海のように広いベッドにその身を横たえて、DIOはなまえの髪を梳く。
彼が海の底より蘇ってからまずはじめに望んだのは、この腕に抱く彼女を探し出すことだった。
自らの手によって吸血鬼となった彼女が、百年近くもの長きにわたって無事か否かなど分かるはずもなかったが、なまえはまだこの世界に存在しているとDIOには奇妙な確信があった。
それは希望や願望などではなく文字通り確信であり、そして実際に彼は百年近くもの時間を経てその腕にただ唯一と愛したなまえを手にした。

エジプトのカイロの館でなまえを愛でる日々は、彼にとって、また、彼女にとっても同じように至福のときで。
豪奢なドレスを脱ぎ捨て、さらりとした布地の簡素なナイトドレスを着ただけのなまえは、百年間震えながらこのときを待っていたのだと、男の首に指を這わせた。
その指先を甘受しうっとりと溜め息を吐いて、DIOは彼女の唇に己れのそれを重ねる。
まるで彼のためだけにつくられた供物のように、なまえの唇は甘やかにほころぶ。
じゃれるようにその行為を続けていると、DIOは吐息すら飲み込むほど近い距離で重々しく呟いた。

「――そういえばなまえ、ジョジョの子孫が見付かった」

ぽつりと落とされたその言葉は、なまえの心に波紋のように模様を描いて乱した。
彼女は濡れた唇を微かにふるわせる。

「ジョナサンの、子孫……?」
「ああ、孫に当たるジョセフ・ジョースターと、更にその孫の空条承太郎だそうだ」

苦虫を噛み潰したように顔を歪め、それでも口元だけは嘲笑うように口角を上げてDIOは吐き捨てた。
まるで運命のようにジョースターの血は自らの道に立ちはだかる。

「……そう」

腕の中の彼女はそれだけを言うと、彼の腹の上に馬乗りになった。
下から見上げる彼女は百年前と変わらず震える程に美しく、DIOはなまえの冷たい指先に恭しく口付ける。
このなまえはDIOに相応しいのが当然であるように、DIOは彼女にとってのただ一つであり、全てだった。

「ねえ、DIO」

甘やかな蜜が溢れ出でて滴り落ちるが如くに、とろけきった表情と声音で囁く。
女がこの顔を見せるのも、ましてやそんな表情を形づくることさえも、知っているのは自らしか存在しないと痛い程に熟知している男は、その途方もない愉悦にぞくりと肌が粟立つのを感じた。
彼女は誰にも言えない秘密をこっそり告げるように、笑みを浮かべる。

「ねえ、DIO。もしわたしが狭く閉ざされた棺の中で、なにも見えず、なにも聞こえず、百年の眠りに就くことになってしまったら、きっとわたしは耐えることが出来ないわ、きっと狂ってしまうでしょう。――でもね、あなたに触れられたこの身体を持って、あなたの思い出、記憶を抱いて、あなたを求め待つだけの百年も、同じくらい怖ろしいものだっていうことを、あなたは理解しているかしら」

愛しげに、白磁のように輝くその頬を撫でていた手が爪を立てる。
すると男の頬から血が幾筋も流れた。
その軌跡すらもこの世のものとは思えぬほどに美しく、女は目を細めてまたうっとりと微笑んだ。
なまえはそれを舌で受け止め、すぐに癒えてしまった傷に小さく口付けた。

「わたしが言いたいことはね、DIO。もしまたわたしを置いていくようなことがあったなら、わたしはもう耐えられないと思うの。あなたを求めて何をするか分からないし、そんな自分がただ恐ろしくもある。
そしてなにより、」

芸術品のように整った腹に乗っていたそこからにじり寄って胸元に移動し、痛々しげな傷痕の残る首に手を掛ける。
その顔は先程のまま甘美で、そして声は優しく、母が子を抱いて子守り歌を聞かせるよう。

「――そしてなにより、そんな愚かなただの醜い女に成り果てたわたしを、あなたに見られることが死ぬことより恐ろしいの。
そんなわたしを見てあなたが失望することがなにより、そうね、例えば明日世界が滅んでしまうことより、全ての人間が死に絶えてしまうことより、わたしはそれが怖い」

何か言いかけようとしたDIOの厚い唇を細い指でそっと押さえて封じ、世界を天秤にかけて愛を謳うなまえは、尊く優しく微笑んだ。

「だからね、DIO、約束してちょうだい。その時はわたしを殺して。わたしはきっと耐えられない。でも、あなたが愛してくれたこの身を、わたしが殺すことは出来ない。だから、だから、どうか、あなたの手でわたしを、きっとよ、
――殺してね」

そう歌うように囀ずるなまえを抱き上げ、反転しシーツに押し付けて、DIOはその華奢な肢体をきつくきつく抱きしめた。

「神ではなく、このDIOにかけて誓おう。私はお前から離れぬ、殺すこともない。なぜならば、離れるのは私が死ぬ時で、そしてそれはお前が死ぬ時だからだ。死は私達を別つことはない。
死して尚、お前から離れぬことを私は誓う」

まるで婚姻の宣誓のように告げ、愛らしくほころぶ唇に己のそれを捧げる。
彼女は神というものを信じてはいなかったが、もしそれが存在するのならDIOのようなものだろうと考えていた。
遠い過去、イギリスの暗く薄汚れた貧民街から自分を掬い上げてくれたのは、神などではなく、目の前でいっそ真摯なまでに自分を射抜く赤い瞳のこの男だった。

「あなたが愛してくれたこのわたしにかけて誓うわ。わたしはあなたから離れない、殺されることもない。なぜなら、離れるのはあなたが死ぬ時で、そしてそれはわたしが死ぬ時だから。死はわたしたちを別つことはない。
死して尚、あなたから離れないことをわたしは誓います」

そして同じように可憐な唇を重ねる。
その瞬間、二人を包んだのは紛れもなく幸福であり、万能感であり、途方もない悦楽の極みだった。

「うふふ、もし天国があるなら、ここかもしれないわね」
「私も同じことを考えていた」

その後はもう、二人がひとつになってしまうかのような深い口付けの音しか響かなかった。
もうしばらくしたら、衣擦れの音と、睦み合う淫らで甘やかな嬌声しか聞こえてこなくなるだろう。

――星屑の十字軍が、日本を発つ数ヶ月前のことだった。

荊姫は眠らぬ

(2014.06.17)
- ナノ -