終焉 | ナノ




「あれ、セノ?」
「驚いた、こんな所で何をしている」

岩陰から出てきた影の主は、教令院で一も二もなく恐れられている旅装の大マハマトラ様だった。黄金の砂に馴染まない黒のローブ、赤と黒の優美な武器と背中に負った頑丈そうな鞄。見るからに剣呑な雰囲気だが、ここでは誰も気に留める者はいない。
砂漠の中に点在するオアシス、それも主にナタの方面からやってくる行商に開かれた野営地はスメールシティから遠く離れたこともあって教令院の権威もマハマトラの威光も届きはしないからだ。
駄獣に荷馬車を引かせて旅をする人々は、今は野営の準備で忙しい。砂の中に深く杭を立て、繊細な荷と子供たちを砂漠の夜から守らなくてはならないからだ。

「申請はマハマトラを通ったのでは?」
「確かに見たが……まだ霊廟の近くを歩いていると思っていた」
「あの辺りは今風が荒れているみたいなので、大回りしたんですよ」

以前発見した石碑が今までの資料のどの部分とも異なるとして、第一発見者であるわたしに全面的な調査権が約束されたのだ。大規模な調査隊を組めるほど研究費に余裕があるわけではないので、ひと月の間を目安にこうして砂漠まで足を運んでいる次第である。

「良かったら岩陰をどうぞ。向こうにも良さそうな場所があるんですが、近くにちょっと柄の悪いのがいて」
「厚意に甘えよう」

セノが砂の上に鞄を置き、中から白鉄製のペグを取り出した。慣れた手付きで岩肌に打ち込み、あっという間に白い帆布を張る。
おそらくセノはこの野営地に集った中で一番戦闘力が高いが、無用な争いなら避けたいはずだ。オアシスの対岸に陣取った一団は、あまり教令院に良い印象を抱いていないように感じる。もちろん一人で砂漠を行く身として、一目でわかるような教令院の制服など着てはいないが用心に越したことはない。

「代用コーヒーとデーツがあるが、食べるか?」
「お、いいですね。なら夕飯はわたしが出しましょう。さっきサソリと一悶着あったのでね」

サソリと聞いて一瞬セノがしわっとした顔をした。その気持ちはわかる。砂漠の大型サソリはどういう進化をしたのか知らないが、節足動物のくせに可食部の肉質が獣肉に酷似しているのだ。まあエビやカニと同類だと思えばテーブル以外は何でも食う璃月人には比較的抵抗が少ないのだが、嫌な顔をする人は多い。

掘った砂の中にかまどを作り薪を焚べる。鉄製の水入れは中に入れた水が鉄臭くなることを除けば鍋にもなる最高の水筒だ。それをそのままかまどに据え、これまた白鉄製の万能カップに二人分のコーヒー粉を入れた。これはまあ、コーヒーとは名ばかりの穀物やあらゆる草の根や茎を焙煎して粉にした魔の飲み物で、普段シティで飲むならまず飲めた代物ではないのだが、何故かこの砂漠ではコーヒーの味になってしまう謎の粉末である。
強いて言えばコーヒーに似ている、という味わいのこの粉がなぜ砂漠での携行食として人気なのかといえば、ひとえにもの凄く栄養価が高いからだ。砂漠で遭難した冒険者が、この代用コーヒー粉と死んだ駄獣の内臓だけで半月を生き延びた話はこの粉の代表的な売り文句でもある。

「もしかして携行食だけでここまで歩いてきたんですか?」
「そこそこの強行軍だったからな。一緒に来た奴らは既に帰らせて、俺は後始末をしているところだ」

まず粉に染み渡るくらいのお湯を入れ、デーツから作った黒砂糖を一欠片放り込む。あとはひたすら粘りが出るまで混ぜて、残りのお湯を注いで伸ばせば砂漠の代用コーヒーの出来上がりだ。
こんなところでのほほんとコーヒーを啜り、かつ仕事内容を話せるということは今回のセノの目的は既に果たされたということだろう。もしまだ事件の最中なら、セノが自分の仕事の内容を話すことは絶対に無いからだ。
まあ、教令院の学者か学生か、どちらかがまたトンチキな事件を起こしたのだろう。マハマトラの皆さんには本当にいつも大変なご迷惑をおかけして申し訳ない。彼らに言えばそれが仕事だと言って笑うのだろうが。

「ならもうひと頑張りある大マハマトラ様には、精をつけて頂かなくてはね」

ニヤッと笑うわたしにセノがきょとんとした顔をする。
何せこのわたくしは璃月人、テーブル以外なら何でも食べる美食の国ではサバイバル料理もまた悠久の歴史を持つ。普段味気ない携行食ばかりを口にしている大マハマトラ様にその真髄をご賞味頂こう。

セノが簡単な寝床を二人分整えてくれている間に、水辺から適当な石を拾ってきて火に焚べる。大きめのタマリスクの葉を数枚と、ついでに黄金スズキが一匹泳いでいたのでそれも頂戴した。
平たい石の上に肉を置き、筋切りをした後ナイフの背で軽く叩く。柔らかくした肉に揉み込むのはオリジナルの万能スパイスだ。ハッラの実の香辛料に絶雲の唐辛子、コショウ、夕暮れの実の皮やナッツの炒り粉などをブレンドしたスパイスは肉にも魚にもカニにもトカゲにも、もちろんサソリにも合う素晴らしい調味料だ。
肉にスパイスを馴染ませている間に黄金スズキを三枚に下ろして皮を剥ぐ。鉄串に皮を刺してカリカリに焼きながら石の上に落ちた脂を集めてタマリスクの葉の内側に塗りつけた。
背嚢から刻んだ乾燥キノコを取り出し、代用コーヒーに使ったお湯の残りに放り込む。キノコがいい塩梅に水を吸ったら火の上に戻して塩を振った黄金スズキの身を浮かべた。これは湯が再び沸くのを待ってから鍋を下ろすだけでいい。
脂を塗ったタマリスクの葉で肉を包み、焼けた石の上に置く。これぞサソリ肉の砂漠風包み焼きだ。付け合わせは黄金スズキとキノコ出汁のお吸い物。肉がスパイシーな分、汁物は出汁の優しい味わいを楽しむ趣向だ。砂漠ではどうしても主食がカリカリに焼き締めてから乾燥させた保存食パンになりがちなので、歯を守るためにもパンをふやかす汁物はできるだけ用意しておきたいところである。

「どぅわッ!」

かまどの中から肉の焼ける良い匂いがしてきた時、目の前の草陰におじさんの顔が二つ並んでいて思わず妙な声を上げてしまった。少し離れたところにいたセノが得物を片手に駆け付けてくる。

「姉さん、随分と良い匂いさせてるな」
「えっ?」
「それ、彼氏と二人で食うのかい」
「は?」

彼氏、と指差されたセノが冷たい声を上げる。おじさん二人はどうやら、わたしが焼いていた肉の匂いに釣られてここまでやって来たらしい。服装から推測するに、彼らは対岸にテントを立てた"柄の悪い"連中の仲間だろう。

「あんまり良い匂いさせてるからよお、ほれ」

おじさんがヒョイと指差した先には、口の端からだらだらと涎を垂らした犬と、キラキラ輝く大きな瞳で焼けている最中の肉を見つめる子供たちがいた。おそらく子供たちは向こうでテントを張っているキャラバンの子だろう。

「それ、なあに?」
「えーと、サソリのお肉ですよ……」
「サソリ!お姉さんがやっつけたの?強いんだねえ」

キャッキャと子供たちが笑う。ついでにおじさん達もキャッと首をすくめた。何でだ。

「モノは相談なんだがよ、俺たち昨日駄獣を潰したばかりなんだよ。その美味そうなので焼いてくんねえかなあ。もちろんアンタらにも十分肉は渡すぜ」
「はあ、まあ……良いですけど」
「僕たちは?!」
「ダメだよお兄ちゃん、砂漠では何でも交換こなんだよ」

おじさん達の提案に軽く頷く。他の肉が無いから仕方なくサソリ肉を焼いているわけであって、本物の獣肉が手に入るなら願ってもない話だ。セノだってサソリより駄獣の方が食べたいだろう。
子供たちは犬を引っ張ってコソコソと何か話し合っている。

「うーん、じゃあサボテン酒と交換こしてもらおうよ」
「それはお父さんに言わなきゃダメだよ。勝手に待って行ったら怒られちゃう」
「微笑ましいったらねえなあ」

おじさんの言葉には同意だが、サボテン酒など持ってこられても困ってしまう。砂漠に生えるサボテンに似た植物の樹液から作る蒸留酒は砂漠ではポピュラーな酒でスメールシティでも人気なのだが、砂漠を調査して回る学者と仕事中の大マハマトラには無用の長物だ。

「おい坊主たち、サボテン酒って言ったか?」
「う、うん」
「おじさん達、サボテン酒がだーい好きなんだ。良ければこの姉ちゃんが焼いたお肉と交換しちゃくれねえかな。もちろん、お父さん達が良いって言ったらなんだが」
「えっ、良いの?!」

子供たちのキラキラ笑顔の前で、おじさんがばちこんとウィンクをキメる。もうこうなれば後は野となれ山となれだ。セノの顔を窺うと、呆れてはいるものの不快感は見受けられない。幸いにもスパイスは十分な量があるので、ここで振る舞っても調査の間は余裕で保つだろうし。

「よし、そうと決まればタマリスクの葉を人数分取ってきてください」



***



「すみません、お祭り騒ぎになっちゃいましたね……」
「構わないよ。目立って困るような状況でもない」

軽快な弦楽器の音に柔らかな笛の音、即席で作った鉦は空になったサボテン酒の壺を逆さまにしたものだ。パチパチと爆ぜる大きな焚き火の側で踊るのは可憐な踊り子……ではなくタンバリンを持ったムキムキのおじさんなのだが、飲んで食べて歌う人たちは大喜びでダイナミックなダンスを楽しんでいる。
基本的にスメール人もナタ人も陽気な民族だ。そこに美味い肉と酒と余裕があれば大宴会が始まってしまうのもまあ無理はない。

駄獣の特性蒸し焼肉は本当に美味しかった。おじさん達に一番いい部位を分けてもらった事もあり、旨味と脂の乗り具合はサソリ肉なんぞでは到底味わえない美味である。セノも一口齧って「美味い」と呟いたきりだが、休むことなく焼けた側から食べ続けているのでお気に召してくれたのは間違いないだろう。
セノは味に頓着しないと言っているものの、かなりの健啖家でもある。たまに砂を食った方がマシだと思うくらい味気ない携行食を彼の腹が満ちるまで食べるのは苦痛だろうとも思う。彼が殊更砂漠で禁欲的に振る舞うのは、彼自身が柔らかく、まろく、あたたかいものを好ましく思っているからだ。
普段暗く冷たいところに身を置く人は、どうしたって明るいところを遠ざける。

「セノ、良かったらもう少し食べてください」
「……いいのか」

だからわたしは悪魔のように嗤う。欲望とも呼べない、彼のささやかな望みを、絨毯を羽毛で毳立たせるように逆撫でする。
こんな些細な願いさえ欲と呼んで忌み嫌うのならば、真にこの世に裁かれるべき罪などあるのだろうか?

「どうせ日持ちもしない肉ですから。食べられるだけ食べてしまった方が潰された駄獣の死も意味深いものになるでしょう」
「……」
「欺瞞に聞こえますか」
「詭弁だとは思う。偽善的だとも。自分が関わった他者の死への罪悪感を薄れさせるためによく用いられる言い訳だ。だが、」
「だが?」
「この肉は美味い」
「んっふふ」

スパイスで喉が焼けないように、出汁の効いたスープを木椀によそってセノの前に置く。いつかどこかでセノが暗く冷たい砂の底に横たわる時、黒い死の腕にその身を預けようと思った時、少しでもいい、この日を思い出して。またあの肉が食べたかったと、あの明るい火の前で、砂漠の星々の下で、スープの滑らかな舌触りや朗らかに踊る人々や、あなたの歩んだ道を好ましく思うわたしの気持ちを、どうか。

泉の向こうで歌い踊る人々を、セノはどこか眩しそうに見つめている。煌々と火の燃える向こう岸とは違って、ここには簡素なかまどの中で砂に埋もれて燻る埋み火があるだけだ。

「セノ、わたしもあなたも、彼らと同じところにいるんですよ。焚き火の明かりや熱が届かなくても、人の輪の中にいなくても、ここも同じ砂の上だ」
「……それは知論派の警句か?」
「いや、どちらかと言えば、祈り、かな」

祈り、と呟いて、セノは木椀を持ち上げ、スープを一口、口に含む。それから長いこと、黙ったままじっと遠くを見つめていた。
わたしはその姿を、羊の群れを守る番犬のようだと思ったが、あまりに愚かで、そして残酷な連想であったのですぐに心の奥底へ沈めてしまったのだった。




おれは天国の住人なのか、それとも
地獄に落ちる身なのか、わからぬ。
草の上の盃と花の乙女と長琴さえあれば、
この現物と引き替えに天国は君にやるよ。(原神 230115)




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