終焉 | ナノ




(ハルヴァタットの学者のはなし)
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「お前が大マハマトラの情婦だな」

見るからに柄の悪い禿頭の大男が発した言葉に、暫し呆然としてしまう。情婦。何という古風な響きだろう。

レグザー庁からトレジャーストリートを抜けて外れにあるビマリスタンに向かう道は、シティの中でも店も人通りも何となく少ない寂しい一帯だ。その分地価も安いので、宿屋や学生向けの借家も大体がこの辺りに密集している。もちろんわたしの家があるのもここだ。
ハルヴァタット所属の教令官としての仕事の合間、たまの休みにグランドバザールで買い物をして、さあ家に帰ろうと思った矢先の出来事である。
黄昏時のシティの外れに柄の悪い男が五人ほどいるだろうか。間違っても今日買った特性ハッラの実スパイスを奪いに来たわけではあるまいと身構えたものの、まさかセノの愛人と呼ばれるとは。それなりにとうの立った女なのだが、まだ未成年にも間違われる見た目のセノの相手として見られるということはさてはわたしもまだまだ捨てたものではないな?

「何を笑っているんだ」
「ああ、いやいや、こっちの事情だよ。それでわたしが大マハマトラ様の女だとして、何かご用がおありかな?」
「それは、俺たちの雇い主に直接聞いてくれ。まあ、抵抗するようなら少しばかり持ち運びやすいように小さくしても良いとは言われてるがな」

つまり生死は問わないということだ。
見たところ、賊はエルマイト旅団でもファデュイとかいう連中でもなさそうだった。装備からして、層岩巨淵からあぶれた宝盗団くずれといった所だろうか。
鉱石を掘る短期労働者に支給されるゲートルや防具をそのまま使い続けている辺り、彼らの困窮ぶりが窺える。雇い主はそこを利用したのか、それともそいつもただの物知らずなのか。

ーー何にせよ、スメールの人間に教令官に喧嘩を売るバカはいない。

草の茂った植え込みに荷物を突っ込み、常に身に付けているポーチから後ろ手に装置を取り出して(これは五十年ほど前に妙論派の学者が開発した手投げ式の炸裂弾を改良したもので、中に二層、ないし三層の薬品を入れておくことができる。この武器の現在最も習熟した使い手はレンジャー長のティナリさんだ)、男たちに放り投げた。中にはトライステートキノコの胞子と雷晶蝶の翅の粉末が詰めてある。装置の中から一瞬で麻痺効果のある濃い紫色の靄が吹き出し、男たちを包み込んだ。
荷物を地面に置き、その中から愛用の警棒を引き抜く。これは璃月に生息しているヴィシャップが持つ骨片を削り出して駄獣の革を巻いたもので、非常に頑丈で硬い。靄は上に拡散する性質があるので、身体を低くしてリーダーらしき男に駆け寄り、警棒を突き出した。

「うぐっ」

顎に一撃を受けた男が昏倒する。近くにいた二人はまともに靄を吸い込んだみたいだが、少し離れたところにいた奴はまだ戦おうとするだけの意思があるらしい。槍を持った男が一人に、片手剣が二人。まあまずは槍だな。
闇雲に穂先を振り回す男の後ろにスライディングで滑り込み、もう一つ装置をぶん投げる。中身は蒸留した水スライム、そしてトリックフラワー(氷)の蜜と霧氷花の蕊を混ぜた薬液だ。瞬く間に凍り付いた男がそのまま前に倒れ込む。体が麻痺して満足に動けない片手剣の男も一人巻き添えだ。一人取り残された男が青ざめた顔で叫ぶ。

「くそっ、オイ、何なんだ、何なんだよお前!」
「大マハマトラ、セノの女だよ」

嘘です。
ただ素行の悪いエルマイト旅団や宝盗団やサソリや野生の駄獣やキノコンや古代の遺跡装置から身を守る必要があるハルヴァタットの学者というだけだ。それに。

「学者がただ頭でっかちなだけの弱っちい生き物なら、マハマトラたちがあんなに武芸を磨く必要は無いと思わない?」

後退る男の顔面に一発叩き込んでやろうとした瞬間、空から一直線に雷が落ちてきた。わたしがばら撒いた凍結剤に反応して、空気中に雷元素が超伝導を起こしたのかバチバチと不穏な音がする。
尻餅をついた男の足の間に、黒と赤で飾られた見事な杖が突き立っている。その優美な柄を掴んで石畳から引き抜いた少年が心底不思議そうにこてんと首を傾げた。

「発狂した教令官が暴れていると聞いて来たんだが」
「何だって?無実ですよ、セノ。襲われたのはわたしです」
「その言葉、俺は信じよう。だがお前にも三十人団の取り調べは受けてもらうぞ」
「どうぞどうぞ」

じりじりと後退る男の横面をセノが杖で叩いた。吹っ飛んだ男を、駆け付けてきた三十人団が捕まえて拘束する。他の四人の男たちも同様に拘束され、一人は担架で運ばれていった。

わたしは三十人団に身分と連絡先を教え、後日取り調べに応じることを快諾するとそれで放免となった。元々教令官は特殊な身分だ。マハマトラの追求以外で身柄が危うくなることなどほとんど無い。

「すみません、とんだ無駄足でしたね」
「いや、構わないよ。お前に怪我が無くて良かった」

ふるふると首を振るセノが、本当に珍しく目を伏せた。いつも彼は真っ直ぐに人を見つめるのに。

「……その、実は少し前からここに着いていたんだ。それで……」
「うん?…………アッ、ええっと!そのですね、あの人たち、わたしとセノが……その、特別な関係にあるとですね!勘違いしてまして!ちょっと調子に乗って言っちゃったというか!」

本人に聞かれるとかどんな罰ゲームだよ。
友達だと思っていた相手にそんなことを言われたら普通はショックだろう。気持ち悪いとすら思うかもしれない。わたわたと弁明するわたしを、セノが薄っすらと目を細めて見ている。黒曜石で出来た古の時代の遺物だという彼の得物は、同僚の妙論派の男が欠片でもいいから手に入れたいと喚いていた逸品だ。儀仗にも似たその得物を持ったセノは三割り増しで威圧感がある。

「……………………検討しようと思う」
「エッ、何を?!」

思わず叫んだが、その時にはセノは現れた時と同じくらいの速さで既にこの場を去っていた。突然一人で叫んだように見えるわたしを、三十人団の人が驚いたように見てくる。いえ、狂ったわけじゃないんです。

「検討って……何をですかね」

三十人団の人が、そんな恐ろしいことを俺に聞くなという顔でブンブンと頭を振った。そうよね、今は疲れているしね。まともな推論など立てられるはずもない。
剣呑なので今日は家には戻らずハルヴァタットの多目的室を使わせてもらおう。アーカーシャ端末から使用申請を出し、許可が下りると同時に踵を翻した。今日も美しい月がスメールを見下ろしている。



***


(レンジャー隊連絡員と発情期の大レンジャー長)
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「僕、今発情期なんだ」
「何だって?」

層岩巨淵から産出する玉石で作られた優美な小刀は、薄っすらと緑がかった刀身が美しく、しかも石なので金属の味がキノコの風味を邪魔しないティナリのお気に入りの一品だ。キノコしか切らないのでいつも刃先は鋭い。

シティにあるレンジャー隊本部からの届け物をしたついでに、いい時間帯でもあるので昼食を食べて行かないかとお誘いを受けた。二つ返事でご相伴に預かることにしたものの、そんなトンチキな話題にどういう反応を返せば良いのか全くわからない。
古く神秘的な一族の末裔であることに加えて、ティナリは人当たりこそ抜群に良いものの常に他人を深入りさせないように人付き合いには一線を引き続けてきたように思う。つまりティナリと猥談など一度もしたことがない。これからもそんなことは無いのだろうと思っていたのだが。

「乾季が近付くとどうもね。血筋に由来するのはわかってるけど、純粋なヒト族には理解しがたいサイクルだろう?」
「さ、左様ですね」

ヒトは一年三百六十五日二十四時間いつでも繁殖できる中々に稀有な生き物だ。それが数の暴力に繋がる生物的な強みでもある。
ティナリの手によって手際よく石突を取られ、ヒダを削がれ、カサと茎に分けて捌かれていくキノコを見ることに集中しながら当たり障りのない返事を返す。ティナリの真意が全くわからず、緊張で背中に嫌な汗が滲んできた。招待された台所に人間の死体が置いてあってもこんな汗は掻かなかっただろう。少なくとも死体の方が対処の仕様がある。

「バターとオイルだったらどっちが好きかな?僕としてはオイルを勧めたいんだけど」
「お、オイルで……」

ティナリの台所には料理用というよりは実験用によく使われるような器具がそこかしこに据えてあり、そこでキノコの種類に合わせて細かく調理法を変えるらしかった。手のひらほどの大きさのフライパンでオイルソテーにしたり、炭火で炙ったり、粘土の窯で蒸し焼きにしたり、熱い砂をたっぷり入れたコンロの中に木の葉でくるんで埋めたりする。複雑な工程を手早く流麗にこなしていく様は見ていて本当に飽きない。飽きないのだが。

「さあ、メインは焼き上がるのに少しかかるから、冷菜から食べ始めてよ」
「え、うん。いただきます……」

ハムとキノコをレモンで味付けした前菜はお互いがお互いの味を引き立てあっていて非常においしい。おいしいのだが、もぐもぐと口を動かすわたしをティナリが両手で頬杖をついてニコニコと眺めているので非常に食べにくい。

「あの、ティナリ」
「ん?何だい、もっと食べる?」
「いやあの、そんなに見られると食べづらいと言いますか……」
「仕方ないだろ、発情期なんだから。少しくらい我慢してよ」

発情期と食べているところを凝視されるのに一体何の因果があると言うんだ。
わたしの困惑した顔に、ティナリが少しバツが悪そうに首をすくめる。

「あー、ごめん。説明が足りなかったよね。発情期って言っても、僕たちはもう大分代を重ねているから、繁殖行動がしたいとかじゃなくてね……なんて言うか、こう、人に親切にしたくなると言うか、みんなに好意的な気分になると言うか……」

顔を顰めたままろくろを回す陶芸家の巨匠のような動きをするティナリに、ものすごく観念的な説明をされる。
つまり彼らがその血筋に獣の血を混ぜた頃に比べれば性的衝動は大分薄れて、その分繁殖の根源的な欲求、つまり産めよ殖せよ地に満ちよが体現する平和……が彼らの中に残ったということらしい。
つまりこの期間だけティナリは薄っすらと博愛主義者になるのだ。

「人がご飯を食べて満足してるところって、なんかイイんだよね。こっちも満たされる感じがする」
「ああ、なるほど……」

それなら、まあ。
異様な緊張から解放され、途端に腹が減ってきた。ティナリもわたしの皿に次々と料理を盛りながらニコニコとご機嫌に笑っているだけなので、こちらも黙々とご飯を食べることに集中する。何せティナリのキノコ料理の味は一級品なので。

その後わたしの健啖ぶりを大いにお気に召したティナリに乾季の間中三日ごとにキノコを食わされる羽目になるのだがそれはまた別の話である。



(原神 221104)



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