「――っ!」

突如、電子音が鳴り響いた。
眼前の飼い主のこと以外、すっかり意識から消え去っていたに違いない――大仰なほどなまえはびくっと肩を揺らした。
跳ねた拍子に傍らへ放られていたサングラスへ手が当たってしまい、最前、張が外したばかりのそれは、かしゃんと軽い音を立ててベッドの縁から落下する憂き目を見た。
ぱちぱちまばたきしているなまえの顔には、至極わかりやすく「びっくりした」と書いてあった。

張は揶揄まじりに「驚きすぎだろ」と笑いながら、覆い被さっていた上体を起こした。
ベッドに押し倒され、とっくに女の顔をしていたなまえを見下ろした。

「銃声よりコール音の方が耳慣れないか? お前は」
「……はやくお出になったらいかが、旦那さま? あまりお待たせしては可哀想です」

赤らんだ頬を膨らませて、なまえは着信音リングトーンの鳴りやまぬ携帯電話を進じた。
お互い衣服に目立った崩れはないものの、ふたりして倒れ込んだ寝台は既にいくらか乱れていた。
折角、旦那さまがふれてくださっていたのにと口惜しく思いながら、しぶしぶなまえも起き上がった。

扉からベッドへと至る床には、黒い上着やら白いヒールやら、点々と散らばっている。
仕方なくなまえは張の下から抜け出し、電話中の主を邪魔しないよう静かにベッドから降りた。
素足のままそれらを回収し、上等な黒い上着をハンガーへかけた。
サングラスも傷が付いていないかめつすがめつし、ナイトテーブルへそっと置いた。
脱ぎ散らかした靴を行儀良くベッドサイドへ揃えると、やおらなまえは張の身へもたれかかった。
ぐずるように肩口へ頭を擦りつける。
そのまま、すんと嗅げば、主の体臭、香水、煙草の入り混じった、彼女にとって最も情感の根底を揺さぶる香りが嗅覚を埋めた。
圧倒的な多幸感に襲われたのは言うまでもない。
しかし同時に、飢餓感にも似た衝動にじりじりと焼かれているような心地もする。
先程までの戯れによりともされた火が、情感のみならず肉体の奥底でくすぶっていた。
なまえは昂揚を静めるため、あるいはぶつけるためか、張の身へ一際強くすがりついた。

とはいえその程度でまどい、仕事の電話を放り出してくれるような飼い主ではない。
ヘッドボードに泰然と背を預けた張は、なまえの甘ったれた児戯を片手でなしつつ、浅く息をついた。

「――大哥?」
「ん、いやなに、こっちでちょっとな」
「お邪魔してすみません。急ぎじゃあないんで後でかけ直しますか」
「いんや、構わんさ。……それで? 聞きゃあ本国のなかだけで済む話だろうよ、どうしてわざわざこんな別天地までお声がかかった?」
「それが――」

どうやらごろごろと擦り寄るのにも飽きたらしい。
張の両脚をまたいで、なまえが上へ乗っかってきた。
会話はめぬまま、彼は電話を持ったのと反対の手で女の華奢な腰を撫でた。
なまえのしっかり着込んだ禁欲的なワンピースは、ひとつふたつ背中のボタンを外しただけだ。
部下からの電話は、喫緊の案件でも、いますぐ動かねばならない重要事でもない。
更に外してやるか、それとも留め直してやるか。
至って普段通り洒脱な口ぶりで部下と通話しながら張がどちらにしようかのんびり逡巡していると、彼が答えを出すよりも先に、なまえの細い手が伸びてきた。
衣擦れの音を立てないよう慎重にネクタイをほどかれる。
黒いそれに映える白い手は魔法のようになめらかに動き、今朝方、自分が締めたネクタイを我が物顔で奪い取っていった。

「ふふ……」

かすかな笑い声がしとねに落ちた。
張はおのれの腿上に乗っかったなまえを、上目に眺めた。
主人のネクタイを奪った女は、次なる目標をシャツに定めたらしい。
ついさっき中断されたときには頬を膨らませていたくせに、いまは上機嫌で張のシャツのボタンを外している。

それはそれは楽しげに男の衣服を暴くなまえを、この程度で機嫌が直るのならば安いものだと、電話口での会話はそのままに張はやりたいようにさせていた。
が、たおやかな手が下肢まで伸びてきたときに見咎めてやれば良かったのか。

なまえが浮かべているのは、少女と見まがうほどに清純な笑みだった。
しかしながらその繊手せんしゅは末恐ろしいほど手際よく彼のベルトを奪い取り、いつの間にかトラウザーズまでくつろげていた。
厚い身体にぴったりと上体を重ねたかと思えば、密着したままずるずると下肢へ下りていく。
極上の肢体、とろけるようにやわらかな肉の感触、平素より高い体温、そしていまを盛りとばかりに香る白百合が、猛毒のように男の脳髄を痺れさせた。

張の両脚の間でうつ伏せたなまえは、彼の太腿にぺたりと頬を預けた。
逞しい足を枕にした女が濡れた瞳で飼い主を仰ぎ見、煙が立ち上るようにゆらりと細顎が差し伸べられた。

飼い主が「待て」をめいじれば無論大人しく従っただろうが、残念ながらそれより先んじてなまえの目が、にんまりと弧を描いた。
その虹彩にハートマークが浮かんでいたような気がする。
通話中の張が制止の声をあげるより先に、握れば砕けるやもとよぎる細い指が下着をずらし、蠱惑的な桃色の唇が、ゆるく勃ち上がりつつあった肉棒の先端にキスを仕掛けた。

「んむ、……はぅ……!」
「ッ、」

ちゅ、ちゅっと可愛らしい口付けは、しかしすぐに淫らなものへと変貌した。
エラの張った亀頭が口腔に包まれた――たっぷりの唾液と共に。
火傷しそうなほど熱い口腔粘膜くちのなかへ迎え入れられ、張は思わず息を詰めた。
電話を握る手がわずかに強張った。

「大哥? やっぱり後回しにしておきますか。幸い、大哥の判断を仰ごうってのも直接の指示じゃあねえんで」
「っ、いや、話はわかった。帰責事由までこっちにおっ被そうって魂胆が見えるのが気に食わんが……一旦預かろう、上へは俺から話を通しておいてやる」

いまのところ通話相手の部下には悟られてはいないものの、それも一体いつまで保つやら。
張は電話を握ったのと反対の手でなまえの頭をつかんだ。

「ん、……ぅふ……」

口吻が離れ、女のみだりがましい吐息が漏れた。
しゃぶるものを取り上げられた赤子がぐずるように、否、そんな可愛らしいものではない、薄く開いた唇の奥でやわらかくうごめく赤い舌が、硬度を増した肉竿へ伸び、これ見よがしにねっとりと絡んだ。

張は苦々しく口の端を笑みの形に歪めた。
眼下の光景は、淫水焼けしたように赤黒い、グロテスクなまでに膨れ上がった雄の肉棒と、砂糖菓子以外はふれてはならないようなちいさく愛らしい唇とのあからさまな落差のせいで、見る者へ背徳感すらもよおさせるものだった。
あの誇り高い金糸雀カナリアが口を開いて男のものに奉仕しているさまは、直接的な刺激は勿論、なによりとかく目に毒である。
下腹に重怠い熱が溜まっていく。
意思とは関係なく内腿に力が入り、引き攣れた。

「ん"ぅ……! ッ、はぁ……おっきい……」

耳にすれば胸焼けか頭痛でも起こしてしまいそうなほど甘ったるい嬌声が、恍惚の溜め息と共に吐き出された。
一応、電話中の飼い主を慮ってか、ごくかすかな囁きだ。
しかしいま彼女が纏っている、筆舌に尽くしがたい淫猥な空気は、電話の向こうにすら届いてしまうのではないかと愚かな懸念が湧き起こる程度にははなはだしい。

頭を押さえられて諦めるかと思いきや、なまえは悩ましげに息を吐いて、硬い肉杭を、ちゅ、ちゅっと軽くついばみながら根元へと唇を下ろしていった。
根元を丹念に舐めていると、膨れ上がった剛直がぴくっと揺れる感触がした。
それを視覚ではなく直接唇で感じて、なまえは一層嬉しそうに瞳をとろりと潤ませた。
更にその奥、会陰部へ可憐な舌先を伸ばした。
陰嚢を唇で咥えてゆるくしごく。
ちいさな舌先で軽くくすぐるように、蟻の門渡りと呼ばれるそこまでをも舐めれば、熱く滾った肉棒がびくびくっと脈動した。
あやすように、焦らすように、一舐め、二舐め、ゆっくりと会陰をなぞった。

大量に分泌された唾液を塗り込めるように、にゅぷ、ぬちゅっと執拗なほど丁寧にねぶられれば、とうとう張は耐えきれず、熱く湿った息を荒く吐き出した。
彼は、歪んだ口角が自嘲めいて吊り上がっているのを自覚した。
股座で揺れているちいさな頭を力任せにつかみ、容赦なくがつがつと喉奥まで突き立てたい、無理やりしごいてやりたいという欲求、衝動に襲われていた。

「ッ、は、ぁ……なまえ、」
「んくっ、ん"っ! ふぅ……っ」

頭上から張の吐息と呻き声とが途切れ途切れに降ってくる。
その声になまえはどろどろにとろけた笑みをますます深めた。
口元どころか、楚々としたかんばせまでべとべとに汚しながら口淫に溺れてしまう。
ゆるやかになぞり舐めていたそこを、ふいに自らの唾液ごと、ずぢゅっとすこしだけ強く吸い上げると、男の逞しい脚が揺れ、色香を纏った低い声をまたたまわった。

主人の反応になまえは嬉しそうに目を細めた。
なまえの口唇はその可憐さとは裏腹に、とうにたっぷり躾けられ、硬く勃起したソレを見るだけで唾液を分泌してしまうものだった。
意思とは関係なく独りでに顎が重怠くなり、堪え性のない口の端からパブロフの犬もかくやとばかりに溢れた唾液がだらしなく垂れる。
淫蕩極まりない条件反射に促されるまま、再びなまえは喉奥まで屹立を迎え入れた。

「ン"っ! ぅ、む……ん"ッ、んぅっ……ぐ、ぁむ、っ」

愛おしくて堪らないと言わんばかりに、手を使わずに口唇だけで献身的に奉仕にふけった。
淫楽に潤んだ上目遣いは、飼い主から視線を逸れることはない。
大きく膨れ上がったペニスを喉奥まで深く咥え込み、輪郭を辿るように舌を裏筋に這わせる。
そのまま、張り詰めた血管の浮いた縦溝を舌腹でねぶる。
そうして舌全体をぴったり肉胴に付けたままねっとりと吐き出せば、粘度の高い唾液がとろぉっ……と糸を引いた。

一から十まで、張が最も気持ちの良い、張が最も快楽を得るための動きだった。
一挙一動、寸分たがわず、張だけのための媚態、張だけのための女――なまえの極上の手練手管は、この世で最も張維新チャンウァイサンを追い詰めるのに特化していた。

思わず腰が浮き、張は奥歯を噛み締めた。
度数の高い酒を一気にあおるのに似た、体中をカッと熱くする酩酊感に襲われ、我知らずごくりと喉が鳴った。

なまえはますます喜色たっぷり、蜜も滴らんばかりに瞳をとろけさせた。
平生、従容自若しょうようじじゃくなさまを揺るがせもしない張維新チャンウァイサンという男が、顔を歪め、息を荒げている。
そんな飼い主を仰ぎ見ていると、甘い喜び、幸福感すら沸いてくるものだった。
そうさせているのは他でもない自分なのだ。
ならば「もっと」と望んでしまうのも当然だろう。
とろけきったなまえの意識には「もっと感じてほしい」「もっとわたしで気持ち良くなってほしい」と、それ以外のことを考える余地などなくなっていた。

「ん"む、ッ……〜〜っ"! ん、ん"っ」

くぐもった嬌声が断続的に漏れ出る。
酸欠のせいで意識がふわふわと霞んだ。
苦しい。
苦しいけれど、喉奥を圧迫されるのが堪らなく気持ちいい。

なまえの口腔粘膜くちのなかは、とうの昔に性感帯のひとつとなり果てていた。
口内は勿論、身体中が、なかんずく腹の奥が熱くずきずきと疼いてしまう。
快楽を与えているのは彼女の方だというのに、ふれられてすらいないのに、なまえの意思とは関係なく、勝手にきゅうきゅうと収斂している下の口が、こちらにも咥えさせろと恥知らずにねだり潤んでいた。
履いたままの下着が自らの体液で濡れ滑るのを感じて、なまえはぎゅっと目を閉じた。
雑に喉を突かれると、主の快楽の道具になったようで、揺らされた脳髄が加速度的に煮崩れていく心地がする。
着実に蓄積していく淫らな疼きからなんとか目を逸らそうと、なまえは尚もって口淫奉仕フェラチオに没頭した。

先走りと唾液によって、ぬらぬらと下品なまでに濡れ光る極太の肉茎が女の桃色の唇から出たり入ったりを繰り返す。
先走りの量がわずかに増え、慣れ親しんだその味が濃くなった。
思考するまでもなく感覚的に覚え込まされた射精の兆候を感じ、なまえは一層深く雄を咥え込んだ。
ごちゅごちゅと喉奥を性器のように犯され、生理的反射で涙がこぼれた。
舌の付け根で亀頭をなぶる。
肉笠が膨れ、ただでさえ圧迫されていた咽頭が苦しげに引き攣れた。
荒っぽく喉奥を突き上げられたかと思えば、――どぷっ! と音が聞こえそうなほど勢いよく、彼女の待ち望んでいた白濁がとうとう口内へ放たれた。

「〜〜ッ、……ッ!」

喉を叩く精液の感触に、びくっ、びくっと身体を波打たせるさまは、まるでなまえの方こそ絶頂に達してしまったかのようだ。
雄の生臭い灼熱汁が、咽頭を開いていたせいで食道へ直接流し込まれる。
ろくに声もあげられないなまえは、苦く、青臭い白濁液が、味覚や嗅覚を塗り潰さんばかりにどくどくと注がれるのを、発作のように狂おしく肌を波打たせながら受け留めていた。

いつもの淑やかに微笑んでいる金糸雀カナリアの姿からは想像も付かない嬌態きょうたいを見下ろしながら、張は荒く息をついた。
乱れて額へかかっていた前髪が鬱陶しく、乱雑に掻き上げた。

次いで、なまえの細い顎をつかんだ。
射精された衝撃でひくひくと下肢をわななかせている女は、未だ忘我の境地から戻れずにいるらしい。
伏せていた顔を上げさせられ、なまえはまたびくんっと跳ねた。
乱れた黒髪の隙間から覗くのは、すがるような、甘えるような、媚びた犬のような目だ。
紅潮した頬はまるく膨らんでいる。

張が緩慢に頷いてやれば、濡れた瞳が嬉しそうに弧を描いた。
許可を得た細喉が、こく、こくっと鳴った。
精飲の間、なまえは陶然と微笑んでいた。
まるで世界から彼以外のすべてを忘れてしまったかのような笑みだ。
至福に満ちた表情は、惚けてどろどろにとろけきっていた。
その表情がどれだけ男の支配欲と嗜虐欲を満足させるのか、理解してさらしているのだろうか。

ややあって粘つく欲望の塊を嚥下しきったらしいなまえが「……っ、ぷはっ」と精液臭い息を吐いた。
限界を超えて喉を開いていたせいだろう、生理的に嘔吐えずき、涙目で咳き込んでさえいる。

「……ッ、お前な……」

未だ整わぬ呼吸のまま張は嘆息した。
言いたいことは大いにあったが、出てきたのはその呻き声だけだった。
射精直後とはいえいつも以上に脱力している主に、なまえはきょとんと首を傾げた。

「……っぅ、きもちよく、なかったれすか?」

快楽から脱しきれてはいないものの、あどけない面持ちで問う彼女は、張を閉口させしめた。
確かに気持ち良かった――気持ち良かった、が。

「……電話してただろうが」
「でも、はじめのほうで、お電話は……おわっていたでしょう?」

執拗に奉仕にふけっていたせいか、口唇が痺れているらしい。
なまえは「おしごとのお邪魔はしたくないもの」と舌っ足らずに吐いてみせた。

セリフはいっそ純真さすら感じさせるほどに邪気がなく、張に再度、大仰に溜め息をつかせた。
確かに部下とのやりとりは十全に終えて早々に電話も切り上げていたものの、そうせざるをえなかった原因は他でもないなまえである。
どの口が言う・・・・・・となじってやりたい心地だったが、とりあえずまずは、唾液でべったりと汚れきってしまった白いワンピースを脱がしてやることから始めようかと、女の火照った肢体を再び引き摺り倒した。


(2020.06.24)
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