(※「荊姫は眠らぬ」の続きです。先にそちらを先にご覧になってからお読みください)




少し、お話をしましょうか。
そうね、どこから話せば良いかしら。

……むかしむかし、ある貧しい町でのことです。
貧しい夫婦、兄と妹がおりました。
母は愚直なまでに清らかな性根の持ち主でしたが、父はどうしようもない飲んだくれで、母や子供たちに暴力を振るうこともしばしばでした。
いつも兄は妹を守ってくれていましたが、大人の力に敵うはずもありません。
やがて母親は死に、金に困った父親は、妹を売り飛ばすことにしました。
しかし幸か不幸か、幼い兄妹はある貴族の家に養子として迎えられることになったのです。
妹は知りませんでしたが、その直後、父親も死んでいました。
引き取ってくれた家は、二人を本当の家族のように愛し、慈しんでくれました。
しかし兄はその家を乗っ取ることを考え、養父を殺そうとしました。
兄には理解出来なかったのです、与えられる無償の愛というものが。
ただひとり、妹だけを除いて。

義兄によってその企みは阻止されましたが、結果養父は死に、兄はなんと吸血鬼となってしまったのです。
兄は妹にも同一のものとなるよう求め、妹もそれに応えました。
兄が妹を唯一と愛したように、妹も兄を世界の全てのように愛していましたから。
それからほんの少しの間だけ、二人は幸せでした。
義兄が兄を倒しにやってくるまでは。
その後、義兄は死に、兄も冷たい海の底へと沈んでしまいました。

それから百年近く。
妹はやっと兄と再会することが出来ました。
またそれから数年、二人は幸せでした。
義兄の孫のそのまた孫が、母を救うため、兄を倒しにやってくるまでは。

兄と妹は、約束をしました。
今度、死ぬときは、一緒だと。
妹はもう、百年もまた兄を待つことは出来ないと知っていたからです。
兄も妹も死ぬことはなく、共にあり続けることを約束しました。
妹は幸せでした。
……ああ、物語がここで終わってしまえば、良かったのに。




そこまでひとり呟くと、なまえは座っていた豪奢なソファの肘掛けに、頬杖をついてゆったりと微笑んだ。
その笑みは、永い年月を経ることに疲れ果てた枯れ木のようなものだった。
息を呑むほどの瑞々しい美貌はそのまま、鈴の転がるような涼やかな声も甘やかに響いているというのに。
承太郎はその笑みに一瞬意識を奪われそうになって目を見開くと、ギリ、と奥歯を噛み締めた。

DIOを倒し、その館へと踏み込んだ彼らは奥まった部屋で、まるで彼らを待っていたかのように悠然と微笑む彼女を発見した。
分厚くたっぷりとした襞が波打つカーテンはきっちりと締め切られ、光源はぬらりと揺れる数多くの蝋燭のみである。
館の外では痛いほどの日光が容赦なく降り注いでいるというのに、まるで外界から切り離された異世界へと迷い込んでしまったかのような感覚を与えた。
なまえはまるで歌うようにその独白を終えると、また微笑んで承太郎と目を合わせた。

「あなたの目は少し色みが違うけれど、その輝き方は、義兄と……ジョナサンとそっくりだわ。
あなたは覚えているかしら、あのひとには内緒だけど、わたしね、小さい頃のあなたと会ったことがあるのよ? あなただけじゃないわ、幼い頃のホリィも、ジョセフも、リサリサもジョージも……うふふ、勿論気付かれないようにこっそりね」

その時のことを思い出したように目を細めて笑む顔は、大切な自分の子供たちを優しく抱き締める母そのものの表情。
なぜ彼女がそのような笑みを浮かべるのか分からず、承太郎はその整った太い眉を訝しげにひそめた。
今までの彼女を言葉を鑑みれば、恨まれることはあれど、そのように肉親に向けるような優しげな瞳をする謂れはないはずだ。
理解できないとばかりに眉をしかめた彼をまた愛しくてたまらないとでも言いたげな瞳で見やり、なまえは可憐な唇をほころばせた。

「そう気を悪くしないでちょうだい。
それにしても、ねえ、酷いと思わない? あのひとは決してわたしから離れることはない、離れるのはあのひとが死ぬ時で、それはわたしが死ぬ時だと約束したのに……あのひとが愛してくれたこの身を、わたしが殺すことは出来ないと言ったのに。これであのひとがわたしとの約束を破ったのは三度目。うふふ、次に会ったら、ちゃんと怒らなくてはいけないわね」

困ったように、しかし同時に恍惚とした笑みを浮かべ、なまえは血のように光る赤い目を閉じた。
白皙の容貌は絵画じみていて、まるでそこに確かに存在しているのか疑問を抱くほど。
ともすれば掻き消えてしまいそうなほど儚く、見る者を戦慄させるほどに美しい。

お前が迎えを待つヤツは来ない、そう告げようと開きかけた承太郎の唇は、彼女が腰掛けていたソファから次の瞬間、茫洋と静かに窓辺に佇んでいたことによって、ふいに閉じられた。
大きく目を見開く。
まるで、そう、彼女の「兄」と同じ能力、時を止めて移動したかのようではないか。
纏う柔和で穏やかな雰囲気から戦闘向きではないと思っていたが、兄の敵討ちという可能性もある。
彼の背後に現れたスタンドを見て、なまえは聞き分けのない子を窘めるように苦笑した。

「うふふ、驚いた? 種明かしをすると、わたしのスタンドはあのひとみたいに時を止めるものではないの。対象となる物体、例えばあなただけを停止させるもの。結構、便利なのよ? ティーカップを誤って落としてしまいそうになったとき、カップの時間だけを止めれば割れずに済むんだから」

口元に手を添えてくすくすと笑うなまえは恐ろしく愛らしく、いつでも攻撃出来るように気を緩めず戦闘体勢に入っていた承太郎すら一瞬、呆然と目を奪われるほど。
なまえは花が咲きほころぶような笑顔を浮かべたまま、重厚なカーテンの縁飾りを美しい手でくるりくるりと弄んだ。
その覆いの向こうには、彼女を殺す禍々しい日光が待つ。

「……今アンタに死んでもらっちゃあ困る。財団の奴らも聞きたいことが山ほどあるらしいんでな」
「あら、わたしでお役に立てることがあるかしら」
「オレは知ったことじゃあねぇんだがな……ヤツにスタンド能力を与えた矢とやらの行方、他のスタンド使いの信者共の居場所、吸血鬼の生態、まあそんなところだ」
「そうね、確かにわたしは知っているけれど。ごめんなさいね、承太郎。わたしにはしなければならないことがあるの」

あのひとはあれで結構寂しがりだから急がなくちゃ、と苦笑するなまえは、ほっそりと華奢な手を分厚いカーテンに手を伸ばした。

「っ、待て、」
「きっとジョナサンとエリナは天国へ行ったけれど、ああ、わたしはDIOを探しに行かなくてはならないわ。うふふ、DIOももしかしたら天国にいるかしら? でも、ジョナサンやエリナがいる場所をDIOはきっと天国と認めたがらないでしょうから、まずは地獄に行ってみようかしら。あのひとさえ居れば、わたしは天国でも地獄でもどこでも良いのだけれど。わたしの天国は、あのひとの腕のなかだけだから」

なまえはカーテンに手を伸ばす自分を制止しようとする、承太郎の時を止めた。
上品に小首を傾げ、血のようにぬめる瞳を細めてなまえはまたふんわりと微笑む。

「さようなら、ジョナサンの血統、星の子たち」

甘やかな蜜が溢れ出でて滴り落ちるが如くに、とろけきった表情と声音、見る者全てを魅了する微笑を浮かべ、なまえは重たいカーテンを開く。
百年ぶりの太陽は、彼女の瞳にどう映ったか。
物言わぬ灰の山となった彼女は、再び動き出した時のなか、星の子と呼ばれた男に虚無だけを残してひっそりと物語から退場した。

荊姫は語らぬ

(2014.12.17)
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