「ねェ、なまえ、聞いてる?」
「ええ、聞いていますよ」
「んもう、なまえったらあんまり会えないんだから、今はちゃんとあたしの相手をするんでしょう?」
「そうですよ、こうして大統領夫人とご一緒させていただくの、とっても光栄です」
「あァん! もう! なまえッ!」
「はいはい、夫人じゃなくてスカーレットですね、分かってますよ。それにしてもこのお茶、美味しいですねえ、わたし好きです」

ね、スカーレット? と首を傾げれば、大統領夫人は一気にご機嫌になった。
感情の起伏が少々激しいように思われるけれど、彼女はとても魅力的だ。
その笑顔を見ていると、大抵のことは許せてしまうんだから不思議。
スカーレットさんの話す面白いお話を、ニコニコしながら聞く。

いつも通り荒木荘の狭い部屋に居たところをどじゃあぁ〜んと現れたファニーさんに拉致され、どうしたのかと目を白黒させていたら、なんてことはない、奥さまが会いたがっているとのことだった。
それならそうと最初に言ってくれたら良かったのに。
わたしだってこんなに驚かずに済んだはず。
突然D4Cに抱き上げられ、びっくりして声も出せずにいたところを連れてこられたけれど、目の前で嬉しそうにニコニコしているスカーレットさんを見ていたら、まあいいか、と、文句を言う気力も失せてしまった。
心残りというか心配事といえば、こっちに来るときテーブルを挟んで目の前に座っていたディアボロさんが、移動する際にちょっと巻き込まれて壁に恐ろしい音を立てて頭突きしていたことくらいかな……。
……無事だと良いんだけど……。

わたしを拉致した張本人はといえば、どうしても片付けなければならない所用が残っているとかでご不在だ。
普段はセクハラ行為ばっかりしているせいで忘れがちだけど、偉い人なんだよなあ……。
今更ながらに、自分の周りのひとたちの凄さにこっそり溜め息をつく。

「あっ、そうだ、なまえ。この前買い物をしてたらあなたに似合いそうな服があって買っちゃったのよ。着てくださる?」
「えっ、そんな、」
「あァン、遠慮なんて勿論しないわよね? あたしがしたくてしたんだもの」

えええぇとあたふたしていたら、いつの間にかメイドさんが大量のお洋服を準備してくれているところだった。
こうして服をもらうのは初めてじゃないけれど、申し訳ないという気持ちはなくならない。
あたしが持っていてもサイズ違いだし勿体ないわと言われ、しぶしぶ頂く。
彼女ほどのひとが、わざわざ外に出て買い物をすることなんてあまりないはずだ。
多分、わたしのために買ってくれたのだろう。
そう思うと無下に突っぱねることなんて出来ない。
……ただし分かりにくいようにこっそり混ぜてあった、なんだかものすごく露出度の高いものは、折角ですがと丁重にお断りさせていただいた。
なにあの、ウチの一部住人たちに勝るとも劣らない衣裳みたいな布キレ……。

ぶーぶー文句を言うスカーレットさんにせめて今着て見せてくれと言われると、いつもの財政難で新しい服が買えなかったところに、わたしの好みをしっかり把握している彼女からたくさんの服を頂いてしまった手前、強く拒否できない。
仕方なく着替えることにした。
勿論、せめて比較的露出の少なそうなものを選んで。

「アーーーッ! 東洋系のなまえにはやっぱり似合うと思ったのよッ!」

結果。
このザマである。
ほっぺにブチュウウウとキスされ、ベタベタさわさわと撫でまわされ、なんとかその手から逃れる。
お気に召して良かったですと、乾いた笑みをなんとか浮かべた。
これ絶対、頬に口紅付いたよね。
口元がぴくぴくと引き攣るのも仕方ないと思う。
まるでわざわざオーダーメイドしたんじゃないかって怖いくらいに完璧にぴったり体にフィットしたチャイナドレス。
……なんでチャイナドレスなんだ……。
胸元はさほど開いていないけれど、問題はご丁寧に金糸で縁取られためちゃくちゃ深いサイドスリット。
大統領夫人、これどこでどうやって買ったんですか。
腰ぐらいまであるこのスリット、動いたら下着が見えるんじゃないか……。
泣きたい。

よく確認もせずとにかく布地多めなものを選んだ結果がこれだよ! と現実逃避しそうになった。
うっとりとわたしを眺めながら「太腿で圧迫祭りしたいわァ……」と呟くスカーレットさんの手から逃げつつ、半泣きでどう切り抜けるか頭をフル回転させていたら、わたしをここに拉致してきた張本人が普通にドアから現れた。
いつもどじゃァァぁんで登場するから、正直なんだか変な感じがする。
これは天の助けか! とばかりに縋るような目で見たら、顎に手を添えて優雅に「これは……なかなかクるな……」と呟いていた。
チクショウ、現実は非情である。
この夫婦を誰か止めてほしい。

はっきりノーと拒絶できない典型的な日本人のわたしが、スカーレットさんのセクハラから懸命に逃げていると、切実なわたしの祈りが通じたらしい。
控え目なノックのあと、いつもの「すいませェん」の言葉と共にひょっこりブラックモアが顔を覗かせた。
今度こそ助け舟!
目を輝かせていると、申し訳なさそうに目を逸らされた。
お前もか……! と叫びたくなるのを堪えていると、スカーレットさんにお客様だとかで呼びに来たらしい。
さすがにファーストレディは忙しいなあと、「わたくしが戻ってくるまで帰っちゃイヤよ」と訴える彼女を宥めて送り出す。
ううむ、わたしとしてはこの隙に家に戻りたいのだけれど。
ついでにこの大統領サマも一緒に連れて行ってくれたら良かったのに、と、わたしの腰やスリットを撫でるファニーさんを残念な目で見る。

「どうした、なまえ」
「それはわたしの言葉です」

ぴしゃりと手を払って、今までいたソファに深く座る。
ソファ一つとってもやっぱりお金がかかっているなあとしみじみ感じる。
何これ硬すぎず沈みすぎず、最高に気持ち良い。
隣に当たり前のように座ってくるファニーさんがいなければ、とっくにお昼寝していただろう。
冷めたお茶とお茶請けのケーキをつまむ。
ああ、本当に美味しい……荒木荘のみんなに持って帰れないかなあ、頼んだらくれないかな。

「なまえ、そのまま脚を組んでくれないか」
「だが断る」

うわあ、こんなに模範的な「だが断る」の使用例もそうないよ。
間髪入れずそう答えると、ファニーさんはヤレヤレって感じにアメリカンなジェスチャーを取って、ギシリとソファを軋ませてわたしの上に乗っかってきた。
おい大統領、いつ夫人が戻ってくるか分からないってこと、ちゃんと理解していますか。

「っ、ファニーさ、」
「なまえ」

肩と腰を押さえられ、体が柔らかいソファに沈み込む。
――ああ、このひとは本当に、意地が悪い。
わたしがギリギリ逃げ出せる程度の力で拘束してくるなんて。
する、と腰を掴んでいた手が、太腿のスリットの縁と肌の境目をそっとなぞる。
ゆっくり、優しく、わたしの方がもどかしくなってしまうほどゆるやかに肌を撫でる指。
そのたった指一本の動きに、ぞわぞわと肌が粟立ち、手をぎゅっと握った。

「……や、めて、ください、」
「本当に?」

そう笑うファニーさんは、ひどく楽しそう。
彼の後ろにある大きな窓から差し込む外国特有の痛いほどの日光に、プラチナブロンドの髪がキラキラと輝き、とてもきれいだった。
近付いてくるその顔に反射的に目をつむる。
少し経っても唇にキスは与えられず、恐る恐る目を開こうとした瞬間。
がぶりと弱い力で鼻筋に噛み付かれた。

「っ! なにするんですか!」

目を見開けば、ファニーさんは笑いながら乗り上げていたソファから降りるところだった。
何がしたいんだ!
だいたいあなたたち欧米人と違って、日本人はめちゃくちゃ鼻が低いんですから!
わたしのこのただでさえ低い鼻になんてことしてくれるんだ、と、上機嫌にスカーレットさんがくれた服を手に取っているファニーさんを睨んだ。

重ねて文句を言おうとしたところで、大きなドアがバァン! と開いた。

「なまえッ! まだいるわね!」

どうやらわたしなんぞのために、スカーレットさんは急いで戻ってきてくれたらしい。
も、申し訳ない……!
いたたまれなさに、その原因の旦那さんを睨むけれど、当の本人はどこ吹く風で服を見ている。
あの様子は、彼女が近付いてくるのにしっかり気付いていたんだろう。
それでああしてわたしを使って遊んでいた事実が、腹立たしくて仕方がない。

もうやだこの大統領……とぐったりしているところに、スカーレットさんの「お願い」のため、わたしはこの一着だけではなく、彼女が購入した際どい服たちのファッションショーをさせられることになったのだった。

金糸雀はしたたかに

頬へのキスは親愛、鼻梁へのキスは愛玩。
(2014.07.09)
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