既に命の失われた冷たい肌。
触れればこちらの体温が奪われてしまうかのような錯覚を抱いた。
次の瞬間にはまるで元から存在していなかったかのようにきれいさっぱり消え去った女の死体に、ふうと息をつく。
眠る前に目にするには適したものと言い難いのは否めない。
例えそれが主のご命令だとしても。

「ご苦労」

愉悦を含んで短く吐き出された労いの言葉は、毒のようにゆっくりと全身をまわり、歓喜で肌がざわめいた。
風呂上がりの就寝前に呼び出された時は、主のお食事の後始末を面倒だと思っていたくせに、そのお言葉ひとつで随分と現金なものである。

死体どころか血の跡一滴すら残らない寝台や床を見て、DIOさまは満足そうに「便利なものだな」と呟いた。
わたしのスタンドはヴァニラのように無差別に全てを飲み込んでしまうことなく、自分を中心にして半径2メートル程をわたしの意思で選別して消失させることが出来る。
例えば、床を傷付けることなく、そこに横たわっていた女性の死体だけを消滅させたり、遠慮なく床やシーツに飛び散っていた血痕をそれのみ消し去ってしまったり。
攻撃力はほぼ皆無に等しいものの、スタンドを発動し続けていれば、外界からの物理的な攻撃は本体であるわたしに届くことはなく、一切を無効化することが出来る。

「お前のスタンドを見ていると、攻撃は最大の防御と言うが、逆もまた同じことだと感心するな」
「お褒めいただき光栄の極みです。しかし失礼ながらDIOさま、この頃わたしを便利な掃除係と認識していらっしゃいませんか?」

護衛対象が傍にいる限り決して傷付けられることはないわたしのスタンドを、エンヤ婆は「最強の盾」と表したけれど、ここ最近の使い道はもっぱらこの館の掃除である。
我ながら勿体ないと思う。
それもこれも実戦向きではないわたしが悪いとはいえ、外に出したがらない恋人のせいでもあるけれど。

風呂上がりの少しだけ湿ったままのわたしの髪を一すくい手に取って、全てを魅了する微笑でわたしの問いかけを否定しない主に溜め息をつく。
夜明け前は最も気温が下がる。
この乾燥したエジプトの地では特に。
早く湯冷めしてしまう前にベッドに戻りたいと思うのだけれど、DIOさまは何が楽しいのか、お見せくださるには勿体ないほど美しい笑みを浮かべ、その手でわたしの顎を掬い上げた。

「時になまえよ、スタンドとは未だ解明されていない領域が多大に残されているが、その能力は本体の性質や願望を反映することがあるということを知っているか」
「性質や、願望……?」

子供のように鸚鵡返しに呟いたわたしに、主は笑みを深くする。
性質や願望。それが示すところは、

「お前の本質は、他者を拒絶するところにあるのかもしれぬと思ってな」

血のようにぬめる唇を愉しげに歪め、主は毒のように囁いた。
その言葉に僅かに動揺したものの、全く表に出すことなく息をついて肩をすくめた。

「あら、少なくともわたしはDIOさまに心酔している忠実な駒の一つですけれど?」
「それは重畳。ではなまえ、このDIOとこれから褥を共にする気は?」

戯れのように顎に添えていた手を首の後ろにまわされ、ぐっと距離が近くなる。
頭の芯を溶かされるような蠱惑的な微笑みを向けられ、うっとりとそれに見惚れる。
残念ながら、それに惑わされるほどわたしは愚かではなかったけれど。

「お誘いは大変光栄ですが、あなたのためなら死をも厭わぬ最強の盾と、ついでにあなたに忠実かつ優秀な執事をいっぺんに失うおつもりでしたなら、どうぞご自由に」
「ああ、困った。それは随分な痛手だな」

おどけたようにぱっと手を離して低く喉の奥で笑う主に、同じような笑みを浮かべ、恭しく一礼して部屋を退出する。
その忠実で優秀な執事、もといわたしの恋人は、きっと部屋でわたしの帰りを待ちわびていることだろう。
早く戻ってやらないと、そうは見えないけれど実は存外なかなか独占欲の強い彼は、臍を曲げてしまうかもしれない。

「それでは失礼いたします。お休みなさいませ、DIOさま」
「ああ。そうだなまえよ、執事に一つ伝言を頼めるか」
「ええ、何なりと」

主は作り物めいた端麗な美貌を惜しげもなく晒し、楽しげに眼を細める。
世の人間ならば老若男女問わずうっとりとしてしまう微笑と声音にほれぼれしながら、伝言とやらを承った。

・・・


「……遅かったですね」
「そう?」
「ああほら、体もこんなに冷えて」

部屋に戻った途端、その優秀な執事に怒られた。
わたしがDIOさまに呼ばれている間に風呂に入っていたらしいテレンスの体はとてもあたたかい。
思っていたよりも冷えていたらしいわたしの体をあたためるように抱きすくめられ、その心地良いぬくもりと慣れ親しんだ香りに力が抜けた。

いつもの前衛的な化粧と髪型をといた素顔は端正に整っていて、甘やかすように髪を撫でられる。
何もしたくない、このまま眠ってしまいたい、確かもう仕事も残っていないと言っていたよな……と安心しきっていると、ふいにがばりと体が離された。
何事かと見上げた表情は不快げに歪んでいて、今にも舌打ちせんばかりに眉根を寄せている。
その瞳の中に小さく映るわたしは、困惑しているさまがよく見えた。

「なまえ」
「な、なに、」

真っ直ぐにわたしだけを見つめる瞳は、いつもの他人を見下すような冷静そのものといった怜悧な光はどこへ行ったのか、ギラギラと獣のように輝いている。
ふいに右手を強く引かれ、咄嗟のことで上手く受け身の取れなかったわたしはそのままベッドへと倒れ込んだ。

「なまえ、」
「だからなんなのよ、っん、ぅ、」

豪奢なベッドはきしみもせずに受け留めてくれたけれど、立っていた状態から突然受け身も取らずに倒れれば、一瞬視界が暗くなる。
文句を言ってやろうと開いた口は、いつもよりも熱い唇で塞がれてしまった。

「っ、は、どうしたの、テレンス」

ようやく離された唇は、どちらのものか分からない唾液で濡れ光っている。
未だ不機嫌な表情を浮かべたまま、何も答えず顔をわたしの首元にうずめた。
普段はわりと饒舌な彼のその無言に、本当にどうしたのだろうかともう一度声を掛けようとしたところで、耳の下辺りにちくりと小さな痛みがはしったのを感じ、キスマークを付けられたのだと理解する。

もう、見えるところには付けないでって言っているのに。
そのまま髪に顔を埋め、匂いを嗅いでいたかと思えば、存分に劣情の含まれた忌々しげな呟きがこぼれる。

「DIOさまの香りがします。全く……なまえ、その肌に触れられましたね?」

いつもより少しばかり乱雑な手付きで着ているものを暴かれ、すぐに肌が露わになる。
ひんやりとした空気が肌を撫でるものの、すぐに熱い程の体温を与えられた。
手付きはいつもより乱暴とはいえ、わたしの身体をわたし以上に知り尽くした手は、否定せずにいるわたしを攻め立てるように的確に性感を否応が無しに高めていく。

……ああ、DIOさまと言えば。

「んっ、あ、あ、はっ……っ、テレンス、忘れるところだったわ、あっ、ん、DIOさまから伝言」
「DIOさまから?」

肌も露わに恋人と共にベッドの上だというのに、他の男の名を出されて気を良くする男がいるだろうか。
例えそれがこの館の主人だとしても。
そう言わんばかりの不愉快げな表情でわたしを見るテレンスの目には、先程までと同じように、いや、もしかしたらそれよりももっと濃く妬心の炎が揺らめいているのを見る。

知っているだろうか、他人より優位に立つことを好むその冷淡な瞳が悋気に崩れ、欲にまみれていることを。
そして、わたしがその目で求められるのに、堪らなくゾクゾクしてしまうことを。

余裕なんて無くしたただの男の瞳には、いやらしく微笑むわたしではないようなわたしが映っていた。
首に腕をまわし、顔を引き寄せる。
形良い耳に口を寄せ、ベッドの上に相応しい甘い声で、主の「伝言」を囁いた。

「良い女を手に入れたな、テレンス。飽きたらわたしに貸し出すが良い、ですって」

ちゅ、と小さく耳に口付けて、頭を引き寄せていた手を離せば、あっけに取られた顔を晒す色男。
まあ、珍しい顔だとにやりと口角を引き上げる。

「……それは、……光栄ですね」
「どちらに対して? 自分のお下がりを所望されていることが? それとも、」

続きは言わせないとばかりに秘部を撫で上げた指に、一瞬息が詰まる。
あまり触れられていないというのに、巧妙な指使いに煽られ、ソコはもういつでも受け入れられる程にとろとろと蜜を滴らせていた。

「勿論、それほど素晴らしい女性が私を思ってくれているということに対して、ですよ」
「はあっ、あ、んっ、……ふふ、当たり前でしょ、っ、」
「ですが困りましたね、折角のDIOさまのお言葉ですが、私がなまえを手放す日が来るかどうか……」
「ん、っ、そこは、永久に来ることはないぐらい、言って、よ」
「未来のことは分かりませんよ、もしかしたら私がなまえに捨てられるかもしれない」

ぎらついた瞳はそのままに、わたしを攻める手が止まることはない。
もうソコはぐずぐずに溶けきっていて、急かすようにわたしは彼の腰に脚を絡めた。
そんな愚かなことを吐く酷薄な唇は、塞いでしまうに限る。

「ん、む……あっ、なまえっ、」
「ね、はやく、」

ちょうだい、と、たっぷり吐息だけで囁けば、堪らないとばかりに熱く猛ったソレが挿入ってきた。
耳元でそうやって囁かれるのが好きだってこと、わたしはちゃんと知ってるんだから。

「ああっ! あ、ふぅっ、あ、きもち、いいっ……! ねえテレンス、ぜったい、わたしのこと、っん、あ、離さないで、」

縋るように背に腕をまわす。
律動に合わせてたぷんたぷんと揺れる乳房を遠慮なく捏ねくりまわされ、腰が無意識にびくんと跳ねた。
蕩けるような悲鳴と喘ぎの交錯し、熱を帯びた声が部屋に満ちる。

「ええ、誰が、手放すもんですか、っ、」

荒い息を吐きながら欲に濡れた瞳でわたしを見るひとに、胸が苦しいほどの切なさと愛しさを覚える。
ただの人間であるわたしは、今こうしてわたしを苦しい程に抱きしめるこのただの人間が、何よりも、そう、自分自身よりも大切なのだ。
愛したひとに愛される喜びというものを、きっとあの御方は理解してはくださらないだろう。

DIOさまのおっしゃった、わたしの本質が拒絶だということはおそらく正しい。
わたしのスタンドが自分の周囲を拒絶し消滅させてしまうのは、きっとわたしが陰鬱な過去に縛られ、ずっと他者を拒み続けてきたからなんだろうと思う。
わたしに近付いたものは、消失する。
それでも、このひとだけは失いたくないんだと、わたしの傍にいれば絶対に守ることの出来る力も持ち合わせていることを心から感謝しているのも事実なのだ。

「はっ、なまえ、なにを考えているんです、く、」
「ふふ、テレンス、あなたに捨てられたら、っあ、生きていけないなあって」

熱に浮かされた瞳に映るわたしは、なぜだか泣きそうな顔をしていた。
重ね合わせた唇は、本当に泣き出してしまいそうなくらいに甘くて、ぎゅっと胸が締め付けられる。
わたしの名を呼びながら淡く微笑む愛しいひとに溺れて、眩む意識と快楽に身を委ねた。

最愛なる絶対の領域

(2014.10.22)
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