終焉 | ナノ




「魯肉飯を作ります」
「るーろーふぁん?」
「台湾の伝統的な郷土料理だよ。アジアB級グルメなんて呼ばれて、日本でも結構流行ってるメニューだ」

そんなことも知らないのか?と言いたげな三郎くんの口調に、二郎くんが、あ゛?と眉を吊り上げて凄む。急に不穏になった台所に、慌てて二郎くんに魯肉飯の説明をした。

「あ、そういうやつ、新大久保でダチと食ったことあるかも」
「あの辺はアジアンマーケットがありますもんね」
「俺、それ食ったこと無ぇかもなあ」
「僕もですいち兄!」
「いや三郎、食ったこと無ぇのかよ!」
「はいはい、煮込んでる間に食材の小分けしちゃいましょう!」

二郎くんと三郎くんは放っておくとすぐじゃれ合いを始めてしまう。

「一郎さんは袋から根菜を分けてください。二郎くんはお肉以外の食材を冷蔵庫にしまって、三郎くんは玉ねぎをくし切りにしてくれますか」
「姉ちゃん」

つん、と二郎くんがわたしの上着の裾を引く。こっそり示された先では、しゃがみ込んだ一郎さんがジャガイモの大袋をエコバッグからより分けているところだった。その横顔がなんだか寂しげで、そして我々はその原因に心当たりがある。

「じ、」
「がんばれ……」
「じ、……じろちゃん!」
「はい!」
「さぶちゃん!」
「えっ、僕ですか?」

ビシッと手を挙げた二郎くんと、玉ねぎを持ったままキョトンとこちらを見る三郎くんの後ろで、一郎さんが目を丸くしている。呼ぶか、呼んでしまうか?

「に、い、……い、一郎さん……」

やっぱり無理!だってわたし年上だし!十九の男の子を兄さん呼びとか、どんなイメージプレイだ。いやこの状況そのものがロールプレイングゲーム染みているのだが。

「ゆっくり!な!ゆっくりやろうぜ、姉ちゃん!」

ばんばん、と二郎くんが励ますようにわたしの背中を叩く。ジャガイモを持ってしゃがみ込んだままの一郎さんに、三郎くんがそっと寄り添った。末っ子はこういう時の機微に聡いものなのだ。

「僕、お腹空きました。早くご飯にしましょう」
「そ……うだな!」

ニカッと笑う一郎さんの顔が見られない。今日一日、罪悪感を感じてばかりだ。
キリキリと痛む良心の代わりのようにこれまた安かった豚バラの塊を賽の目に切り刻み、山田家の台所の隅で干からびていた八角を包丁で潰して揉み込む。お昼の巨大フライパンに油を引いてにんにくとしょうが(山田家はチューブ派であった)を軽く熱し、三郎くんが切ってくれた玉ねぎを加えて炒める。玉ねぎがしんなりしたら豚バラを突っ込んで更に炒め、醤油、酒、砂糖、レモン汁で濃いめに味付けをして加水し、フライパンに蓋をして弱火で煮込むようにすればあとは放っておくだけだ。料理酒を紹興酒にすると美味いのだが、未成年しかいない山田家にはそんなものは置いていなかった。無念である。

「めちゃくちゃ良い匂いすんな」
「ご飯のセット、できましたよ」
「ありがとうさぶちゃん。では、これからお肉が煮えるまで鶏モモの冷凍準備をします」

どどん、と置かれた一郎さんの戦利品、鶏モモの特大パック総量約五キロである。普段の仕事では一枚肉の状態から具を作ることはほとんどないので、あまりの肉肉しさにちょっと引き気味だ。一郎さんの言によれば五キロくらいなら大体四日で使い切るというので成長期の男子の胃袋は恐ろしい。エンゲル係数どうなってんだこの家。
ビニルを剥いた鶏モモを、一郎さんと三郎くんにひたすら一口大に切ってもらう。一郎さんはぶった切るような豪快さながら筋はちゃんと切っている辺り、性格が滲み出ている。三郎くんは肉と皮のバランスにこだわりがあるらしく、お手本のように綺麗な塊を量産しているのが面白かった。二人が切ったモモ肉を五等分して、和風、中華風、洋風、唐揚げ用、塩胡椒で味付けし、これまた三郎くんが切ってくれた玉ねぎと密閉袋に入れて揉み込む。一晩寝かせてから平たくして冷凍すれば完了だ。
四人並んでひたすらに鶏肉を揉んでいる光景は非常にシュールだった。


「やっべ、飯止まんねえなこれ」
「スパイスが豚肉に合いますね」
「やっふぁくったこほ、あふ」
「汚っ、食べながら喋るなよ!」
「行儀悪いぞ、二郎」
「んっ……ごめん兄ちゃん」
「まあまあ。玉子焼けましたけど、乗せておかわりしますか?」

バッ、と色違いの丼が三つ差し出される。わたしは一郎さんの丼半分くらいで満腹になってしまったので、三人のためにせっせと味付けの変更に勤しんでいる次第である。こってりしてる分、ずっと同じ味だと飽きちゃうからね。
どこかの工事現場で使われていたような、傷だらけの一升炊き炊飯器からご飯をよそい、上に具を掛ける。プレーン、青菜の漬物ときて次は半熟玉子である。おかしいな、二日分を見越して作ったのに具がもう無いぞ。

満杯になった丼をそれぞれに返し、一郎さんが座っているベンチの横に腰かける。お客さん用と思しきインスタントコーヒーを拝借して、わたしはもう食後の体勢だ。
成人した日本人男性の平均身長を軽く越している山田家では、あらゆるものが少しずつ大きい。このテーブルもベンチもわたしには少し高いし、オーブンレンジなんか冷蔵庫の上に乗っかっている。部屋に備え付けてあっただろうシンクの高さが規格サイズで良かった。食器は多分北欧が発祥の雑貨店のものだろうな。どう見ても日本サイズではない。
そういえば一郎さんから借りたこの赤いマグカップもビッグサイズである。なんだか絵本の世界に迷い込んだみたいな気持ちになるな。昔そんな絵本があった。大中小の三匹のくまの家に女の子が迷い込んで、家をめちゃくちゃにしてしまう話だった。お粥を食べられ、椅子を壊され、ベッドを勝手に使われた小さなくまが、わんわんと泣いている絵があんまり可哀想で。

「ごちそーさま!はー食った食った」
「とても美味しかったです」
「ごちそうさん。片付け当番は……お、俺だ。お前たち、早く風呂入っちまえよ」

食器を流しに下げた二人に、一郎さんが朗らかに声をかける。忘れてた、風呂である。
二郎くん、三郎くんと素早くアイコンタクトを交わし、マグカップを持ってベンチから立ち上がった。

「さぶちゃん、先に入っておいでよ」
「はい、姉さん」

きゃる、と効果音が付きそうな声で三郎くんが返事をして、足音も軽く着替えを取りに階段を駆け上がっていく。

「姉ちゃんが先だろ、あいつ……しょうがねえな」

顔を顰めながらも一郎さんの目は優しい。末っ子が可愛くて仕方ないお兄ちゃんの顔だった。

三郎くんの話に依れば、一郎さんはいつも一番最後に風呂に入り、その間に三人分まとめて洗濯機を回すのが日課であるらしい(防犯上の理由と過去の経験から外干しはせず、乾燥機を使っているそうだ。有名人は大変である)。このルーティンのとおりに行けば、わたしが風呂に入っている間に脱いだ服も洗濯機に入れられてしまうかもしれない。ブクロのMC.BBに下着を洗わせた女として歴史に残りたくない。断固阻止だ。
わたしは何としても脱いだ服を安全に回収しなくてはならないのであった。

三郎くんが入ったすぐ後に二郎くんが入り、二人に一郎さんを足止めしてもらっている間にさっさとシャワーを浴びて風呂から上がる。元々居住用ではなさそうなビルは予想に違わず風呂場が狭く、湯船は小さかった。きちんと湯は張ってあったが、体の大きさに合わせていつも三男、次男、長男の順で入っているのかもしれない。

「お風呂ありがとう」
「もう出ちまったのか?ゆっくりしてて良かったのによ」

一郎さんの部屋に置いていたお泊まりセットに脱いだ服をしっかりとしまってから階下に行くと、三郎くんはソファでタブレットを見ていて、一郎さんと二郎くんがダイニングテーブルに向かい合って座り、何かの書類を覗き込んでいた。わたしが見ない方が多分いいやつ。
離れたところから声をかけたわたしに、さりげなく書類を寄せて、一郎さんがベンチの横を指す。素直に座った瞬間に、肩に掛けていたタオルをするりと抜き取られた。え、と思う間も無くわしゃわしゃと犬のように髪を拭かれる。ドライヤーの場所を聞きに来たのだと今更のように思い出した。

「髪の毛濡れてんじゃねえか。まったく、昔っから風邪ひきやすいんだからちゃんとしなきゃダメだろ」
「うえ?え、あ、はい」

子供の頃から数えるほどしか風邪をひいたことはない。一郎さんにお兄ちゃんムーブをかまされるわたしを、二郎くんがはわ……、みたいな顔で見ている。どういう感情だ。

「俺たちがいないからって適当にしてたらすぐ連れ戻しちまうからな。ただでさえ女の一人暮らしなんて危ねえのに……」
「……兄ちゃん?」
「あ、悪ィな二郎。ほら、洗面所にドライヤーあるから、ちゃんと乾かしてこい」

トン、と肩を叩かれる。そうか、元来た場所にあったのだな。人は衝撃を受けすぎると逆に冷静になるものだ。何事もなかったかのように洗面所に戻り、ドライヤーでしっかりと髪を乾かす。どうやら山田家はかなり宵っ張り揃いらしいので、四時出勤が常のわたしは先に休ませてもらうことにした。例え一郎さんと同じ部屋だとしても、さっさと眠ってしまえばいい話だ。
リビングの三人に挨拶をしてから、相も変わらず見覚えのない部屋の嗅ぎ慣れない匂いの布団に潜り込む。乾燥機のおかげでふかふかではあったが、不意に泊まることになってしまった知らない街のホテルのような心細さと安堵の複雑に綯交ぜになった心地がする。


ーー髪を梳かれる感覚で目が覚めた。
ゴツゴツした、硬い爪と粗い指先の、これは男の手。頭皮を掠めるように爪が触れて、髪の感触を確かめるような、痛みを与えるのを恐れているかのような慎重さでスルリと離れていく。寝惚けた頭でも悲鳴を上げなかったのは、その仕草が祈るように真摯だったからだ。

いつか失ってしまうものだとわかっているから、簡単にこの手の中から滑り落ちていってしまうと知っているから、この今できる最良の優しさで触れているのだと、微かに震える指先が語っている。
一体、どうしてあなたはそんなにも怯えている。何を恐れている。問いかける言葉も持たないわたしの意識は、やがて深い淵に引き込まれるようにして再び眠りの中に落ちていった。



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