(※IF/死ネタ)




去年は息苦しくなるような重たさの、ぼんやりとした曇天だった。
今年はしとしとと静かに雨が降っている。

空気は湿り気を多く含んでいて、重ね着した服が肌に張り付く感触に顔を顰めた。
左手に持った傘を握り直し、死刑台の階段を登るようにゆっくりと歩を進める。
ぐちゃり、ぐちゃり、と、足元では泥のぬかるむ音が絶えない。

右手に持った花束は、天気のせいか自分の心理状態でそう感じられるだけなのか否か、買ったばかりだというのに、ぐったりとくたびれているように見えた。
それを目の前の墓石に供える。
毎年のことだが、一滴すらも涙は出なかった。
きっとあの日、一生分の涙を流し尽くしてしまったに違いない。
周りには同じような大きさ、同じような形の無機質な石たちが素っ気なく整然と並んでいる。
その大勢あるうちのただの一つだというのに、どうしてこんなにも目の前のものがいつまでも、それこそ何年も自分を捉え続けているのだろう。

目の前には家族やたくさんの友人から捧げられたのだろう、色とりどりの花。
そりゃあそうだ、命日は昨日だったのだから。
あれは一体、何年目のことだったか、毎年毎年暗い顔をして自分達の子供の墓に現れる見知らぬヤツが、親としてはそれほど気味が悪かったのだろうか、強張った顔で「もう来ないでほしい」と告げられた。
その時ほど悔しかったことはない。
声高に叫びたかった。
星の輝く夜空の下、火の番を共にした夜にひっそりと交わした言葉。
仕方ないこととはいえ、スタンドの見えない両親は本当の意味では自分を理解してくれなかったのだと諦めたように、傷付いたように、笑っていたことをあなた達は知らないだろうと。
自分も生まれついてのスタンド使いで、全く同じ境遇だったと告げると、驚いたように目を見開き、そして花が綻ぶように微笑んでくれたことを。
あの約五十日間の旅で、共に笑い、共に泣き、共に戦ったのだと、自分達はかけがえのない大切な仲間で、共に、確かに、生きていたのだと。

本気で唇を噛み締めた。
口の中に広がった錆びた鉄の味に、本能的にあの戦いの日々が思い起こされた。
あの頃は生傷の絶えない日々だったが、今は滅多なことでは血の味を感じることはない。
平和、そう、恐ろしいほどに平和の蔓延する日常そのものだった。
それなのに、どうして、彼女が、なまえが、いないんだ。

「……なまえ」

愛しい少女を失って、なんとも情けないことだが、心の底から死んでしまいたいと望んだ。
代わりに自分が死んで彼女を救えると悪魔にでも囁かれたならば、僕は喜んでこの命を差し出しただろう。

「……なまえっ……」

力の抜けた手から、傘が音もなく落ちた。
何も語らぬ冷たい石の前で、雨に濡れるのも泥で汚れるのも構わず両膝を着く。
誇りをかけて迎えた最後のあの時、何が起ころうとも後悔はないと覚悟した。
心残りがあるとするならば、この旅で心を通わせた愛しい少女と一緒にありふれた゛普通の高校生活゛とやらを満喫してみたかったことくらいかなと小さく笑った。
前を見据えた瞬間、目の前が真っ暗になり――ああ、次の目を開けた時には気が狂いそうなほど真っ白な病室だった。

僕を助けた代わりに、彼女が死んだことを知らされたのは、それから随分と経ってからのことだった。
生きていたのが不思議な程の致命傷を負った僕のことを考えての、承太郎たちの配慮だと頭では理解したはずだった。
しかし、それでも、その時覚えた衝動と憎悪の感情は、生涯胸の最も奥深くに沈めておかなければならないと、上手く働かない頭で必死に考えていたのを覚えている。
あれから何度も繰り返したif。
頭の中で幾度となく浮かぶ「もしも」という仮定が無意味なことくらい、分かりきっている。
それでも、もし、彼女が僕を助けなければ、彼女は、なまえは、死なずに済んだのではないかと考えると。
ああ。
僕はどうして生かされた? どうして今生きている?

止む気配のない雨は、順調に僕の体温を奪い続けている。
昨日、彼らもこの場所を訪れたのだろうか。
旅の仲間の顔が浮かぶ。
彼らも多くのものを失った。
それでも尚前を向き、未来へと進む歩みを止めぬ彼らを心から尊敬している。
それでも、それでも、

「僕はまだ、先に進めそうにないんだ……。なまえ、なまえ、どうか、」

こんな愚かな僕を、あの時と同じ、困ったような笑顔で叱ってくれないか。
神など信じてもいないくせに、浅ましくも何かに縋り祈った。
濡れた服が重たい。
目に入った雨粒のせいで、眼前の石の塊がぐにゃりと滲んだ。

世界を恨むには、得たものが多すぎた。
前に進むには、彼女が足りなかった。
どこへも行けぬまま、ただここで立ちすくみ続けている。

追悼、少年少女の世界の終わり
(2014.09.19)
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