「ね、このあと時間ある?」

一緒に行こうと約束していたカフェへこれから行かないかと、偶然久しぶりに会えた幼馴染を誘う。
このところ上手くタイミングが合わず、会うことすらままならなかった彼女。
やっと顔を合わせることが出来たことが嬉しくて、沸き立ちながらそう誘いかけたものの、彼女は申し訳なさそうに眉を下げた。

「あー……なまえ、ごめん。また今度でも良い? このあとちょっと用事あって、」

歯切れ悪くそう言う幼馴染から、心苦しそうに謝罪されてしまえば、それ以上責めることは出来ない。
そっか、と肩を落とした。

「残念だけど、仕方ないかあ……」
「本当にごめん! あっ、そうだ、あの子は? 確か予定が空いてるって聞いたけど」

風船が萎むように目に見えて残念がるわたしを元気付けるように、別の友人の名前を挙げられた。
声をかけてみれば釣れるかもよと促され、その子にもメールを送ったものの、こちらもお断りを受けてしまった。
出来たら一緒に行きたかったのだけれど、外せない用事があると言われてしまっては仕方がない。
口の中で小さく呟いた。
残念だなあ。

そうしてなんとはなしに、受信したメールの一覧を見て、……あれ? と首を傾げた。
連絡したもののフラれてしまった、いま受信したメール。
その下に表示された、1つ前に送られてきたものの、日付。
受信したのはなんと1週間も前のことだった。
整然と並ぶ受信ボックス一覧の日付を見ていると、元々そんなにメールや電話のやりとりを頻繁にする方ではないとはいえ、それでも目に見えて以前に比べ、数が極端に減っていることになぜかそこで初めて気が付いた。

恋人からのメールは別のフォルダに振り分けられるようになっているせいで、それ以外のメールが甚だしく少なくなっていることを気にかけることもなかった。
送られてきたものも、見返してみれば、なんだかそっけないというか……距離を取ろうとしているのがあからさまな余所余所しい文面のものばかり。
わたしから連絡をしたものに対しての返事が、全くないというものも少なくなかった。

思い返してみれば、こうして声をかけてくれるのも、最近はわたしの恋人と、いま目の前にいる幼馴染の彼女くらいしかいないことに今更ながらに思い至る。
何か周囲に避けられるようなことをしでかしてしまったかと悩むけれど、残念ながら、いくら必死に考えても心当たりが見当たらない。
わたしが何かしてしまったのか、周囲で何か噂でも聞いたことがないか、手っ取り早く彼女に相談してみようかと口を開きかける。
しかしそれよりも僅かに早く、幼馴染はきょとんと首を捻った。

「なまえ、そんなに気落ちしてどうしたの、彼と行けば良いんじゃない?」
「……うーん、それはそうなんだけど」
「どうしたの? 喧嘩でもした?」

珍しいね、と幼馴染は不思議そうに目を瞬かせた。
彼女は恋人のメローネがわたしに対してとても甘く、怒るという行為自体をそもそもしないということを知っていた。
ゆるく首を振って、否定する。

「……ううん、そんなんじゃないよ」
「だよねえ、全部なまえ優先だし、あの人ちょっと変なところもあるみたいだけど、文句言ってちゃダメだよ」

なんてったって顔があれだけ整ってるんだもん、うちの彼氏と交換してほしいくらいだわ、とふざけて言う彼女に苦笑した。
そう、文句なんてないのだ、あんなに優しい彼に対して不満なんてあるはずがない。

「ふふ、ひとの彼氏に手、出しちゃダメだからね?」
「ありえないね、そもそも彼、なまえのことしか見ていませんっていう雰囲気がすごいもん」

くすくすと楽しそうに笑う彼女を見て、なんだか安心した。
肩の力が抜けてほっとする。
ネガティブなことを考えて、いつの間にか無意識に気を張っていたらしい。
屈託なく笑う幼馴染を見ていると、高々メールのことくらいで、さっきまでぐるぐると悩み込んでいたのが馬鹿らしくなってきた。

「……あっ、なまえ、ごめん、私もうそろそろ行かなきゃ」
「うん、引き留めてごめんね」
「何があったか知らないけど、彼氏に言いにくいなら私でも良いから、ちゃんと相談してよね」
「ふふ、ありがとう」

もっと話していたかったけれど、仕方ない。
じゃあね、ごめん、またこの埋め合わせは今度、と手を振って別れた。
そうだ、こういうやりとりを、わたしはよく彼女や友達としていたんだ。
たったそれだけのことが、なぜか妙に懐かしく感じた。

……あれ? 懐かしい?
なんで懐かしく感じるんだろう?
最近はどうしていたんだっけ?

ひとり、その場に立ち尽くす。
ごちゃごちゃと雑然とした思考が、鬱陶しくまとわりつく小さな羽虫のように飛び交って、上手くまとまらない。

ゆっくりとまばたきをした。
言いようのない焦燥感が背筋を撫でる。
頭のなかにたくさんの疑問符が浮かぶ。
メールの件といい、友人との会話を懐かしく思うことといい。
どうしてそう感じるんだろう?

――そして、どうして、わたしは今の今まで、そのことについてなんの疑念も抱くことがなかったんだろう?

ここ最近のことを懸命に思い返す。
自分のことなのに、なぜか記憶を辿ることがひどく億劫で何度も頭を小さく振った。

違和感を覚えることもなかった、寂しさを感じる暇もなかった、だって、だって、――昨日も、一昨日も、その前の日も更にその前の日も、ずっと、わたしの傍にはいつだって、




「ああ、なまえ、やっと見付けた」
「……めろーね、」

わたしの姿を視界に入れた途端、ハニーブロンドのきれいな髪を揺らして、大切な恋人が駆け寄ってきた。

「連絡も無しにどこに行ってたんだ?」
「……ごめんね」
「ああ、別になまえを責めてるんじゃあないんだ、ちょっと心配しただけで」
「……心配かけてごめんね、メローネ、ありがとう」

大仰な手振り身振りで心配したんだと言いながら抱き締めてくるメローネは、いつもと変わらずそのきれいな顔に、わたしのことが大好きだという溢れんばかりの愛情を浮かべている。
いつもならその表情を見たり、抱き締められたりしていれば、他のことなんて簡単にどうでも良くなってしまうというのに。

なんとなく、違和感。
はっきりとは言えない。
ただ、なんとなく、ぼんやりと、そう、ほんの少しだけ窮屈な。
わたしの立っている場所がだんだんと外周から削られていくような、立ち尽くしたその小さな場所で、バランスが取りづらくフラフラしているような、そんな、なにか。
腹奥から胃液がせり上がってくるような嫌悪感と不快感を微かに覚えた。
ざわりと胸のなかで感情が不規則に波打って、上手くまとまらない思考で意味のないその「なにか」を必死に探し迷う。

「……おいおいなまえ、どうしたんだ?」

首を傾げてわたしの顔を覗き込むきれいな顔が、心配そうに曇る。
普段は馬鹿なことを言ったり、軽い雰囲気で飄々としていたりするというのに、メローネはわたしの心情の機微にはとても敏感で、何か考え込んでいるとすぐに見抜いてしまう。

「……ううん、なんでもないよ」

ゆるく首を振りながら、曖昧に口角を引き上げる。
煮え切らない態度のこちらに気分を害した様子もなく、メローネは壊れ物を扱うようにそっとわたしの手を握った。
ゆるりと優しく指を絡ませて、掬い上げたわたしの指先に小さくキスを落とす。
キザったらしいその仕草も、メローネならとてもサマになった。

「可愛い恋人の顔が沈んでいる理由を、オレには教えてくれないの?」

悪戯っぽく微笑まれる。
ハニーブロンドの髪がさらりと揺れて、きれいだなあと、出会ってから、付き合いはじめてから、何度目か分からない感想を抱く。
真っ直ぐにこちらを見つめる瞳は、軽い口調とは裏腹に、わたしのことを心配してくれている色でいっぱいだった。
メローネのきれいな顔でそんな表情をさせてしまうのが申し訳ないという強迫観念に似た衝動。
笑顔を形づくり、努めて明るい声を出した。

「大したことないんだよ? ただ、その……最近よく友達と予定が合わないなあって」

だからメローネがそんな顔をする必要はないんだよ、と続ける。
そう、ただの偶然、わたしの考えすぎかもしれない。女友達より彼氏を優先していた、だから声がかけづらいと気を遣わせてしまった、そういうよくある話というだけ、きっと。
もしそうなら、友人たちにちゃんと謝らなくては。
曖昧な笑みを浮かべたまま、ぼんやりとそんなことを考えていると、メローネがわたしの顔を覗き込んできた。

「……もしかしてなまえはオレと一緒にいるのが不満なの?」
「まっ、まさか! そんなことないよ、嬉しいよ!」

整った顔がずいと近付けられ、きれいな瞳が物憂げに陰る。
慌ててそんなことはないと勢いよく否定すると、メローネは良かった、と微笑んだ。
ああ、その笑顔はまるで麻薬のようで、ほんのりと見惚れてしまう。

「あ、そういえばこの前なまえが見たいって言ってた映画のチケット取れたから、一緒に行こう」
「本当? 嬉しい」

素直にそう笑って見上げれば、ますます彼の笑みは深まった。
瞳いっぱいに、わたしを愛おしむやわらかな光が輝く。

メローネはいつもわたしのことを考えてくれている。
そのことに対して不満を感じるだなんて、わたしはどうかしていたとしか思えない。
離れる他人に追い縋るより、わたしを愛してくれる恋人を大切にして、なにがおかしいというのだろうか?

彼の笑顔を見ていると、もやもやとしていた気持ちはあっけなく氷解してしまい、さっきまでわたしの胸のなかにあった引っかかりや釈然としないものは、そのうちいつものように思考の外へと追いやられてしまっていた。

「……なまえ、」
「なあに?」

わたしの頬を慈しむように優しく撫でながら、にい、と、形の良い端整な唇が、新月間近の月のように弧を描く。
うっとりという形容がよく似合う笑みは、彼の髪の色に似た蜂蜜のように甘ったるい。

「なまえ、なまえ、はやく、オレだけを見てね」
「……うん? 言われなくてもわたし、メローネしか見てないよ?」

いきなりそんなこと言い出してどうしたの、と笑いながら首を傾げれば、そうだね、とメローネは上機嫌に呟いた。
歌うような口調に甘い声音、柔和な笑み。
惜しげもなく一心にわたしに降り注ぐそれは、程良い温度を保ったぬるま湯のように穏やかでとても心地良かった。

・・・


――その瞳が、ほの暗く澱んだ光を孕んでいたことなんて、その時のわたしが知るはずもなく。
知っていたら、なにか変わっていたのだろうか。
離れる、逃げるという選択肢すら浮かばないようになるのも、時間の問題だったのだ。
途方もなく愚かなわたしが、ようやくそのことに気付いたのは、大切な幼馴染が行方不明になってしまってからだった。
しばらくして発見されたわたしの幼馴染は、明るくほがらかな元のあの子の姿ではなくて、人の形すら保つことのない、ただの、「人間だったもの」でしかなくて、

「なまえ、」

彼の声がする。
肩がびくりとふるえた。

わたしと関わったのがいけなかったのかもしれない、わたしと知り合いですらなかったら、彼女があんなことになることはなかったのだろうと思うと、ああ。

「……なまえ、どうしたんだ?」

ぼんやりと虚空を眺めていたわたしを、メローネは後ろからやわらかく抱き締めた。
自分以外など見る必要もないと言わんばかりに、目元をそのきれいな手で覆われる。

最後に彼以外と言葉を交わしたのは、いつのことだっただろうか。
最後に彼以外の人と顔を合わせたのは、どれだけ前のことだっただろうか。
わたしの視界を奪う白い手は、決してわたしを傷付けることなく、果てなくどこまでも優しい。

何がいけなかったんだろう、わたしはどこから間違っていたのだろう、と。
後悔するこの思考すら、奪われる未来は、すぐ、そこ。

目 隠 し


(2015.05.15)
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