わたしは知っている。
彼は確かにわたしを愛していてくれているけれど、その宝石のように美しい瞳には、ほんの少しの嫌悪が滲んでいることを。
多分、俗に同属嫌悪と呼ばれる類いの感情なのだろうと思う。
きっと彼は自覚していないだろう、そしてこれからも気付かないままでいてほしいとわたしは心から祈っている。




わたしは知っていた。
わたしを妊娠したせいで、母は父に捨てられたということを。
そして着実にキャリアを積み上げていた仕事を辞めざるをえなくなり、ひとりでわたしを育てなければならなくなったことを。
わたしを殴りながら「あんたなんか産むんじゃなかった」と低い声で繰り返し呟く母の顔は、普段わたしの髪を梳いたり頬を撫でたりする優しい母と本当に同一人物なのかと本気で疑問に思うほどに恐ろしいもので、幼い頃、本当に母は二人いるのではないかと考えていたくらいだった。
いつのことだったか覚えていないが、その日は母の身に付けていた指輪が良くなかった。
少々大きな飾りのついたイミテーションの指輪。
いつものように苛立っていた母が帰宅し、氷漬けにされたように全く身じろぎしないわたしへと遠心力をつけて降り下ろされた手は、わたしの頬をしたたかに打ち、その際にこめかみから顎にかけて大きな裂傷をつくった。
表皮が焼けるように痛み、その下の肉が腐り落ちてしまったのではないかと思うくらいに熱かった。

わたしは知っていた。
そんな傷を他人に見せることはあまり良くないことだ。
顔を隠すように前髪を伸ばした。
元から陰気な雰囲気がますます助長され、クラスメートからのからかいやちょっかいの格好の的となった。
成長するにつれて傷は薄くなったものの、それはいつまでもわたしの顔に存在し続けた。

わたしは知っていた。
わたしのような境遇の人間が大して珍しくないということを。
学校での休み時間や放課後の殆どを、わたしは図書館で本を読むことによって過ごしていた。
いろんな本があった。
わたしは本という物質と、本を読むという行為そのものを心から愛していた。
たいていは挿絵を多く含んだ児童向けの絵本や、冒険や波乱の末、登場人物たちがハッピーエンドを迎える物語を読んでいたが、稀に虐待やいじめに関する本を読むこともあった。
子供向けのそんな本にはよく、「あなたはひとりではないということを忘れないで」と書いてあった。
もし仮にわたしがひとりではないとして、わたしをひとりにしないために存在しているだろうわたし以外の他者の存在は、いまどこにいるのだろうと考えた。
いるのなら会ってみたいとも思ったが、残念ながらその願いもいつしか風化してぼんやりとそんなこともあったなといたずらにページを捲る程度の記憶になった。

蔵書のなかには、実体験によるエッセイや回顧録のようなものもあった。
「親に殴られている間、頭を空っぽにしてなにも考えないようにしていました」。
本の中でその記述を目にした幼いわたしは、なるほどそれは良い案だと採り入れてみたが、実際にやってみると何も考えない状態というのはなかなかに難しく、反応も鈍くなってしまうという難点があった。
結果、返事が遅いとまた更に殴られることが増えてしまったので、あまりこれはわたしには向かないなと思った。
この体験記を書いた人はそうして耐えることが出来たのだろう、しかし残念ながらわたしの対処法にはならなかった。
いろんな人間がいる。
いろんな対処法があって然るべきだ。
例えば、母に打たれる人間と、打たれない人間がいる。
そんな点でも簡単に、二種類に分けることが出来る。
更にそこから、打たれて泣く人間と、泣かない人間がいる。
打たれて泣かない人間でも、憎しみを募らせる人間と、憎しみを持たない人間がいる。
そうしてどんどん細分化していけば、いろんな人間がいて当然だった。
わたしは幼心に納得した。
単にわたしはそういう人間というだけだった。

また別の本を読んで、虐待を受けた子供は親になった際、同じように自分の子を虐待することが多いということを知った。
遺伝のように、連鎖のように。
その時わたしは確かまだ十にもなっていなかったと記憶しているが、決して子供を産むべきではないと固く心に誓った。

わたしは知っていた。
母が苛立っていると察するのはとても簡単だった。
帰宅する際足音が荒い、いろんなものに対してぶつぶつと文句を言っている、ドアの開け閉めが激しいなどなど、ひとつひとつ挙げていけばきりがなかった。
勿論、機嫌の良い時もあった。
そんな日はわたしを抱き締め、頬擦りしながら「わたしの可愛い子」と愛しげに囁いた。
残念ながらそんな日は多くはなく、とても短いボーナスタイムのようなものだったけれど。
ただ、そうして母が腹を立てているのを知ることが出来たからといって、その場から逃げることは許されなかった。
逃げるような場所もなかったというのも一因だったかもしれない。
母が足音荒く部屋に入ってきて、わたしの存在を認め、俯いたわたしを腹立ち紛れに殴るまでのワンセット、順番をよく理解していた。
だからといってそれから逃げたり避けたりすることが出来るかと問われれば、それは分かりやすく単純に、不可能だった。
逃げたならば間違いなく、見付かったときにもっともっと酷い目に遭うということは考えるまでもなく明らかだった。

殴られたり蹴られたりしている間、不幸そうな顔をすることも許されていなかった。
少しでも非難するような目をしてしまったら、その目はなんだと打つ手に力が強くなるだけだった。
顔が見えないよう、俯いた。
それでも纏う空気、雰囲気というものは存在するらしく、顔を俯かせていても逃げたいと微かに思っただけで母は敏感にそれを察知して、殴る回数を増やした。
そのため殴られている間、わたしは不幸でもなく、非難するでもなく、苦痛に思ってもいない、と心から必死に念じ続けていた。
とはいえ痛みを感じたからといって、少しでも顔を歪めてはならないというのはなかなか難しく、目のすぐ横を拳で打たれたときに反射的に眉をしかめることもあった。
勿論、殴られた。

母が帰宅して安っぽいドアの鍵が開く瞬間、わたしはびくりと身をすくませて、掌に爪が食い込むほどに強く強く手を握った。
体の芯に氷をぎっしり詰められたかのように全身が冷えて、息が浅くなった。
緊張のあまり鍵の音を耳にした瞬間、気を失うこともあった。
しかし失神したわたしを寝ているんじゃあないと母は殴りつけたため、わたしは母が帰宅する気配を察したときに気を失わないように、体のどこかしらを傷付けて痛みで目を覚ますようにするのが日課になっていた。

ある時、同級生の女子が左手の手首に包帯を巻いていた。
寒い冬の季節だったというのに七分袖を着て、白い布をちらりちらりと覗かせていた彼女は、親が厳しいのだと悲しげに顔を歪めていた。
周囲の女子生徒たちは、そんな彼女を必死に慰め、判で押したように同じ顔を浮かべて寄り添っていた。
「痛くないの?」
「切っている間は、痛くないの。きっと、感覚が麻痺してるのね。心が壊れてしまいそうなんだわ」
可哀想、可哀想、わたしたちが傍にいるから泣かないで。
彼女たちの声は大きかった。
その輪から幾分か離れていたわたしのところまで、そんな会話が筒抜けだったくらいに。
大層可愛らしい造形の顔を持った彼女は、肉体的な痛みは感じないものの、その間、気持ちが穏やかに凪ぐようなのだと言っていた。
そういうものなのかと納得し、自宅へ帰ってわたしは実践してみた。
痛かった。
いろんな人間がいるのだ、そんなふうに感じる人もいるのだなと、じくじくと熱を持って疼く赤い線を眺めながらぼんやり思った。
幸いにも寒さ厳しい冬だったので、長袖を着ていれば誰にもバレなかった。

痛いことは嫌いだったので、わたしが以後それをすることはなかった。
臆病なわたしが恐る恐るカッターの歯を引いたため、その小さな傷もたった数日で癒えて見えなくなった。
しかしその赤い線は、存在している間、他人がつくった傷たちのなか、自分がつくりだして視認できるところにひとつあるというだけで、そわそわとした不思議な高揚と、なんだか妙にむず痒い思いを与えたのを覚えている。

わたしは知っている。
わたしのような境遇の人間は大して珍しくもないということを。
しかしある一点において、わたしは世界一幸せなのだということも同時に知っている。




「……起こしてしまいましたか?」
「ううん、怖い夢を見てたから。起こしてくれて助かったの。ありがとう」

帰ってきたジョルノは、薄く微笑んでわたしが寝ていたベッドへ入ってきた。
月明かりのなか微笑むジョルノは、わたしの持っている言葉では言い表すことなんて出来ないほどに美しかった。
濃い金髪はきらきらと輝いて、まるで生きている人間ではないのではないかと錯覚してしまうくらいにきれいだった。
色が変わる前の黒髪も大好きだったけれど、いまの金髪もわたしは心から愛していた。
ジョルノという人は存在しているだけで途方もなく尊く、美しく、そんな彼がずっとわたしの傍にいることが未だに信じられない思いでいっぱいだった。
あまりの美しさに、感動で涙が溢れそうだった。

疲れているのだろう。
今日は殴られないらしかった。
女である母よりも、成長過程の青年である彼の方がずっとずっと力が強く、殴られると本当に痛かったが、その間彼はとても幸せそうに微笑んでいた。
わたしは彼のその表情がとても好きだったから、うっとりと見惚れてばかりいた。
愛される価値など微塵もないわたしを大切にする彼は奇跡のように美しく、神様がいるとしたらきっとこんな姿形をしているのだろうと思った。
彼に出会えたことは、醜いわたしにとって望むことすらおこがましいほどの僥倖で、その上愛してもらえるなんてそんな大それたこと、罰を受けていますぐ死んでしまってもおかしくないほどに幸運なのだということをわたしは知っていた。

彼は言葉を尽くしてわたしに愛を伝えてくれたが、どうしてもわたしには理解できなかった。
彼の言葉を信じることが出来ないということではなく、美しい彼がわたしのような無意味で無価値なものにその事実以上の感情を抱くこということが、ただ純粋によく分からなかったというだけだった。
彼はどこかおかしいのだろうかとすら思った。

わたしは知っていた。
生きていく上で重要な人、それは母であったり恋人であったり、それらから与えられる行為が同じとはいえ、打たれている間、憎悪の目で呪詛の言葉を吐かれながらというよりも、陶酔に潤んだ目で愛を囁かれながらという方が、ずっとずっとわたしにとって幸せだということを。
殴られるという行為自体は同じでも、その間の感情はこれほど受ける感覚か変わるものなのかと自分でも驚くくらいに。
ジョルノが幸せそうに微笑んで「愛しています」と囁きながらわたしを殴るその行為は、手に負えないほど醜いわたしを罰して浄化してくれる儀式のようなものだった。

醜い顔の傷痕に唇を寄せ、わたしを壊れ物を扱うようにそっと抱き締めて、ジョルノは柔らかく微笑んだ。
いつか本や教科書で見た宗教画のように、いや、それよりもずっと美しかった。

「おやすみなさい、なまえ」
「おやすみ、ジョルノ」

わたしは知っている。
成長して一人暮らしをしていたわたしの前に時折現れては暴力を振るっていた母が、ある日を境にしてぱたりと顔を見せることがなくなった理由を。
ジョルノが――その頃はまだ彼はハルノと名乗っていて、髪も真っ黒だったけれど――わたしを殴るようになったのは、その日からだったということを。
初めて彼が手を汚したのは、その日だったということを。

それでも彼はとても美しい。
わたしは知っている。
ただそれだけで充分だった。


(2015.04.03)
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