい音を立ててベッドが軋む。

「っ、……やだ、ふ、降谷さん、」

惨めったらしく声がふるえた。

来葉峠という舞台上に、赤井秀一本人が登壇するなど全く想定していなかった。
挙げ句、誰が想像しえただろうか、まさか――この世にたったひとり、あるいは存在すらしないとされる「魂の番(つがい)」とやらが、偶然その場に居合わせるなど。
最早、悲劇というより喜劇に近い。
それも心底、悪趣味な。

降谷――自分たちの従うアルファの、スマートフォンから響く怒号に、あの場にいた公安捜査員のひとりがなまえを確保していなかったならば?
「運命」に出会ったオメガの女は、そのままふらふらと男の元へ「自分の意思で」着いて行っていたに違いない。
アルファの発する、場を制圧、支配するフェロモンからみょうじなまえが辛くも逃れられたのは、ただただひとえにその公安捜査官が優秀なアルファだったからに他ならない。
降谷は、ぎり、と奥歯を噛み締めた。

「はっ、笑わせるなよ。やめろ? ふざけるな、お前がそれを言うのか」
「っ……!」

ざあっと血の気が引く思いがした。
なまえが恐る恐る後ろを見上げれば、目にすればいつも空を連想していたはずの青い瞳が、たわんで鈍く光っていた。
そのさまは、まるで炎。
豊富な酸素によって完全燃焼した青い炎は非常に高温である。
アルファの冷徹な瞳は、這うようにぎらぎらとまたたいていた。
口の端を歪めて笑みの形をつくった上司が吐き捨てるように呟いた。

「俺も言ったな、お前に。あのとき。……それとも、」

ぐ、と背後から体重をかけられる。
広背筋の辺りを押さえ付けられ、圧迫された肺が呼吸を求める。
息が詰まる。

「魂の番(つがい)とやらに会えたいまは、他のアルファは用済みってことか」
「ぐ、うっ……ち、違っ」

――なまえの身体の奥底から、違う、違う、と声がする。
求めているのは「これ」ではない。
この世に唯一の、わたしの「運命」はこのアルファではないと。

なまえは強制的に吐き出された酸素を欲し、苦しげに、は、は、と口を開閉させた。
唇の端から唾液がしたたる。
意識が混濁する。
この世で無二の「運命」と遭遇し、直後、こうして番(つがい)のアルファに触れられ、ただでさえ混乱していた脳と身体、理性と本能が気も狂わんばかりに掻き混ぜられる。

「言え、みょうじ、お前の番(つがい)は誰だ?」
「う、あっ……ッ、ふ、ふるやさん、ふるやさんですっ……! ぅ、わ、わたしの、番(つがい)は、ぐっ」

触れれば破裂するような冷淡なアルファの声音。
容赦なく上位種の怒気に中(あ)てられ、オメガの女が身をすくませている間にも、背後から上着やシャツをはぎ取られていった。
気付けば、身に纏っているのはスーツのスカートと下着のみ。
加えて、薄手のパンティストッキング。
しかし脱がせる手間も面倒なのか、それも呆気なく降谷の手によって破かれた。
ビッ、とナイロンの裂ける高い音が響き、ランガード部や太腿の部分に穴が開く。
まだらに穴の開いたストッキングは見るも無残で、なまえの肌との境目は傷痕のようだった。

シーツへ俯せに押さえ付けられ、下腹部に熱い昂りを擦り当てられる。
硬く勃起した雄の肉塊の感触に、なまえの血の気が引いた。
「嫌」も「やめて」も言う資格などないと知っているのに、――では口からなにを吐けというのか。
しかし絶望を覚える理性とは裏腹に、「番(つがい)」の気配を感じた肉体は勝手に受け入れる準備を始めていた。

破り裂かれたストッキングのクロッチ部分、その合間から下着をズラされ、無理やり肉竿を擦り付けられる。
肥大したアルファの亀頭球が、女の肉の割れ目に触れた、瞬間。
くちゅり、と密やかな水音が鳴った。
――なまえは絶望した。
こんな状況で、なまえは、なまえの肉体は、番(つがい)を欲しているのだ。

理性と、本能と、思考と、欲求と、互いの立場、職務、責任、――それら全てがごちゃごちゃになって体内で渦巻き、気が触れてしまいそうだった。
許容量を超えた感情と感覚がなまえの身を内から焼き、ぼろぼろと涙ばかりがこぼれる。

「はは、お前も待ちきれなかったか? それとも、運命とやらに中(あ)てられて、ずっとこうして濡らして欲しがってたのか」

不愉快極まりないと言わんばかりの口振りで降谷が吐き捨てる。
なまえが否定も口答えもする暇もなく、ぐ、と腰を持ち上げられた。

「っ、ふ、ふるやさ、……あ、ああぁっ!」

まともな前戯も慣らされもせず、ずぷぷっ、と雄の肉棒が挿入された。
猛々しくいきりたったものに肉襞を掻き分けられ、なまえの鼻先でちかっちかっと火花が散る。
しかし貪欲なオメガの身体は、歓喜してソレを迎え入れた。

「あ、あああぁあっ! やっ、やらぁっ!」
「っ、ん、おい、いつもより緩くないか? みょうじ、ほら、しっかり締めろ」
「ひぃっ」

後背位の姿勢で、ぴしゃりと尻を叩かれる。
ふいの刺激に、思わずびくっと体が強張った。
ナカも締め付けてしまったのだろう、満足するように降谷は笑みまじりの吐息を荒くこぼした。
その感触が面白かったのか、抽送の合間、なまえが油断した瞬間に、ばちん! と尻を叩かれる。

「っ、あ、あ、ああ……!」
「お前はこの関係を望んでなかっただろう? ……俺もだよ。俺もはじめは、いつだって番(つがい)を解消してやろうと思っていたんだが、」

なまえは、ずくりと胸奥を突かれるような心持ちがした。
降谷がそう考えているのは当然だった。
予定外のヒートに襲われたなまえが、降谷をここへ、「オメガ部屋」へ呼びつけた。
そしてオメガのフェロモンによって、堅牢な理性と崇高な職責を負う上司を、ただのアルファとして快楽へ引きずり込んだ。
――なまえが傷付く資格など、ありはしない。

「は、あッ、お前の魂の番(つがい)とやらが、赤井だと知ったいま、……俺がお前を解放すると思うか?」

歪んだ微笑をうっすらと浮かべ、降谷が吐き捨てた。

暴力的に腰を打ちつけられ、ばつばつと肉のぶつかる音が高く鳴る。
オメガ部屋の簡易ベッドが立てる、ぎしぎしと安っぽい音が耳障りだった。

降谷が、すん、と鼻を効かせれば、世界でただひとりだけ、自分にのみ作用する――はずだった、甘ったるいほどのオメガの芳香が立ちのぼる。
番(つがい)のフェロモンは男の脳髄をぐずぐずに痺れさせた。

いま犯しているこの女を、手放したくないのか、突き放したいのか、惜しいのか、憎いのか、愛したいのか、殺したいのかすらも――降谷はよく分からなかった。

しかしごちゃごちゃと乱れる理性や思考を手放せば、欲求はごくごくシンプルなものだけが男のなかに残った。
孕ませたい。
支配したい。
このオメガを、自分のものにしておきたい。
みすみす自分の番(つがい)を、他人になど渡してやるものか。

シーツへ頭を擦り付けながらいやいやと首を振るオメガに、また、ばちん! と抽送に合わせ揺れる尻を叩く。
アルファの屹立を咥え込んだオメガの胎内は、その痛みにすら悦んで脈打った。
さっさと快楽に溺れてしまえと、グロテスクなほど勃起した怒張で、膣奥を、一、二度突けば、ひ弱な抵抗もあっけなく収まる。
淫猥に絡みついてくる媚粘膜を擦り上げつつ、殴打を繰り返せば更に締め付けは強くなった。
いつしかなまえの丸い尻は熱を持って腫れていた。

――通常、ヒート状態のアルファは支配欲や暴力性が増す。
初めて関係を持ったあのときにも感じた、己れのなかにこれほど暴力的な衝動が眠っていたのかという驚きと失望感が、再び降谷を襲う。

しかし、――だからなんだというのだろう?
コレは、「みょうじなまえ」は、自分のものだ。
自分のためだけに存在するオメガだ。
番(つがい)である、降谷零の、所有物。
それは明確な事実だった。

「……なあ、みょうじ。孕ませてやろうか」

避妊薬を摂取できないよう、降谷のセーフハウスにみょうじなまえを軟禁することなど容易い。
――発情期のアルファの種付けによる、オメガの着床率は「一〇〇%」。

口の端だけ上げた表情で、憎々しげに投げつけられた問いかけに、なまえは涙をまた一筋流した。
職を辞する覚悟を決めたあのとき、なまえを、警察官を志した少女を救ってくれたひとに、こんなことを言わせてしまった。
――このひとがこんな顔をしているのは、わたしのせいだ。
正しく理解したなまえは、己れの存在のおぞましさ、疎ましさに、いっそ死んでしまいたいと、あのときと同じことを思った。

しかしなまえ自身の気持ちを裏切って、オメガの肉体は「孕ませてやる」という言葉に歓喜し、きゅうきゅうと胎内を蠕動させて精液をねだっていた。
求めれば与えられるとばかりに、遠慮も配慮もなく、一番奥深く、子宮口を抉るように突かれる。
好き勝手に身体のナカを蹂躙されても、うねる膣孔は雄杭が抜け出ていけば絡みつくように追い縋り、突かれればもっと奥にとしゃぶり上げた。

「はあっ、は、……なあ、みょうじ?」
「あ、あ、ああんッ、ひぅ……う、ふあぁっ……! ……ッ、ふ、ふるやさんが……はあっ、ぁ、お望み、でしたら……」

揺れる嬌声まじりに、なまえがふるえる声で答える。
舌打ちをひとつした降谷は、「ああ、そうか」とだけ投げやりに呟いた。

なまえは静かに目を伏せた。
ああ、本当に。
なんて浅ましい。

冬枯る
(2018.06.25)

すれちがって、こじれて、どろどろ。(五話ぶり二回目)


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