終焉 | ナノ



※七聖召喚のルールと()注釈は妄想です。




「闇のゲームをしよう」
「や、闇のゲーム……?!」

いつものように二人でプスパカフェのテーブルの定位置に着き、七聖召喚用のマットを広げたところでの発言である。闇のゲーム。一体何なんだそれは。
闇という不吉な言葉に怯えるわたしなどいざ知らず、セノはいつもの無表情でお気に入りのデッキケースから丁寧な手付きでデッキを取り出しシャッフルのためにわたしに差し出してくる。いや闇のゲームの詳細を説明しろよ。

ハルヴァタットの末端に属し、古文書と古代の物語の翻訳に追われる一介の学者であるわたしがあの偉大なる大マハマトラと七聖召喚をする仲になったのは、このプスパカフェでの出来事がきっかけだ。その頃砂漠のズムルド王(またの名をズームルッド。エメラルドの意。女性名だが王として記述されており、また同時代の民話に男装した女性が王になる話がある。要研究)の文献の解読に難航していたわたしの唯一の楽しみは午後の決められた時間にプスパカフェで苦味の強いコーヒーと歯茎が溶けそうに甘いナッツ入りのヌガーを食べることであった。
冗談ではなく死ぬような思いをしながら砂漠を歩き回って手に入れた碑文の欠片やボロボロの羊皮紙、点在する砂漠の民の拠点に住む古老が口ずさむ歌から古代の王国がどのように生まれ、滅び、そこに君臨した王たちの政から民衆の悲喜交々までを明らかにしていく作業は、尋常ではなく精神を摩耗させる。研究室に篭ってばかりいると、まるで自分が物忘れの多いジンニーになったかのような気になってくるのだ。難解な修辞と無駄な賛辞(何せ文頭に必ずアフマルを讃えるための言葉が八つは入る)に脳みそが支配される前に街へ出て、グランドバザールを一回りしてからプスパカフェで一息を吐くのは、自分があの赤砂の下で石碑を探して歩き回るサソリではなく現代を生きる一人の人間だと思い出させてくれる貴重な時間なのだった。

残念なことに、我が知論派は所属する学者の少ない、弱小学派である。主な原因は、現在教令院が存在するスメールシティは長らくマハールッカデヴァータの恩恵の下にあり、その執政を支えてきたのが教令院の賢者たちだという点である。賢者は学者だ。学者の習性とは何か。そう、記録することである。
スメールの歴史を知りたければ、教令院が生まれてからこちらの資料は公的な書類から賢者の日記に至るまで全て残っているし、今更研究する必要はとても薄い。その他のこと、例えば砂漠のアフマルが没してからの五百年や、魔神戦争時代以前の歴史の研究は文献の散逸が深刻すぎて、その研究材料を探すために命をかける必要さえあるのでこれまた人気がない。自然と人は減り、提出される論文の数も減って、人々は我々を弱小学派と呼ぶようになった。まあ、道理である。

その日は我が知論派の雄として質の高い論文をコンスタントに発表し続け、かつ教令院の中でも高い地位に就いている先輩が、わたしが砂漠の中で発見した古文書(特徴的な文の倒置やキングデシェレト文化には無い修飾形からダーリ=カーンルイア文明の影響を受けた一文と見られる)を借り受けたいというので、午後の散歩の時間が大幅にズレた。何せ研究者間での資料のやり取りというのは古から連綿と受け継がれてきた悲劇を繰り返さないために煩雑かつ厳重なものとなっているので合計十四枚もの書類にサインをするだけでもの凄い時間がかかるのだ。
毎日同じ時間に現れるわたしが来なかったが為に、研究室で死んでいるのではないかと思ったとプスパカフェの代理店主に心配され、トレーを片手にいつもの席を見たら、そこに大マハマトラが座っていた。

いや、正確には大マハマトラともう一人が向かい合って座っていたのだが、スメールの学者にとって大マハマトラの姿は砂漠の中にあるキングデシェレトの霊廟よりもインパクトがあるので、その時のわたしの目には大マハマトラの姿しか映っていなかった。大マハマトラは普段見かける服装とは違う、夜のような濃紺色をした詰襟の服を着て、それでも頭の飾りは変わらずに着けていたのでかなり目立っていた。わたしはあの飾りが大マハマトラたっての希望で作られたものであると知ってから砂漠の遺跡、それも死や病と関連の深い一連の遺跡の入り口に据え置かれたジャッカルの像(これはキングデシェレト時代からアフマル同様に崇拝されていた魔神、賢者、祭司、或いは一つの権能であり、一説によればそれはヘルマヌビスと呼ばれていた。双子の祭司、或いは二人の魔神が寄り合わさった姿とも)によく似ているので、砂漠から来たという大マハマトラに何か関連があるのではないかと常々訊ねてみたかったのでよく覚えていたのだ。

ーー好奇心は学者を殺す。
スメールでは皮肉混じりに使われる言い回しだが、この時ほど自分の好奇心を恐ろしく思ったことはない。わたしはカウンター席にトレイを置くと、コーヒーのカップだけを持って大マハマトラの座る席へと近付いた。そのうち彼らがカフェにコーヒーを楽しみに来たのだけではなく、他の目的があったことに気が付いたのだ。
駄獣の毛のフェルト地の上に格子状の模様を染め抜いた布が貼られたマット、キラキラと光る加工が施された厚紙のカードに細かい計算が重ねられていく手元のメモ帳まで、わたしには全く馴染みのないものだったが、それが巷で流行っているカードゲームだということは知っていた。大マハマトラとカードゲーム。意外ではあるが、不思議ではない。そもそもトランプだって古代の占い札に端を発し、今日まで形を変え遊び方を増やし受け継がれて来たのはそれを遊ぶのが何も子供たちだけに限らなかったからだろう。何よりカードゲームをする大マハマトラはいつになく楽しそうだ。
教令院の噂では大マハマトラが微笑むのは教令違反をした学者に制裁を加える時だけだと言うが、そんな異常者が務められるほど大マハマトラという地位は易くないとわたしは思っている。毎年発表される膨大な数の論文を精査し、危険因子を見張り、隠れて行われるトンチキな実験の数々に対応することができるのは、マハマトラたちが異常者の集まりだからではなく、彼らがただひたすらに真面目で実直だからだ。砂漠の砂粒を赤いものと黄色いものに分けるような仕事を、ただ黙々とこなすだけの胆力が彼らにはあるからだ。まあこれは勿論わたしがあまりマハマトラと関わることがない知論派(何故なら我々は元素力でトンチキ実験も行わなければ肥料の改造が勢い余って環境を汚染したり訳の分からないマシンで実験室を爆破したりもしない本の虫)だから言える事なのかも知れないが。

大マハマトラと、向かい合う平服の青年はどうやらゲームを観に来るギャラリーに慣れているらしかった。平然と手札を出し、デッキからカードを引き、ダメージを計算してターンを重ねていく。わたしはと言えば、フィールド上で繰り広げられる戦いにすっかり夢中になっていた。
稲妻の囲碁や将棋、璃月の璃月千年にも劣らぬ戦略性は勿論のこと、何より大マハマトラのプレイングが華麗すぎた。ダメージ的には終始大マハマトラが劣勢だったのだが、それは数字上のこと、最後まで彼はフィールドを支配し、自分の思うままにゲームを進めていった。それは古代の軍記物に出てくる天才軍師のような華麗さで、物語好きが昂じてハルヴァタットの門扉を叩いたわたしにはどうにも抗うことができないほど魅力的だったのだ。

ーーめちゃくちゃ面白いな。
対戦相手の青年が投了した時、いつの間にかわたし以外にも集まっていたギャラリーが拍手をする中で、大マハマトラはわたしの小さな独り言を聞き逃さなかった。 ザイトゥン桃で作った飴に似た色の、独特の光を放つ目が真っ直ぐにこちらを向き、獲物を見つけた赤鷲のように細められた時、彼は既に予備のデッキに手をかけていた。
その後二時間ほどかけて七聖召喚の基本的なルールとデッキ構築法をレクチャーされ、初心者向け構築済みデッキセットが研究室に届く運びとなった時、わたしは手付かずのまま乾いてしまったヌガーのことをぼんやりと考えながらこの言葉を思い出していた。ーー好奇心は学者を殺す。



***



「いや、闇のゲームって何ですか」

わたしが手渡したデッキをシャッフルしながら、セノは少し考えるような仕草をした。まさか稲妻の娯楽小説に出てきた、負けた相手からレアカードを奪う、みたいな事ではなかろうな。
わたしのデッキは故郷である璃月風のキャラクターカードをメインにしたシンプルなビートダウンデッキで、天権様の能力でフィールドにキャラを展開し数の暴力を浴びせるというものだ。当然一番のレアカードは天権様で、三枚集めるのに結構苦労した。取られるのはもの凄く困る。

「心配するな。戦闘都市編とは何の関係も無い」

シャッフル済みのデッキを交換し、マットの定位置に置く。
おそらくセノはわたしがハルヴァタット所属の学者であると気付いているだろうが、彼は名前を告げたきり大マハマトラとは名乗らなかったし、わたしも追求はしなかった。だからここでは彼はただのセノで、わたしはコーヒーとカードゲームを楽しみにきた一般市民である。

「……この前、友人と久々にゲームをしたんだが、その時に提案されたんだ。闇のゲームをしよう、と」

デッキから最初の手札を引いたセノの瞳が揺れている。珍しいこともあるものだ。余程引きが悪かったのだろうか。

「闇のゲームは本来なら負けた方が命を失うんだそうだが、その時は命までは取らないから負けた方が秘密を一つ話す、ということになった」
「はい?」

何だその物騒なルール。
淡々と話すセノの無表情からは、それが一種のジョークなのか本気で言っているのか読み取ることが難しい。たまに唐突な謎々を言われることがあるのだが、その派生なのだろうか。

「だから闇のゲームをしよう。負けた方は勝った方の質問に必ず一つ答えなきゃならない」
「えっ、やります!」

その頭飾りの由来を聞かせてくれ!
急にやる気に満ちたわたしに若干セノが引いているような気がしたが、そんなことはどうでもいい。学者が学者たり得るのは好奇心ゆえ。我求む、ゆえに我あり。


ーーで、ここ一番の大敗を喫したわけだ。
真っ白に燃え尽きたわたしを前にセノは一頻り感想戦を行って追い討ちをかけた後、揺れたままの瞳でわたしに問いかけた。

「……砂漠へ行くと聞いた。大赤砂海の奥へ」

わたしは目を見開いてセノを見る。
それは、今期の研究草案の話だった。後キングデシェレト時代の記述を求め、霊廟の奥にある大穴ーー地下遺跡への入り口だと冒険者協会から報告があった。ーーへ行くための許可申請をハルヴァタットを通じて教令院へ提出したのだ。それが通ったのはつい昨日のことである。
許可が降りたということは、まあそういうことだ。大マハマトラが知らないはずは無いのは当たり前の話だったが、ただのセノとして接していた相手に学者の本分を引き出されるのは想像以上に当惑する。

「ええと、……うん、そうです。必ず行くつもりです」

ここ最近、教令院が少しずつ砂漠地帯への出入りを制限し始めている。先輩の口添えと賢者カジェへの長年の働き掛けで実現したまたと無い機会だった。実のところ、我々知論派は「知」という文字が持つイメージに反して肉体派が多い。何故なら古文書や古代の符印の研究という特性上、遺跡の発掘や書籍の運搬が必須の派閥だからだ。
宝探しにやって来た宝盗団と戦い、遺跡に拠点を作ったヒルチャールと戦い、教令院を目の敵にする素行の悪いエルマイト旅団と戦い、サソリやキノコンや野生の駄獣と戦い、重たい石板や大量の書籍を持って砂漠とシティを行ったり来たりするだけの体力と戦闘力が無くては知論派などやってられないのである。見ろ先輩を。あの胸筋はそうやって培われた苦労と汗の賜物なのだ、多分。

当然、わたしも少しは腕に覚えがある。
大マハマトラがそのことを知らないはずはない。だって、彼は砂漠の砂粒ほどもいる教令院所属の学者を、赤と黄色に分けるマハマトラだから。

「取りやめたりしませんよ」
「すまない。お前を侮っているわけじゃないんだ」
「大マハマトラ」

呼びかけたわたしの言葉に、セノは少しだけ傷付いたような目をした。わたしは、多分傷付いているわけじゃない。セノの心配は尤もだし、砂漠ほど死と隣り合わせの場所もないことも重々承知している。事実今まで砂漠地帯での研究調査で死にかけたことなど何度もある。
でも、ただそれだけだ。死にかけたことなど、得られた成果に比べたら些細なことだ。大マハマトラとて、同じ研究者のはずだった。勝手に仲間だと思っていた相手に理解されなかったことが、少し悲しかったのかもしれない。

「……お前が、研究者だということは痛いほど理解している。危険を承知で、それでも追求したいと思う気持ちも共感できる。でも、感情が制御できないと感じるのも事実だ」

あれ、話が訳わかんない方に行き始めたぞ。

「え、つまり、わたしに、気を付けて行ってきてねって言うために闇のゲームだなんて言い出したんですか?」

真顔でセノが頷く。まあ職権濫用と言われたらそうだわな。研究内容などプライバシーを通り越してシークレットには違いないし、みだりに言うわけには行かないが友人として心配していることは伝えたい、その果てに行き着いたのが闇のゲーム。どういう思考回路なんだ、面白すぎる。
わたしの中でセノへの好感度がウナギ登りになっていくのを感じながら、勢いでデッキケースをいじる彼の手を掴んで自分の胸元へ引き寄せた。セノが真っ赤な瞳を見開く。

「大丈夫。わたしは帰ってきます。そうしたら、またここで闇のゲームをしましょう。その時は、セノの命を奪えるくらい強いデッキを構築してきますから。その時まで油断しちゃダメですよ」
「ーーそれは、……楽しみにしている」



後日、ハルヴァタットの学者が大マハマトラに命を賭けた決闘を申し込んだという噂がスメールシティを駆け巡ったせいで賢者に大目玉を食らうのだが、その時既に砂漠にいたわたしにはそんな未来は知る由も無かったのであった。



(原神 221007)



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