なまえ?
……ふ、寝たのか。
それほど無理させたつもりはなかったんだがな……すまない。
お前を前にすると余裕がなくなってしまうと、甘ったれた言い訳をしても許してくれるかな。
だが体力のないお前にも非があると思わないか? なまえ。

……少し痩せたか?
単純に痩せたというより……元々ついている筋肉が落ちたのか。
無理もないな、ずっと外出してないだろう?
ずっと室内にいるのはそう苦じゃないと前に言ってたが、さすがにこうこもりっきりだと気も滅入る。
不自由はないだろう……しかし気詰まりな思いをさせていると、理解はしてるんだ。

なあ、なまえ、俺は外に出るなとは言ってない。
金も渡しているのに、使った形跡はない。
……なまえ。
それでもこの部屋から出ないのは……俺がそう望んでいるとお前は知っているからか。

……はは、まさか自覚があったのかと驚くかな。
ずっと気付いてなかったさ、俺自身戸惑ってるくらいだ。
なにがきっかけだったか、もう随分と昔のことのようにも感じるな……そう日は経ってないことに驚くが。
この部屋のドアを開けて、変わらずいつだってお前がいることに安堵していたのは事実だ。
俺がここへ戻って来るのはいつも突発的かつ不規則な時間帯だったにも関わらず。
そのことに、お前は気付いていたんだろう?
だから外へ出なかった。
新しい環境に慣れないから、それほど外出が好きじゃあないから、ずっと仕事が忙しい日が続いていたから……そんな理由を付けてな。
俺のために。
それを愚かにも俺は喜んでいたのさ……自覚もしないまま。
まさか、これほど情けない男だとは我ながら思ってなかったな。
なまえ、お前は俺のことを狭量な男だと思うかな。

ああ、それともうひとつ、懺悔ついでに告白しようか。
寝ているお前にこんなことを吐くのは卑怯かもしれんが。

……なまえ、覚えているか?
俺とお前がこちらの世界へ来たとき。
この部屋で目が覚めた際のことを覚えてるか。
俺はな、なまえ、あのときひとつ嘘をついた。
――「謝らなければ」と言っただろう?
俺と一緒にこちらへ連れてきてしまってすまないと。
あのとき、お前を家族や住み慣れた世界から引き離してしまったと、それを申し訳なく思っていると、そう解釈していただろう、……だがな、違うんだ。
なまえ。
あのとき、俺は……確かに歓喜していた。

……ふ、本当に、愚かな男だ。
なまえが頼らざるをえないのも、なまえのことを知っているのも、なまえが知っているのも、この世界には俺ひとりしかいないんだという事実が、どうしようもなく……幸福なことのように感じてしまった。
初めて俺がお前のところへやって来たときには心底なまえのことを警戒していたってのに……お前が同じ状況に陥ると、喜んでいたんだ。

――勿論そのときは自覚してなかったさ。
思いの外俺は、自分の感情に無頓着らしくてな。
だけど、そうだな……いつだったか、お前の名前を呼んだとき、……唐突に気付いたんだ。
俺が名前を呼ぶと、お前はいつだって幸せそうに目を潤ませ、頬を染めるだろう?
その表情が、俺は愛しいと、守ってやりたいと思っていたんだが、……お前の黒い瞳に映っていた自分の顔を見てぎょっとしたよ、……酷い顔をしていた。
お前が外に出られず、名ばかりの自由のなかで苦しんでいる現状に、俺は……満たされた顔をしていた。
ぞっとしたさ、自分がこんなふうに他人を縛ることを、存外喜ぶような性質があったらしいと、そこで初めて気付いてな。
もしかしたらいまも俺はあんな顔をしているのか。
お前が寝ているおかげで、目を見て確認せずに済むことに……安堵してるなんぞ言えやしない。

なあ、なまえ……お前は俺のこの醜い感情に気付いているのか?
もしそうなら、……どうか愚かしい男だと笑ってくれ。
自覚したとしても、お前を離してやるつもりは毛頭ないんだ。
……本当に、どうしようもない男だろう?

ああ、そうだった……なぜお前をここへ縛り付けておきたかったか、その理由か。
それはすぐに見付けた。
いくら自己分析の足りない鈍い俺でもな。
なまえ、知ってるか――人間は簡単に死ぬ。
それも驚くほど簡単に、速やかに。
本当に呆気ないんだ、照準を合わせて、引き金を引いて、……それだけだ。
残るのは腕と肩が少々痺れるくらいの反動と、すぐ冷たくなる薬莢くらいだ。
銃が一丁あれば、まばたきの間に俺が何人殺せると思う?
スコープのなかで弾ける頭は、ありきたりな映画のワンカットみたいなものさ、距離があればあるほど臭いも温度もよく分からない。
銃口を人間へ向けるのも、向けられるのも、もう何度繰り返したか覚えてないんだ。
敵に追い詰められここまでかと覚悟したこともあったが……そのとき死んでいればお前に会うこともなかったのかと思えば、生き残って良かったと心底感じている。
……俺がまさかこれほど叙情的なことを考える日が来るなんぞ、思いもよらなかったが。

なまえ、そんな過去のなかいままで俺が生き残ってきたのは、……そいつらよりも俺の方がずっと、ある一点において秀でていたからだ。
……人間を殺すこと。
そのただ一点。
殺されるより先に殺した。
それが他の奴らよりずっと上手かったというだけのことさ。
あるいは、まだお前の番じゃあないと神にでも嫌われていたかな……いや、この場合は地獄か。
……こんなこと、お前が起きている間には言えやしないが。

もう大切なものを失いたくない、いいや、なにかを大切だと思いたくもなかった。
失ったときの喪失感に、もう耐えられそうになかったから。
そう思っていたが……お前が俺に笑いかけると、これが幸福なんだろうかと柄にもなく考えているんだ。

なあ、なまえ。
人間は簡単に死ぬ。
だが、――お前は、俺を残して死なないだろう?

……ふ、おしゃべりが過ぎたかな、それも随分と抽象的な。
どうやら少しセンチメンタルになってるらしい。
そろそろシャワーでも浴びて準備するか。
また遅れようものなら口うるさい奴がいるもんでね。
出来たらお前と一緒が良かったんだが……おっと、なまえ、急に抱き着いてくれるなよ。
危ないだろう、煙草が……はは、離れたくないのか?
俺もだよ。
なまえ……まったく、本当に眠っているのか?
無意識だとしたら本当にお前は……ああ、そんなに愛らしい顔で擦り寄るんじゃあない。
懐かしいな、お前と初めて顔を合わせた当初は、随分と冷静な女だと思っていたもんだが……こんなあどけない顔をして眠るなんて知らなかった。
いまのお前とあの頃のお前はまるで別人のようだが、……なまえ、どちらもそれがお前なら愛しいと思うよ。

なまえ、なまえ、なまえ……ほら、目を開けてくれ。

「んん……ぁ、赤井さん……?」
「おはよう、なまえ」
- ナノ -