目の前に広がる惨状に、ディエゴは溜め息を深々と吐いた。
どうしてこうなった、と。

事の発端は、吉良の上司が人事異動で交代し、送別会という名の強制の飲み会に出席したことからはじまった。
彼は余興で行われたゲームで、ある有名な日本酒一升瓶を当ててしまったのだ。
それ自体は大変喜ばしいことだった、景品の三等という順位も、吉良を満足させた。
ただこれを持ち帰った場合、同居人たちが酒盛りをおっ始めることは想像に難くないという点だけが頭痛の種だった。
そして残念ながら彼の予想は、寸分たがわず実現してしまったのだった。

・・・


「あ、吉良さん、お注ぎしますよ」
「ああ、ありがとう」

持ち帰った日本酒を見て、案の定ビールを持ってこいだの、いやワインだなどと騒ぎ立てた同居人たちに押し切られ、予想通り夕食というより酒盛りが始まってしまった。
吉良は心の底から、明日が休日で良かった……と思いながら、なまえの注いだビールを飲んだ。
ちなみに彼の持ち帰った高級な日本酒はあっという間になくなり、ただの空き瓶と化して床に転がっている。

「そういえば君がここに来てから酒を飲むのは初めてだったね、飲めるのかい?」
「うーん、そうですねえ、可もなく不可もなくってところだと思います。特に強くはないけど、楽しむ程度には普通にいただきますよ」

それが一番良いねと、彼女が作ってくれたつまみを口に運びながら言う。
なまえの小さな手のなかで、グラスの氷がからんと音を立てた。
家になかった他の酒類を一緒に買いに行く際、どうせなら好きのものを飲みなさいと自由に買わせたが、アルコール度数の低いカクテルを選んだらしい。
一人くらいはまともな人間がいて良かったと心底思いながら、どんちゃん騒ぎする他の住人から現実逃避をするように目をそらした。
今はただ、近隣住人から苦情が来ないことを祈るばかりである。

同居人たちの騒ぎを楽しそうににこにこと笑いながら見るなまえは、ほんのりと顔を赤くしてはいるものの、言葉通りそれほど弱くはないのだろう。
折角なのでと日本酒やワインにも口をつけていたが、受け答えもしっかりしている。

「なまえ、大丈夫か?」
「うん、大丈夫だよ、ディエゴくん」

右隣に座っていたディエゴは、顔色を伺うように頬を撫でた。
なまえはその優しい手付きに、そんなに心配しなくても具合が悪くなるような飲み方しないよ、心配性だなあと言いながらくすぐったそうに微笑む。
みんなでお酒飲むの楽しいねえとふわふわ笑うなまえは、そのままぽすんと彼に軽くもたれかかった。

「……酔ってるのか?」
「うーん、ちょっと酔いはまわってるかなあ」

とはいえ気分が悪いということもないようなので、彼女の左隣で酒を傾ける吉良も、もたれかかられているディエゴも別段気にすることはなかった。
それよりも、目の前で繰り広げられる人外共のバトルアクションだったり、ワインを飲みながらべそべそと部下に愚痴を吐く元ギャングのボスだったりをどう処理してやろうかという方向に、苦労人二人は頭を悩ませていた。
てっとり早く全員、吉良に爆破してもらおうかと少々酔いのまわった思考でディエゴが考えていると、すっ、となまえの手が彼の腕に絡んだ。

「……なまえ?」
「んー? なあに」
「いや、」

動揺を悟られぬよう、そっけなく別にと呟くが、なまえの小さな手は、彼の逞しくもしなやかな腕をそろりそろりと撫で続けている。
黙って注視したままやりたいようにさせていると、その手はする、と、ディエゴの白く大きな手へと至った。
まるで愛撫するかのように、ゆっくり、ゆっくりと手の甲を人差し指でなぞる。
こちらが焦れったくなってしまう程のゆるやかさで、指と指同士をからませた。
それはまるで若い恋人たちが、熱い夜を過ごした翌朝、ベッドで甘ったるい会話を交わしながらの戯れのような手付きで。

行為を思わせるあまりにも甘美すぎるそれに、カッと顔に熱が集まり目を見開く。
無下に振りほどくことも出来ず、この少女とたった指一本に翻弄されてしまっているらしくもない自分をもてあまし、ガチガチと奥歯を噛み鳴らした。
凝視してしまっていた手元から無理やり目を背けて、酒をあおると、

「……吉良」
「なんだ」
「こっちを見るな、目が気持ち悪い」

どうやら彼女の挙動に目を凝らしていたのは自分だけではなかったらしい。
じっと動かず彼女を(正しくは彼女の手を、だが)見つめていた吉良をじっとりと睨む。

「君のことは見ていないから、気にしないでくれ」
「そうは言ってもな。鏡見てみろよ、なんだその浮気現場を押さえてしまった夫みたいな顔」
「酷い言い草だな。私が育てた美しい手が、他の男の手を這うサマを見るのは非常に腹立たしいが、なかなかに倒錯的にそそられるものだなと思ってね」
「……」

ああ、こいつも酔っているなと溜め息を深々と吐いた。
なんだこいつは寝取られ属性でもあったのか。
度を越えた手フェチというだけでも文字通り「手におえない」というのに、更に属性を増やすなと、ディエゴはなんとなく痛む頭を押さえた。

「ディエゴくん? どうしたの?」

からませた手指はそのままに、心配そうに下から覗き込まれる。
ほんのりと紅潮した目元は無垢な愛らしさだというのに、見上げる瞳は色を含んだように甘く潤んでいる。
他に誰もいなかったら間違いなく、煽ったお前が悪いんだと囁いて濡れた唇を貪ってやるのにと歯噛みしながら、「なんでもない」と返した。

「それより酒やめて、水を飲め」
「えええ……もうちょっと飲ませてよう」
「駄目だ。酔った面倒くさいヤツをこれ以上増やしたくない」
「……ディエゴくんのけち」

む、と唇をとがらせて、絡めていた指をぱっとほどくなまえに、へそを曲げたいのはこちらの方だと小さく歎息した。
なまえは頬を膨らませて小さく文句を呟いているものの、言われたとおりに水に手を伸ばしている。
それを確認し、なまえ自身のためにも他の住人のためにもそのまま大人しくしていてくれとディエゴが思っていると、左腕に感じていた熱がふいになくなった。

「あ? ……なにやってんだ大統領」
「いやなに、折角の酒の席で飲めないのも可哀想だと思ってね」

彼の右にいたヴァレンタインは、抱き上げたなまえを自分の脚の間に座らせた。
どうやらスタンドで彼女を抱きかかえ、自分の所に移動させたらしい。
突然の浮遊感に目を白黒させていたなまえも、自分を囲う腕と与えられた酒に「わーい、ありがとうございますファニーさん」とのんきににこにこしている。

「甘やかす大人が一人くらいいたって良いだろう?」
「ここはこいつに甘いヤツばっかりだろ……」

ディエゴのげんなりとした呟きを聞いて、ヴァレンタインは確かにそれもそうだと苦笑を滲ませた。
抱きかかえられているなまえはといえば、目の前にあったブランデーに口をつけ、盛大に顔を顰めた。

「んぅぇ……わたしこれだめです、ごめんなさい……」
「大丈夫か? これは強いやつだからな、さっきまで飲んでいたものを、――っ、」

ふいに淡い桃色の唇が、悪戯っぽく弧を描いた。
先程までなまえが飲んでいたグラスを取ってやろうとヴァレンタインの伸ばした手は、彼女自身の腕によって阻まれ、空を切る。
バランスを取ろうと無意識に前に出した手も、彼女の細い腕に絡めとられた。
突然の行動に驚いてヴァレンタインが目を見開けば、うっとりと楽しそうに、それでいて少しだけ淫猥さを含んだなまえの愛らしい笑顔が目の前にあった。

「っ、なまえ、」
「うふふ、ファニー、さん、」

やわらかそうな唇を小さく開けて、愛おしげにゆっくりと名前を呼ぶなまえはひどく愉しげで、図らずも情けないことに背筋が震えた。
首を伸ばせば唇が重なりそうな至近距離に、甘く微笑むなまえの顔。
雄を掻き立て煽るには充分すぎる威力を持つ笑み。
膝立ちでヴァレンタインに顔を寄せ、あとほんの少しで唇が触れ合いそうになった瞬間、


「……ぐう」
「……こっ、こいつ、寝てる……!」

横で目を離せずにいたディエゴは、がっくりと肩を落とした。
ヴァレンタインの首元に顔をうずめたなまえは、のんきにすうすうと眠っている。
顔にも口調にも出なかったのでそうとは分からなかったが、随分と酔いが回っていたらしい。
人騒がせな……と、知らず知らずのうちに緊張していた体の力を抜いて、ぐったりと溜め息を吐く。

抱き着かれたヴァレンタインは「愛らしい顔が見れた」と、めったに見られないほど上機嫌に声を上げて笑いながらなまえを抱き締めた。
いつもよりずっと高い体温が気持ち良く、やわらかな体は無防備に彼に預けられている。

「ハッハッハ、なまえが自分でこうして来たのは見ていただろう? スタンドを消せ、殺気を向けるな」

勝ち誇った笑みで、目の前で殺気立って戦闘態勢に入っている面々に言い放つ。
いつの間にやらどんちゃん騒ぎをやめてなまえを凝視していたらしい他の住人たちは、忌々しげにギリィッ……と歯噛みした。

「おい、なまえを離せ」
「カーズ、聞こえなかったか? なまえが自分でこうしたんだ」

悠然と笑いつつ、「なまえが、自分で」と強調して告げる。
すやすやと眠るなまえを抱え直し、目の前で輝彩滑刀を構える究極生命体や、ハイスペックなスタンドを従えたそうそうたる元ラスボスたちに、肩をすくめた。
全く引く気のない面々を見やり、好戦的な笑みを浮かべて、自らも背後にスタンドを現出させる。

「何度も言わせるんじゃあない、私のD4Cに痛い目を見せられたいか?」
「ハッ、望むところだ」

そして冒頭に戻る。
狭い部屋には、酔っているせいでいつもより数段テンションの高い叫び声と破壊音が響き渡っている。
いつものならそれを諌める側にいる吉良も、余程酔いが回っているのか日頃のストレスが爆発してしまったのか、騒動に参戦して大層ハジケていた。
危ないからと端に避難させられたなまえは、何やらむにゃむにゃ言いながらぐーすか夢のなか。

飲み始めた頃の喧騒なんて比ではない騒々しさに、ディエゴは何度目か分からない溜め息を吐いて、思った。
どうしてこうなった、と。

「はあー……」
「……んん、どうしたの、ディエゴくん……?」
「あー、お前が起きたらもっと面倒なことになるから寝てろ、頼むから」
「んー? ……んー、じゃあ、一緒に寝よ?」

ね? と、こてんと首を傾けて微笑むなまえに、反対できるはずもなかった。
恐ろしいバトルを繰り広げている同居人たちに、せいぜいそのまま騒ぎ続けて気付いてくれるなよと思いながら、ディエゴは彼女の熱い体を抱き締めて目を閉じた。

勿論その後気付いた住人たちに叩き起こされることになるのだが。

花の下の酔いに忘れ
(白居易「花下忘歸因美景」より)

(2014.10.02)
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