こんな夢を見た。

暗く惨めな貧民街から引き取られ、七年の偽りの友情を過ごしたあの館で、彼女が最も愛した薔薇の庭園になまえは横たわっている。
花々に囲まれ横になった彼女は、静かな声で「もう死にます」と言う。
なまえは丁寧に手入れされた髪を背に流し、頬には内側から上気したように鮮やかに赤く血の色がぽっと灯っており、到底死にそうには見えない。
しかし彼女は静かな声で、もう死にますとはっきり言った。
自分もこれは確かに死ぬなと思った。
そこで、そうか、もう死ぬのか、と上から覗き込むようにして聞いて見た。
彼女の深い黒い瞳に映った自分は、金の髪がよく映え、鏡なんかで見るより尚一層美しさを引き立てた。

「ディオ、死んだら、埋めて。空から落ちて来る星の欠片を墓標にしてね、また逢いに来ますから」

星を? ええ、星を。
その時には、自分は彼女を見ているのか、それとも彼女の目に映った自分を見ているのか分からなくなっているような呆然とした心持ちがして、慌てていつ逢いに来るのかと聞いた。

「月が出るでしょう。それから月が沈むでしょう。それからまた出るでしょう、そうしてまた沈むでしょう。」

ディオ、待っていてほしいの。
百年、月の満ち欠けを繰り返して、百年、待っていて。
きっとまた、逢いに来るから。
祈るように厳かに、それでいてはっきりと意志を感じさせる声音で、なまえは囁いた。

「ああ、待っている。落ちた星を、墓標にして」

そこでやっと、彼女は初めて微笑んだ。
花々に囲まれて安心したように微笑むなまえは、筆舌に尽くしがたいほどに美しい。
黒々とした瞳に鮮明に映っていた自分が、ぼう、と崩れてきた。
ゆらりと自分が消えたと思ったら、彼女の目がぱちりと閉じた。
血のように赤い唇は笑みの形に結ばれたまま、――もう死んでいた。

落ちた星を砕いて、彼女の墓標にしなければならない。
そう思うのに、花の咲き乱れる庭園を包む、胸をあたたかく満たすような芳香に、くらりと重力に誘われ倒れ込みそうになるほどの酩酊感を覚えた。
その甘美な誘惑のままに倒れると、周囲は冷たい海のなかへと変わっていた。
海に沈む、水面が上に上にと登って、否、己が下へ下へと降りて行く、その懐かしい感覚に、そういえば以前も感じたものだったなと嘆息する。
内臓を拳でぐっと握られ引きずり下ろされるような不快感は、未だ忘れずに積載される。
抗うこともせず唯々ゆるやかに沈むまま、己の口の端から零れた小さな空気のかたまりを見送り、遥か頭上の光がますます遠くなり、ぼんやりと白んだ明かりの欠片になったところで、突然、無理に浮上したかのように意識が戻った。
まず酸素が身体を襲った。
そもそも生命を維持するために酸素を必要とするわけではなかったが、それでもその存在は意識の外で否応なしに肺を膨らませる。

大きなベッドに横たえていた上体を起こすと、ぐらりと視界が霞んだ。
その不調も次の瞬間には忘れてしまうほどすぐに収まり、砂漠の国の夜特有の乾燥した冷たい風が肌を撫でた。
日光を厭う彼のため、館全体が影のような分厚いベールに包まれた薄暗いここで、DIOは更に濃い闇を求めた。

つう、と、頬を冷たいものが流れる。
海の香りがした。
それを自分の指でなぞると、ぽたりと手のひらに雫が落ちた。
冷たい雫にそっと口付けた。
そういえば、なまえの肌も血も蜜も豊潤なワインのように甘やかで、自我すらも曖昧になり溺れてしまうのを危惧するほどに陶酔させるものだったが、涙だけははっとするほど塩辛かったことを思い出す。
永い間、満たされぬ焦燥を訴え続けていた舌をとうとう潤した雫は、花園の下で眠る、甘やかな彼女そのものだった。

あれから、ちょうど百年経ったのだ。
そこで彼は初めて気が付いた。

夢一夜

(夏目漱石『夢十夜』(1908)より「夢一夜」)
(2014.09.10)
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