「海の底に沈んだならば、貴様は百年という時に耐えられず、独りで自死するのだろうな」

行為が終わった後、もつれた髪を手櫛で整える。
真っ白なシーツを乱雑に体に巻き付け、床に散乱している皺のよったり汚れたりした衣類を拾い集める作業は程良く惨めで、熱を冷ますのに丁度良かった。
主は未だ大きな寝台にしどけなく寝そべったまま、その途方もなく美しい姿態をわたしなんぞの眼前に晒していらっしゃった。
なにをおっしゃりたいのか、崇高かつ深淵なるこの方のお考えを推し量ることなんて、わたしのような愚鈍な人間には出来るはずもないのだから、反論も質問もせずただ何も言わずぼんやりと首を傾げてお美しいご尊顔に見惚れるだけに留めた。
DIOさまはそんなつまらないわたしの反応に特に気分を害されたご様子もなく、にやりと笑みの形に口を歪める。
ああ、なんて美しい方なんだろう!
わたしは先程まで到達していた忘我の境地を反芻しながら、そっと目を閉じた。

「なまえ」

主がわたしの名を呼んでくださったので、服を拾い集める手を止め、静かに寝台の端に腰掛ける。
いつだったか、性処理に利用した道具が行為の後も我が物顔を浮かべて当たり前のように傍にいたことがご不快だったらしく、血を吸うでもなくただ邪魔だという理由で殺された愚かな女のように、主のお気に召さないことはしないよう、不必要に近寄ることなく「なんでしょう」と呟いた。
殺されることは良い、しかし主のお心を害することだけは決してしたくなかった。

DIOさまは先程の美しい笑みを形づくったまま、わたしを寝台の中央へと引きずり戻した。
突然のことでまともに受け身も取れず、無様に倒れ込んだわたしの上に主は馬乗りになる。
わたしは下から見上げるDIOさまが一等好きだったので、幸福のあまり目の奥が熱くじくじくと痛むようだった。

「DIOさま、」

喜びや陶酔のせいで、自分の声が僅かにふるえているのが分かった。
いっそ泣き出してしまいそうなほどの歓喜が、血液のように体の隅々まで巡り巡って脚の爪先までじんわりと熱を持っているようだった。
ああ、一体この世界でどれほどの人間が、これほどお美しい方が自らの名を呼び、その名を呼ばせていただくことが出来る幸福を知っているというのか。
DIOさまのお口がわたしの名を呼ぶために動くさまを見るたびに、雷に打たれたような衝撃や感動で身がふるえるのを堪えきれなかった。

DIOさまは少し屈んで、わたしの首にお手をかけた。
わたしの首は、大きな手に簡単に収まる。
そのまま握られ、わたしは、ぐ、と呻いた。
首の骨が折れない程度の絶妙な圧迫感に、だんだんと顔に血がのぼるのが分かる。
耳の後ろ辺りでどくどくと心臓の鼓動がうるさいほどに脈打っていた。
主の手にかかれば、わたしの首を引きちぎることなど容易なはずで、ならばこの絞頸は主の望む行為だ。
つまりわたしが抗う必要などないということになる。

ぶつ、ぶつ、と音が途切れて聞こえる。
視界の端々から黒い点が這い寄り、徐々に中央へと範囲を増していくせいで、視界が狭まり全体的にぼんやりと暗くなってきた。
もし死ぬのならば最後までDIOさまのお姿を見て、お声を聞いていたいが、これは難しい。
しかしそのお手が触れていてくださるだけでわたしには勿体ないほどの僥倖なのだから、高望みするべきではないと思い、殆ど力の入っていなかった目蓋をゆっくりと下ろすと、その瞬間、DIOさまは手を離した。
急に肺を膨らませた酸素に、げほげほと咳き込む。
わたしは慌てて拾い集めた自分の衣類に顔をうずめた。
溢れる唾液で寝台を汚すことが嫌だったから。

ぜえぜえと大きく呼吸する無様なわたしを、やはりお美しい瞳で見下ろしたまま、DIOさまは低く笑った。
肌を撫でるような声に耳を擽られ、わたしは自分の立てる大袈裟な呼吸音を心から恨めしく思った。
DIOさまのお声をもっとよくお聞きしたいというのに、それをいまわたし自身が邪魔している。
折角その権利を与えられているというのに。
いつのまにか滲んでいた涙のせいで、必死に見上げてもお姿がぼやけてしまってよく見えない。
この喉を裂いて目を抉りだしたら良いのだろうか。

幸福は、過ぎると恐怖ばかりをもたらす。
ならば恐怖を薄めたものが幸福だとでもいうのだろうか。
あのまま、DIOさまがわたしの息の根を止めてくださっていたら良かったのに。
そんな出過ぎた願望は、いくら厚かましいわたしでもとてもではないがお伝えすることが出来ず、唇を小さく噛み締めるだけに留めた。

息を吐き出すと、強く圧迫されていた喉が燃えるように痛んだ。
わたしの幸福がわたしだけのものであるように、この苦しみもわたしのものだった。
それだけが言葉に出来ないほど幸せで、またわたしは死にたくなった。
どうせ遅かれ早かれ人間は死んでしまうのだから、幸福なまま時を止めたいと願うことは、それほど愚かなことだろうか。
いまはそれに相応しい、いいや、わたしのような人間が望むには、過ぎた幸福の極みで死ぬことが出来たのに。

そもそもわたしの身勝手な自殺願望に、尊く美しい主を利用しようなどという、この愚劣な思考こそが罪なのかもしれない。
ならばDIOさまが最後まできちんとわたしを殺してくださらなかったのは、わたしの処女くさいセンチメンタルな自己陶酔、傲慢、それに対する罰なのだろうか。
とうとう涙が一筋こぼれたが、それは先程死ねなかったことに対する後悔と悲しみの涙だった。

DIOさまに切り捨てられてしまったとき、つまりわたしがこれ以上生きている必要などなくなったそのとき、わたしはひとりでちゃんと死ねるのだろうか。
それとも主のおっしゃる通り、棺桶のなかで勝手に自死するのだろうか。
DIOさまによってこの命を終わらせることが比類ない至上の喜びだというのに、またとない絶好の機会を逃したわたしは静かに泣き続けた。
主はそんなわたしを見てずっと嘲笑っていらっしゃった。

ああ、なんて美しい方なんだろう!

「……なぜ死後に見る夢のことを苦に病んだりしたのでしょう?」
「この世に生きていたとしても、更におそろしい夢がやってくるというのに」


(2015.07.05)
(アントン・チェーホフ「なぜハムレットは死後に見る夢のことを苦に病んだりしたのだろう。この世に生きていたって、もっと怖ろしい夢がやって来るのに。」より)
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