(※四部の少し前あたりくらいのイメージ)




ふ、と、目が覚めた。
上手く焦点の合わない目で二度三度とまばたきを繰り返すと、暗闇に慣れた目はうっすらと寝室を映した。
静かな部屋に、エアーリフトのフィルター音がこぽこぽと控えめにそっと響く。
アクリル製の水槽のなか、二人で選んだ観賞魚がアクアリウム用のメタルハライドランプの明かりを反射して、ゆうるりとなめらかに泳いでいた。
カーテンの細い隙間からほんのりと優しい月の光が部屋に入り込んで、なぜだかひどく胸があたたかくなった。

見慣れた寝室のはずなのに、なぜだかとても愛しいものに思えて仕方がなかった。
それは多分、きっと、ずっと不在だったこの家の主が長い研究のための出張からようやく帰ってきて、今こうして一緒にいてくれるからなんだろうと思う。

後ろから逞しい腕でしっかりとわたしを抱き込んでいるその人は、ほんの数時間まで荒々しくわたしを求めてきて抱き潰さんばかりだったというのに、今はとても穏やかに寝息を繰り返している。
――あんなにわたしの身体を酷使してくれたっていうのに、随分と安らかにお休みになっていらっしゃることで。
なんとなく憎たらしくなり重たい腕をなんとか持ち上げ、ぐるりと寝返りをうって後ろを向く。
長い睫毛に通った鼻梁、形の良い厚い唇エトセトラ、造形の美しさを挙げればキリがない。
嫌味ったらしいくらいに整ったきれいなお顔だ。
さっきまで熱に浮かされ獣のようにギラギラと輝いていた瞳は、今は白皙に浮かぶ瞼に隠されている。
なんとはなしにうろんにその美貌に見惚れていると、寝返りをうったときに出来た布団の隙間から冷たい空気が入り込み、思わず首をすくめた。

「……眠れないのか?」

うっすらと開いた青磁に輝く瞳、かすれた低い声。
わたしなんかが到底及ぶべくもない凄艶な色香に、くらりと眩暈のような錯覚に襲われた。

「ごめんね、起こしちゃった?」

心臓に悪すぎる色気に直視出来ず、抱き締めてくる承太郎の首元に顔をうずめる。
三週間ぶりのその熱や香りは、わたしの体をわたし自身本来のものよりも、彼のそれに否応がなしにじわじわと侵食させられていくような感覚を与えてくれる。
彼に染められ占められていく情欲的な喜びに、目を閉じてそっと息をついた。
しっかりした頑強な骨格の男らしい手のくせに繊細でたおやかな指先が、わたしの顔にかかった髪をそっと梳く。

「大丈夫、眠れないわけじゃないよ。いまちょっと目が覚めただけ」

ゆるやかに抱き締められ、肺を承太郎の香りで膨らませる。
独りでは存外広すぎるこのベッドは、図体の大きな彼が横たわればそのポテンシャルを存分に発揮出来ている。

「は、なんだ、足りないのかと思ったぜ」
「ん? なにが」

承太郎が低く笑う。
首元に顔をうずめていたわたしは、その空気が振動するのも、婀娜っぽい喉元が動くのも、はっきりと感じられた。

「あれだけ激しく抱いてしまって無理させたと思っていたんだがな……まだ満足してねぇのかって驚いただけだ」
「……わたしを殺す気か……」

揶揄するようにまた喉奥で笑った承太郎に、惜しげもなく晒された見事な胸板をべちんと叩く。
あれだけ人のこと好き勝手してくれたくせに、よくもまあそんなことが言えたものだ。
腹いせに憎たらしいことを吐く口の端をぐいーっと引っ張れば、わたしの手を外しながら承太郎はまた小さく笑った。
ああ、好きだな、と思う。
胸の奥底から湧き上がるような感情がわたしを覆った。
彼はわたしの前ではよく笑う。
承太郎本人がそれに気付いているかは分からないけれど、少なくとも知っている人はそれほどいないだろう、ただそれだけのことがわたしに甘美な優越感を抱かせ続けている。

やわらかく細められた瞳を見て、まるで時が止まりそうなほどきれいだと、ふと思った。
その光は世界で最も尊い宝石のようでもあったし、夜空にきらめく星々を丁寧に拾い集めたもののようでもあった。

ふいに、目の奥が熱くなった。
無意識にすんと鼻を啜れば、思ったよりも湿っぽい音がした。
穏やかな静謐さに、きゅうと胸が締め付けられるような心持ちがする。
それは不快なものなどでは決してなくて、寧ろ、その感覚が故に、優しい穏やかな陶酔すら覚えるものだった。

ぼんやりとその光を見上げていたわたしを寝ぼけていると思ったのか、承太郎は力強い逞しい腕でぐいっとわたしの後頭部を引き寄せた。

「おやすみ、なまえ」

小さな小さなキスがこめかみに落ちてくる。
世界中の愛を集めてしまったかのような。
うっとりしてしまう、そんな優しい口付け。
わたしという器から許容量を超えて溢れてしまいそうなほど、たくさんの愛情がそこに込められているのを知る。

「おやすみ、承太郎」

もう少しその瞳を見つめていたい、そんな名残惜しい気持ちはあるけれど。
目覚めればまた、あなたと一緒の朝が来る。
夜の空に浮かぶ星のきらめきも美しいけれど、カーテンを開けながら振り返ったとき、朝日を浴びて眩しそうに細められた彼の瞳もとってもきれいだと知っているわたしはそれまで大人しく、あなたの腕のなかで幸せな夢を見よう。

(振り返り上映会初参加記念第2弾)
fall in love with a twinkle in your eyes time after time
(2014.12.14)
- ナノ -