午前中は少し雲が多い程度だった空模様も、いつの間にか強い雨へと変わっていた。
読んでいた本から顔を上げ、暗く重たい色をした空を伺う。
みんな傘を持って出たかなあ、バスタオルを用意していた方が良さそうだと苦笑した。

食べかけのケーキと程よく冷めた紅茶に手を付けながら、静かで穏やかな一人の空間を満喫する。
正確には棺桶のなかにDIOさんがいるからまるっきり独りという訳でもないけれど。
たまにはこうしてゆっくりと本を読むのも良いなあと、頂き物のショートケーキを緩んだ頬のまま一口含んだ。
また活字の羅列に目を戻そうとしたところで、玄関からガチャリと音が聞こえた。
……あれ、こんな時間に帰ってくるなんて。

「ただいま、なまえー、いるか?」

バスタオルを持ってぱたぱたと玄関へと向かえば、少しだけだけれど案の定濡れてしまったらしいディエゴくんが、鬱陶しげに頭を振って水滴を飛ばしていた。
玄関が汚れるからとやめさせながら、タオルを渡しておかえりを言う。
きらきら光る髪と、うっすら付着した水滴がとてもきれいだ。

「随分早かったんだね」
「ああ、屋内でも馬の身体が冷えるし、雷が結構鳴ってたからな。早めに帰ってきた」
「そうなんだ、こっちは雷は鳴ってないなあ、雨はさっきより強くなってきたけど」

頭を乱雑に拭きながら部屋を見たディエゴくんが、その澄んだスカイブルーの目を瞬かせる。
そうだよね、そんな反応するよね。

「誰もいないのか?」
「うん、珍しく。あ、DIOさんは棺桶のなかにいるよ」
「吉良やプッチはともかく……カーズは?」
「柱のみんなでスイパラ」
「女子か。あいつなら自分で作れるだろ」
「うーん、いろんなスイーツをちょっとずつたくさん食べたいって」
「女子か! ディアボロは?」
「深くは聞いてないけど、親衛隊の人たちが用があるってドッピオくんと一緒に連れてっちゃった。スクアーロさんとティッツァーノさんが手土産でケーキくれたの! みんなの分もあるよ」

いろいろ種類があったけれど、一番の特権でわたしがショートケーキ食べちゃった、と食べかけのそれをもう一口頬張る。
二人が持ってきてくれたのは有名なスイーツ店のもので、甘ったるすぎるものはそれほど得意じゃないわたしでも、そりゃあもう美味しく頂いています、スクアーロさんティッツァーノさんありがとう。

自分が聞いてきたくせに、ふーんと気のない返事のディエゴくんに首を傾げる。
もしかしてショートケーキが良かったのかなあ、それなら悪いことをした。
でも我慢できなかったんだもん……折角だから優雅にひとりで読書しながらお茶したかったし。
口の端についてしまった、わたしの好みどんぴしゃなさっぱりと軽い生クリームを舐め取る。
横に座るディエゴくんをそろりと見やると、至近距離でガン見していた。
やっぱりショートケーキが良かったのだろうか。
それにしてもいつも思うのだけれど、うちの人たちはみんな距離感というかパーソナルスペースがおかしいんじゃないだろうか。

「なまえ、一口くれ」
「ええー……」
「オレのやつ、あとで分けてやるから」
「それなら! 喜んで!」

もう残り少ないけれど、フォークで一口取って口元にはいと運ぶと大人しく食べ……って、何しているんだこのひと!
逃げようとしたところで頭ががっちり固定されていた。
ディエゴくんはわたしが差し出したケーキを口に含んだかと思えば、そのままわたしを引き寄せて無理やり口付けてきた。
咄嗟のことできちんと受け止められなかったおかげで、口周りは生クリームやらスポンジやらでぐちゃぐちゃである。

べたべたしたあまりの不快感に声を荒げようとしたけれど、そのままお構いなしに深いキスはたっぷりと続く。
気付けば押し倒されていて、うっすら目を開けばディエゴくんのきれいなお顔の後ろには見慣れた天井。
あまりに自然で手慣れたその動作に溜め息をつきたいところだけれど、それすら許されない。
唇をくっ付けたり離したり、かと思えば口のなかを執拗に動き回る舌は、ケーキを舐め取っているのかわたしを食べようとしているのか分からないほどで、わたしに息をつかせてくれる暇も与えてくれない。
呼吸がままならずじわりと浮かんだ涙のせいで、ぼんやりと視界が滲んだ。

体温で溶けかかって、顎に垂れた生クリームの感触が気持ち悪い。
首にまで垂れかけたそれを、やっと唇を解放してくれた舌がなぞって、舐めて、代わりにと唾液を与えられる。
強制的に与えられるそれに抵抗しようとしたところで空しく、安っぽい電気の下で淡く光り輝くベビーブロンドの髪をくしゃりと乱すだけにとどまった。
それはまるで、もっともっとと行為をねだるよう。

「随分とお楽しみのようだが、お邪魔だったかな?」

揶揄するような色を含んだ楽しげな声が突然降ってきて、ぐったりと顔を向ければ棺のなかで眠っていたはずの、今わたしに乗っかっている人と同じ顔をした吸血鬼が上半身を起こしてこちらを見ていた。
助けるわけでもなく、ニヤニヤと卑しく笑みの形に歪んだ口がにくたらしいけれど、それすらもきれいで本当に腹立たしい。

まばたきした次の瞬間には胡坐のDIOさんの脚の間に収まり、後ろから抱き込まれていた。
一瞬で状況を理解したディエゴくんの忌々しげな舌打ちが、盛大に部屋に響いた。
窓をちらりと見れば、外は分厚い雲と激しい雨、夜のように真っ暗な空に遠くの方で一筋雷が走った。

荒い息をなんとか整えようとするけれど、有無を言わさずDIOさんの指に顎を掬われ、上を向かされて唇が降ってくる。
真上を向いてのキスは本当に苦しくて、自分の唾液すら上手く飲み込めやしない。
ぐちゅり、と、いやらしい音が響いた。
このふたりはキスでわたしを殺すつもりなのだろうか。

DIOさんとディエゴくんは同じ顔だというのに、口のなかを我が物顔で蹂躙する舌は、厚さも、温度も、動きも違う。
鋭い牙がわたしの皮膚を傷付かない程度に唇をなぞるゆっくりさだとか、舌と舌が離れる瞬間に、名残惜しげに先端でくすぐるように一舐めする動きだとか。
酸欠で死んでしまうんじゃないかと、ケーキのスポンジのようにふわふわする思考のなかで考えていると、取り敢えず満足したらしいDIOさんは唇をやっと放して「甘いな」と呟いた。

息が苦しく、視界もあやふや。
酸欠で頭痛も僅かにする。
目を開ける気力すらなく、目を閉じたままぐったりとDIOさんの厚い胸に背中を預けていると、正面に座ったディエゴくんがわたしの脚をつかみながら文句を言う。
正直それどころじゃないわたしは荒く呼吸を繰り返すだけで、二人がなにを言っているかほとんど認識できなかった。
正常に働いていない頭で、まだ微妙に頬に付着している生クリームの気持ち悪さを思い出して、目を閉じたまま眉をしかめる。

「まったく、行儀の悪いことだ。なまえも可哀想に」
「うるさい。そもそもお前に言われたくないな」

DIOさんの手がわたしの身体を、蛇のようにゆっくりと這う。
腰を撫で、脇腹を辿って、鎖骨をかすめ、首を手に収めて頸動脈をなぞる。
大きな手にわたしの首は簡単に収まる。
小さく声を上げて、嫌々をするように身をよじるけれど、そんな抵抗はDIOさんにとっていわゆる無駄無駄というヤツで、されるがままに口の端からだらしなく漏れる涎を拭うことも出来ず、薄く白む視界に溺れた。

薄い皮膚のすぐ下を流れる太い血管をなぞる戯れに満足したのか、ようやく首を解放した手はするりと汚れた口元と頬を拭う。
その慰めるような優しげな手付きに、ディエゴくんに掴まれたままの膝が小さくふるえた。

腹の奥底で燻るような熱が、身体中をまわる。
その熱から助けてほしくて、すがるように頬に添えられた手を力なくつかむ。
濡れたように光る赤い目が愛しげに細められ、視線でわたしを容赦なく嬲る。

「ところでなまえ、ケーキのおかわりは?」
「は、え、あ……んぅ……っ、」

口元に差し出されたその人差し指には、もうしばらくは口にしたくないと思った矢先だったというのに、忌々しい生クリーム。
テーブルを見れば、見る影もなく無残に形の崩れた哀れなショートケーキ。
問答無用で口に突っ込まれたDIOさんの指に口のなかを暴かれ、ディエゴくんに力の入らない脚を広げさせられながら、強く心に決めた。

取り敢えず二人をひっぱたいたあと、ディエゴくんだけじゃない。
DIOさんにもケーキをもらおう、絶対。

メイヴェリ・ペティフール
- ナノ -