マニキュアを丁寧に丁寧に塗り重ねた爪をひらりとかざし、なまえは乾きかけたそれにふうと息を吹きかけた。
光を反射して輝く濃い目のピンク、鮮やかなブーゲンビリア色は、我ながら満足のいく仕上がりだ。

中で塗料がぬらりと光るマニキュアの小瓶を見つめながら、それを与えてくれた男を思い出す。
確かあのときも、どこで見付けてきたのやら彼の髪と同じ色のこれを見て、分かりやすい独占欲だとくすくす笑ったものだった。

価値をよく知らぬ者でも一見してすぐに高価なものだと分かる、アンティークの家具たちに囲まれた素晴らしく快適な部屋。
この部屋に出入りするためには、これまたアンティークの美しい細工の施された木のドアしかない。
古めかしく美しいこの扉は、しかしその実チェーンソーを以ってしても破れぬ強固な二重扉になっており、見ただけではそうとは分からないが窓も嵌め殺しの強化ガラスである。
この手の古い建物にはよくあることだが、補修などの手入れはするものの外観を損なわぬよう保つことが義務付けられていることが多い。
それに対して内装は、大抵の場合持ち主の自由裁量に任せられている。
外観だけを見れば誰が信じられるだろうか、由緒ある古めかしいこの建物はコンピュータで外敵を寄せ付けぬよう管理されているのだ。
彼以外がこの部屋には入ることは不可能で、何者かが部屋に入るためには、この建物そのものを爆破するくらいしか手段がないときた。

空調も完璧にコントロールされた部屋でなまえがマニキュアが乾くのを待つ間、手持ち無沙汰にガラスの小瓶をもてあそんでいると、左手の薬指にはめた指輪がぶつかりかちりと硬質な音がした。
それはほとんど細工もなく、大組織を束ねるギャングのボスが囲う女が身に着けるにはあまりにも不恰好で、その位置の指を飾るにはロマンチックさからは程遠い見た目だったが、なまえはうっとりと愛しげに口付けた。
飾り気のないシンプルなこの指輪は、おそらく世界にひとつしかない非常に実用的かつ――恐ろしい首輪だった。
彼以外が無理に外そうとすれば内臓された極めて即効性の高い毒が、指に傷を付けて体内に注入されるというおぞましいシロモノ。
5、6秒もあれば彼女はあっけなく絶命することだろう。

つまり一切が謎に包まれたパッショーネのボスの情報を得るため、彼の女であるなまえをこの難攻不落の部屋から万が一誘拐出来たとしても、彼女は決して口を割ることはない。
仮に強力な自白剤など薬を用いられたとしても、彼女自身がこの指輪を外すだけで、永久に口を封じることが可能という訳だ。

なまえはマニキュアが乾くのを待ちながら、その鈍色に輝く指輪を甘やかな眼差しで眺めた。
おおかた売春婦辺りの女だったのだろう、顔も知らない母親に必要な出生届も提出されず、薄汚れた貧民街でただ死ぬのを待つだけだった彼女は、戸籍もなければ、幼い頃に性的暴行の被害に遭い、その機能を失った子宮のせいで妊娠する心配もない。
なまえは我ながら性処理の道具として、なかなかに優秀だと幸福に潤んだ瞳で微笑んだ。
彼女はそのことに安心しこそすれ、不満や不平は全くなかった。
そうでなければ、彼にこうして囲われ傍に居ることは出来なかっただろうから。

「お帰りなさい、ディアボロ。寂しかったわ」
「良い子にしていたか、なまえ」
「ええ、勿論。ねえ、キスをしてちょうだい」

この部屋の主であるなまえすら開けられぬ重厚なドアを開け、帰ってきた愛しい人を両手を広げて迎える。
ずっと待ち望んでいたぬくもりに猫のように擦り寄ると、世界一幸せな笑みを浮かべて、なまえは口付けをせがんだ。
繰り返し何度も甘く唇を重ねながら、その合間合間に小さく言葉を交わす。
広い豪奢なベッドに二人して沈み込むまでには、そう時間はかからなかった。


・・・



「ひぅんっ……ああっ、きもち、いいっ……!」
「っぅ、は、なまえ……」

なまえは普段からは信じられぬほどの甲高い声をあげて、身をよじらせた。
彼の腰使いは一方的な欲を吐き出す行為というにはあまりにも巧みで、我を忘れんばかりの悦楽がなまえの身体を我を忘れるほどに襲う。

「あふ……ぅんん、あ、っ、ディアボロ……」

娼婦のように淫らに、子猫のように愛らしく吐息を漏らしながら、なまえはその動きに合わせて腰をゆする。
突き上げられるのに合わせてたぷんたぷんと肉感的に上下するやわらかな乳房がひどく猥雑で、それすら興奮材料となり男は更に律動を強めた。

粘性の水音と、肉のぶつかる音とが、閉ざされた部屋になまめかしく響く。
ぐちゃぐちゃにぬかるんだ粘膜を熱い剛直に擦り上げられ、なまえは真っ白なシーツを手の色が変わるほど握り締めた。
内臓を押し上げられるようなその強烈な圧迫感と衝撃が子宮に突き抜け、なまえは大きく見開いた可憐な瞳からつうっと涙をこぼした。
それをあやすように舌先で舐め取りながらも、彼女をさいなむ激しい抽送は止まらず、最奥まで埋め、がつがつと子宮口を突き上げる。

「ああっ、ぅああ! だ、だめ、ディア、ボロっ……ぁううっ、ディアボロぉっ、やぁああんっ強すぎるっ」
「はっ、あ、気持ち良いの間違いじゃあないのか、なまえっ」

雄を迎えるように口の開いた子宮の入り口を、火傷するほど熱い剛直に抉られ、ビクビクと下肢が痙攣する。
ぐちゅ、ずちゅ、と淫猥な音を漏らしながら溢れ出した愛液が、結合部分の陰毛をぐっしょりと濡らし、いやらしく肌に張り付く。

助けを求めるように刺青の這う腕に縋りついた指には、鈍色に輝く指輪と、鮮やかな彼の髪色ために誂えたようなブーゲンビリア。
がくがくとふるえる下肢の先で同じ色に光る爪先が、すべらかなシーツを蹴っていたそこから離れ、宙に浮いてピンと伸びた。

「あ、あ、ディアボロ、……っ――!」

胎内の最奥をぐっと穿たれ、陶酔の極地へと達したなまえは、大きく口を開いて声にならない嬌声をあげた。
彼女の意思とは関係なく、ナカは雄を体液を求めて搾り取ろうとする。その貪欲な締め付けに耐え切れず、ディアボロは低く呻いて狭い膣内を埋め尽くさんばかりの勢いで白濁を迸らせた。
歓喜してそれを迎えた蜜壷はケダモノじみた猥雑な蠢動で、一滴残らず飲み込もうと収斂する。
ふーっと深く息を吐きながら、膣内を味わうように動かさず、上体を圧し掛かるように倒してグッと更に奥深くに埋め込んだ。
あまりの法悦に、なまえはピンと緊張していた脚を引き攣らせながら、身体を大きく弓なりにそらせると、意識を手放してぐったりと真っ白なシーツに沈み込んだ。

・・・


ふっと意識が戻り、なまえはゆっくりとまばたきを二度三度と繰り返した。
一瞬どうして眠っていたのだろうかと疑問に思うほど、意識は深く埋没していたらしい。
倦怠感の色濃く残る身体をなんとか動かし、伸びをして腕を上げると、それに沿うように大仰な刺青の這う男の腕が寄せられ絡ませられる。

「……寝ちゃってごめん」
「そんなに良かったか?」
「ふふ、分かってるくせに」

抱き寄せられながら、くすくすとこぼれる笑い声がシーツに転がる。
腕の中に閉じ込められ、重ねた唇はしっとりと事後の余韻に濡れていた。
慣れ親しんだ腕の中はまるでそうあるのが当然のようにしっくりと馴染み、なまえに、そして抱き締めるディアボロに言いようのない多幸感を与える。

「……ねえ、どうしてわたしを抱くの?」

ぽつりと小さくこぼれた呟きは、着地点を見出せずにほんのりと宙に浮く。
所在無げに浮遊したそれを撫でるように、ディアボロは彼女の手を取り、指先を鮮やかに彩るブーゲンビリア色に、そして怜悧に光る指輪に唇を落とした。
つやつやと僅かな光を見付け、反射して輝く爪先は、彼の髪色と全く同じ。

「全てには、対価が必要だと思わないか」
「対価?」
「そうだな――、例えばこのマニキュアが欲しければ金を払うだろう、それと同じように、帝王の座にあり続けるためには絶頂を脅かすモノの死が必要だ。それが人だろうとも、実体を持たぬ過去であろうとも」
「……そうね、理解できるわ」

裸の足同士を絡め、戯れに唇をついばむように重ね合わせては囁きあう。
事後特有の気だるげな、それでいて濃密に甘ったるい空気にたゆたいながら、言葉を紡ぐ。

「お前をなぜ抱くか、だったな。お前はドッピオと同じようにオレを裏切らないだろう、そして危険なく性処理が出来るからだ」

なんの感慨もなく吐き出された言葉に、なまえは幼い子供のように首を傾げた。
その表情は不安に揺れ、戸惑いを隠せていない。

「ディアボロ、だめよ、全てには対価が必要なのでしょう? それじゃあわたしばかり、幸福が過ぎるわ。あなたがいなければ、なまえという人間はずっとずっと前に独りで死んでいたのよ。わたしがあなたを裏切らないのは当たり前だし、子供を残してしまう危険がないのは、わたしの体が単にその機能を持たないというだけなのに。わたしはこんなに幸せなんだから、あなたに必要な対価を払わなければならないわ」

困惑の色を浮かべたまま、なまえは両手で彼の頬を挟みこむ。
頬に当たる冷たい指輪の感触に目を閉じて、ディアボロはこの世界で傍に居て唯一安心して眠れるなまえの体を抱き締めた。

「対価は必要だ。何かを手に入れるためには、何かを失わなければならない。だがな、なまえ。どうしてだかお前に関してだけは、与えることが出来るものは全て与えたいと思うのだ。それでお前が喜び微笑めば、対価としてオレは幸福を得ることが出来る。どうして幸せだと思うんだろうな?」

何がなんだか分からないという表情で、不安げにその瞳をくもらせるなまえを見て、ディアボロはおかしそうに笑う。
彼がそうやって屈託なく笑うのは、なまえの前のみだということに二人は未だ気付いていない。

理解出来ないならばそのままで良い、いつか分かる日が来るだろうと男は笑い、教えてくれないのを責め拗ねるように、彼女はその唇に噛み付いた。

それを人は愛と言う

(2014.11.01)
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