「う、わあぁ……!」

目の前の光景に、思わず感嘆の声が漏れ出た。
無意識に出てしまった声に、慌ててぱっと口を手で覆う。
その姿勢のまま恐る恐る窺うと、わたしにこんな不審な行動を取らせたご本人はそんなことなど露知らず、そのまま眠っていらっしゃった。
ふう……と安堵の息を吐いたところで音を立てないよう気を付けながら、また静かに腰を折ってそろそろと顔を覗き込む。

「(ほ、ほんとにきれいな顔をしてるなあ……!)」

普段だったら畏れ多くて、真正面に立ってあまつさえ直視なんて出来るはずもない美貌――承太郎の無防備な寝顔に感動の念すら覚えつつ、わたしはそっと息をついた。
今ほどASBのこの会場でスタッフとして働いていることに感謝したことはないんじゃないだろうか。
試合の時間が近付いて、いつものようにそろそろお時間ですよと、彼に宛がわれた部屋に呼びに来たところ、こんな幸運に遭遇できた。

口元がゆるんでしまうのを堪えきれない。
大きなソファにその隆々とした体躯を沈み込ませて居眠りをしている承太郎の寝顔を、正面に回ってこっそりと覗き込む。
他人が近付けばそれだけですぐに目を覚ましてしまいそうなのに、勿体ないほどの男前な顔を惜しげもなくわたしなんかに晒してしまっている彼は、一向に起きる気配はない。
やっぱり疲れているのかな、大変だよなあ……と思いつつ、その整った鼻梁だとか、女のわたしよりも長い睫毛だとか、引き結ばれた厚い唇だとかに見惚れていた。
胸の底から沸き起こってくるようなくすぐったい喜びに、つい口元がゆるんでしまう。
そうしてぼんやりと時間が経つのも忘れて見惚れている、と、

「……あれ? なまえちゃん、こんな所でどうしたんだい?」
「っ、ひぃやあぁっ!」

息を詰めて身じろぎもせずにいたわたしは突然かけられた声に、文字通り飛び上がって驚いてしまった。
腰を折って前のめりの体勢だったわたしは、前につんのめってしまう。
承太郎にぶつかってしまう! と無意識に前へ手を伸ばした。
至近距離でぱちっと開いたグリーンの瞳に、ああ、きれいだなと場違いなことを思いつつ目を奪われる。
……現実逃避かもしれない。

「あ、こ、こんにちは、ジョースターさん……」

開けっ放しのドアから不思議そうにこちらを見ているジョナサンに、冷や汗をかきながらなんとか笑みを浮かべる。
びっくりし過ぎて変な声を挙げてしまった、恥ずかしい……。

「……二人で何してたんだい?」

きょとんと目をまたたかせながらその脚の長さをいかんなく発揮しながら、ジョナサンが部屋に入ってくる。
ただのスタッフのわたしにも気さくに話しかけてくれる彼が自分の名前を覚えてくれていたことに胸が高鳴りつつ、何と答えようか焦っていると、

「……おい、」

男らしいうっとりしてしまうような低い声が。
……ん? あれ、そういえば随分と声が近い、よう、な。

「――っ! す、すみませんっ! あ、あの、本当に……すみません……!」

ジョナサンに声をかけられて驚き、前へ倒れ込みそうになるのを堪えるため手を着いていたのは、承太郎の肩。
ジョナサンも訝しむはずだ、彼のいた所からは、ソファに座った承太郎にわたしが覆いかぶさっているような体勢に見えたことだろう。
そのことに気付き、慌ててバッと身を起こすと、勢いあまって今度は後ろ側によろけそうになってしまった。
い、いくらなんでも焦りすぎだろうわたし……!

「おっと、大丈夫かい?」
「は、はい……本当に申し訳ないです……」

で、出来ることなら今すぐ消え去りたい……!
穴があったら入り……いや、寧ろ埋まりたい。
部屋に入ってきたジョナサンは、のけぞった勢いでよろけたわたしを難なく支えてくれた。

目の前に承太郎、後ろにはジョナサン。
あまりの眼福っぷりに、わたしのHPは赤ゲージである。
正直目が潰れてしまう前に逃げたい。
さっさと用事を済ませて逃亡しようと、いつにも増して無口なように感じられる承太郎に涙目でもう一度、すみませんでした……と頭を下げた。

「あ、あの、そろそろお時間なので、お越しいただいてよろしいでしょうか……」

情けなく声が震える。
そんなに真っ直ぐ見つめないでいただきたい、わたしのような凡庸な顔面を晒していることに耐えられないんです。

「く、空条さん……?」

目を逸らしたくても、逸らせない。
それほど強い光を持つグリーンは苛烈に輝いていて、きゅっと身が縮む思いがする。
無意識にこくりと喉が鳴った。

「テメェ、名前は?」
「はっ、な、なまえ、ですか……? ええと、なまえといいます……」

ヒィィィどうして名前なんか! スタッフは数多くいるわけだし、もしかして後で呼び出されて怒られたりなんかしちゃったら……!
わたしが心底怯えているのが伝わってしまったのか、鮮烈に輝く瞳が不愉快げに僅かに細められた。
えっ、な、なんでそんなに不機嫌そうなの……? なんて思っても、口に出せるわけもなく。
じわりと涙腺が弛むのが分かった。
ああ、こんなところで泣いてしまったら、それこそ迷惑をかけてしまうのに……!

するとふいに肩に置かれたジョナサンの手を払われ、承太郎にぐい、と腰を引き寄せられた。
……許容量を超えたことばかり起きて、本当に出来ることなら今すぐにでも逃げ出したい。

「え、っ……! あ、あのっ、」

間近に迫った整った顔に、息が止まる。
頬だけじゃなくて耳も首も熱を持ち、引き寄せられた体がかあっと熱くなった。
どうしよう、意識が昂ぶりすぎて、本当に泣き出してしまいそうだ。

「なまえ、なまえか、覚えたぜ。今から試合か……なまえ、オレの試合、観戦しに来な」

にやりと笑った顔も、到底わたしなんかが向けてもらえるには不相応なほど、とても格好良い。
それ対してわたしは、あ、だとか、う、と不明瞭な喃語を発することしか出来ない。
恥ずかしすぎて本当にどうにかなってしまいそう、と、震える息を細く吐き出した。

これ以上わたしの赤らんだ顔を見られることに耐えられず、いつの間にかうっすらと涙の滲んでいた睫毛を伏せた。
この後わたしのシフトは空いているため、彼の試合を観戦することは出来る。
ただ、こんなみっともない顔をして見に行けるだろうか。
でも、そう伝えてもきっと許してくれないんだろうなと、思考回路がぐちゃぐちゃになっているわたしでもそれだけは理解できた。

震える声をなんとか搾り出して、必ず拝見しますと囁くと、満足したように一つ低い笑い声が落ちる。
向けられた笑みと同時に緩められた拘束から、慌てて逃れる。
身の置き所のない羞恥に駆られ、挨拶もそこそこにぱっと逃げるようにして部屋を出た。

「……承太郎」
「なんだ、ジョナサン」
「あの子のこと、あんまり虐めないでくれよ」
「さあて、虐めてるつもりはこれっぽっちもないんでな」

低く喉の奥で笑う承太郎を見やり、ジョナサンは彼の真似をしてヤレヤレと首を振った。
内気であまり目を合わせて会話をしてくれない彼女が、不可抗力とはいえ真っ直ぐ、それも至近距離で他の男と顔を合わせていたのが少々気に食わない。
承太郎は承太郎で、彼女のことを気に入ってしまったようだし、と息をつく。
折角、時間をかけて少しずつ距離を詰めていたのになあ。
ジョナサンは困ったように微笑んだ。

きっと赤く染まった頬は愛らしいだろう、浮かんでいた涙を拭ってやるためにも、早く捕まえて慰めてあげなくては。
脳裏に浮かぶのは、先程までこの腕のなかにあった華奢な体、そして涙をたたえた頼りなげに揺らめく瞳。
彼女に警戒されぬようこれまで努めて優しく接してきたというのに、恐ろしいことにたがが外れてしまいそうな衝動を覚えてしまった。

――困ったな、彼女にとって心許せる優しい存在でいたかったんだけど。
ジョナサンは笑みを柔らかく深めると、なまえを探しに彼女が逃げ出した方へ歩を進めた。

捧げた純情

(2015.01.05)
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