やあ、なまえ、良い子にしていたか? ……おっと、そう暴れるんじゃあない。フフ、また気を失うまで嬲られたいのか? ならば期待に応えてやるしかないが……ふ、分かってくれたか、なまえ。
ああそうだ、今日はお前に一つ土産がある。……さあ、この錠剤を飲み込め。なに、毒などではない、このDIOが愛しい愛しい大切ななまえを殺してしまうことなどありえぬだろう?
……ああ、水がこぼれてしまったな。そう怯えるな、私は怒っていないからそんなに震えるんじゃあない、私が酷いことをしているようだろう。
……きちんと嚥下したな? よし、良い子だ。

さてなまえよ、一つ質問だ。
お前は「シュレディンガーの猫」という不確定性原理の思考実験を知っているか? ……ふむ。今の私の問いかけには、イエスもしくはノーで答えるべきものではないかな。「やめて、助けて」という今のお前の発言を、私の耳が認識するのすらおかしなことのはずだが……そう、それで良い。
従順なお前は大変愛らしい、なまえ。

話を戻そう。
何、知らない? そうか、なに、そう怯えるんじゃあない、私はお前の無知さを愛することこそすれ、決して疎ましく思うことなどないのだ。その頭蓋の奥にある脳の空いた容量に、私が与えた知識が刻み込まれるなど、恐ろしくロマンチックだと思わないか?
なまえの身体に入った食物はなまえの肉体を形作るが、このDIOの発した言葉はなまえの脳に刻まれ、忘れることはあったとしても永劫死ぬまでそこに在り続けるのだから。事象を忘却することはあっても、その情報に辿り着けぬだけで……思い出すことが出来ないだけで、記憶自体は脳の中には残るという脳髄の機能を調べた実験を知っているか? つまりこうして私が話しているだけで、お前は二度と数秒前のお前に戻ることは出来ずに変質し続けていくのだ。
……ああ、そう泣くんじゃあない、また目元が赤く腫れてしまうだろう。

ふむ、いかんな。また話が脱線してしまった。
そう、知らぬならば、かいつまんで説明しよう。まず蓋のある箱を用意し、中に猫を入れる。また、致死性の高いガスを発生させる装置を共に入れておく。ただし、この装置が作動し、ガスが発生する確率はきっちり50パーセントだ。
さて一定時間経過後、箱の中はどうなっているか。毒ガスが発生しているか、否か。蓋を開けるまでは、猫が生きている状態と死んでいる状態、その二つが同時に同じ確立だけ存在しているという訳だ。箱を開けて中を見るまでは、猫が生きているか死んでいるか、誰にも分からん。
そもそもこの思考実験は、量子力学の統計的方法の不確定さを指摘するためのものだったが、哲学の二つの分野においても影響を与えた。一つは科学哲学……こちらはまた別の機会にしておこう。もう一つは心身問題だ。

……ふむ、理解が及ばぬようになってきたか。
なまえ、なまえ、なまえ、お前にも分かりやすく端的に言おう。
窓もないこの部屋。外界への扉は一つだけ。鍵は外側からしか掛けることも開くことも出来ない。両手両足首には、半吸血鬼のお前でも破ることの出来ぬ強固な鉄枷。
ああ、そう考えなしに暴れるんじゃあない、また皮膚が裂けてしまうだろう。ただの人間より治りが早いとはいえ、痕が残ってしまうのは私の本意ではない。それに吸血鬼の聴覚は鋭敏で、その金属音は私の耳に障る。

……よし、それで良い。
なまえ、私はこれから少々、この部屋を出る。アメリカから友人が来ていてね、この館に数日滞在する予定だ。まあ、会うこともないだろうが。
その間、この部屋をしっかりと施錠しておこう。決して誰も近付かぬようにして。
……ああ、私が何を言いたいのか察してきたようだな、そう泣くななまえ。

おっと、舌を噛み切るのも禁止だ。先日試してみて、死ぬことは出来んときちんと確かめただろう。仮定を実際に試行してみて結果を求める行為は推奨されるものだが、自ら命を絶とうとするのは良くないな。また開口器を着けられたいか? あの時、唾液で顔中、胸元からシーツまで汚して、惨めに泣きじゃくっていただろう、またあの時と同じ思いをすることを自分で選ぶのか。
なまえ、なまえ、なまえなまえなまえ。そう、良い子だ。

そろそろ息が荒くなってきたな? 薬が効いてきた頃合いだろうか。
先程お前が飲んだものを教えてやろう、あれは強力な催淫剤だ。……ふ、この手のものは薬の精度の差こそあれ、昔から求める男は変わらんな。
お前が飲んだものは非常に効果の高いものらしいぞ? ああ、ただし少々問題があってな、精神まで蝕まれるかもしれんほど副作用が心配なモノらしい。まあ、半分吸血鬼になったお前ならば大丈夫だろう。もしもの場合はこのDIOの手で完全な吸血鬼にしてやるからそう怯えるんじゃあない、なまえ。

なまえ、なまえ、なまえ。
……さて。次に私がこの部屋の扉を開けた時、お前は絶頂に達し、淫乱に狂い悶えているだろうか? それとも疼く身体を抱いたまま耐え、矜持、「なまえ」という自我を保ったままでいるのだろうか? 先程話したシュレディンガーの不確定性原理に則って考えるならば、次に私がこの扉を開くまで、同時に二人のお前が存在しているという訳だ。
……なに? 自分はそんな淫らな女ではないと? ハッ、箱を開けるまでは、猫が生きているか死んでいるか、誰にも分からぬと言っただろう。それにお前が薬を飲んだのは、確率論なんぞではなくただの事実だ。

ああそうだなまえ、お前は覚えているだろうか。はじめこの部屋にやって来た時、絶対に心までは屈しない、涙など流さぬと声高に叫んだ自分を。
それがどうだ、今や情けなく、嫌だやめてお願いと、長い間みっともなく泣き続けているだろう。この館を巨大な箱と考えるならば……今の堕したお前は存在せず、今この時もここにやって来る以前の元のなまえのままでいたかもしれんと考えると……、ふ、まさしくお前は、シュレディンガーに殺された猫そのものだと思わんか。

ああ、足枷はそのままだが、優しい私はこの手枷を外しておいてやろう。
なまえ。一つ言っておく。自慰は禁止しない。箱を開けた時、幾度お前が絶頂に達していても私は罰しない、なまえ、寧ろ優しく抱いてやろう、それこそ気が狂うまで。

……ふむ、友人をこれ以上待たせるのも忍びないな。そろそろ私は行こう。
なまえ、なまえ、なまえなまえなまえなまえなまえ、さあ、鍵を掛けてしまおう。次にこのDIOが蓋を開けるその時まで。
良い子にしているんだぞ、なまえ、なまえ。


――……ガチャリ。

chewed up the pomegranate?

(2014.12.08)
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