終焉 | ナノ




わたしの普段の昼食の、軽く二倍はある量の焼きそばがつるつると飲まれて消えていく。玉ねぎ三つ、にんじん四本、ピーマン一袋半、豚肉800グラム、麺なんか六つも使って作ったのに。男子ってすげえ。今度店に若い男の子向けのどっしりした惣菜パンの提案でもしてみようかなどと考えながら、流れるように空になっていく皿をぼんやり見つめていた。

「ん、どうした?」
「いやあ、気持ちいい食べっぷりだなあと」

ここまで来ると軽いエンターテイメント感がある。これからお世話になるのだからとわたしは食事係を買って出た。一人暮らしが長いうえにパンの具材を作ったりもするので、少しばかり料理には自信がある。弁当の献立を考えたりするのも嫌いではない。
洗濯や掃除はさすがに嫌がられるだろうし、わたしも男の子のパンツなどどう洗えばいいのかまるでわからない。料理ならばお互い許容範囲であろうという判断である。焼きそばへの食いつきから見ても、味付けの好みも問題ないようだ。

「美味いぜ、この焼きそば。腕を上げたな!昔は全然料理できなかったのにな」

ーー料理が全くできなかったのは二郎です。
豪快に一郎さんが笑うのを見て、わたしの隣に座っている三郎くんがそっと耳打ちしてくれる。わたしが焼きそばを作るために巨大なフライパンと格闘している間、二郎くんと三郎くんは一郎さんがどの程度"妹"の設定を固めているのが探りを入れていたらしい。
その結果、どうやら一郎さんは弟二人のエピソードを複雑に絡めて、足して二で割ったような存在として妹を認識しているらしいということがわかった。一郎さんはアニメオタクを公言しているので、ぶっとんだ妹キャラとかを作り込んでいる可能性を危惧していたのだがわりと普通で本当に良かった。
それは良かったのだが、困ったのはそれぞれの呼び方である。彼の中の"妹"はどうやら、弟二人のことをそれぞれ「じろちゃん」「さぶちゃん」と呼んでいたらしい。何なんだそのこだわりは。

申し訳程度に添えたサラダまで完食(恐ろしいことに三人ともまだお腹に余裕がありそうだった)して、一郎さんは仕事の調整のために事務所へ降りていった。ちなみに彼らはこのビルの上三階を借りていて、一番下が事務所、中階がリビングと台所などの共有スペース、一番上が三人の部屋になっている。わたしが洗った皿を二郎くんが拭き上げて、三郎くんが食器棚にしまっていく。何も言わなくても連携プレーができることに少し感動を覚えた。

「あの、ところでなんですけど、これを……」
「何それ?」
「封筒?」

手拭きで指先を拭い、ソファの足元に置かれた荷物から用意しておいた封筒を三郎くんに差し出す。多分この家の家計に一郎さんの次に詳しいのは三郎くんだろう。

「二ヶ月分のわたしの食費と光熱費です。多分今の一郎さんも、回復した一郎さんも受け取ってくれないと思うので……ほとぼりが冷めたあたりでこっそり口座にでも突っ込んでおいてもらえたら……あの、大人の嗜みなので、受け取ってください。ホント」

一応フルタイムで働いている社会人なのでそれくらいの甲斐性はある。ただでさえ男性は生きづらい世の中で、一郎さんは弟を二人も養っている。山田家の家計があまり豊かでないのは何となく想像がつく。二人は顔を見合わせて、それから三郎くんが封筒を部屋着のポケットに納めた。

「改めてですけど、これからどうやって暮らしていくか、話し合っておきませんか。僕たちと、お姉さんとで、いち兄を元に戻さなくちゃいけない」
「施設でも兄貴と歳の近い女の子はいなかったし、何で兄貴が"双子の妹"だなんて言い出したのか、俺ら全然わかんねえんだ」

たしかに、神宮寺先生の言うように一郎さんの本質が誰かを守ろうとするものであるなら、目の前にこれ以上ないくらい守るべき存在が二人もいる。新たに創出する必要などどこにもない。おそらく神宮寺先生は何か思い当たることがあるのだろうが、あの手合いは問いかけても何も答えず、頭が良すぎるがゆえに自分の導き出した答えに現実も向かっていくのかをニコニコ微笑みながら観察するのが趣味なので結局何も教えてくれなかったりするのだ。預言の書めいたマジックアイテムに頼るのは本当に窮した時だけでいい。

「わたしも一郎さんに早く回復してほしい。協力しましょう。とりあえずなんですけど、今日はここに泊めてもらって、明日からは自分のアパートに帰ろうと思います。同衾はね、まずいですよ、同衾は」

ウンウン、と二人が頷く。
幸いわたしはパン屋である。朝が早い分夜も早く上がれる職種なので、夜に帰ってくる彼らとの時間も取れるだろう。

「でも、姉ちゃんの家シンジュクなんだろ?大変じゃねえか?」
「あっ、いえ、住所がシンジュクというだけで……近いんで……」

ウーン言いづらい。わたしの歯切れの悪い答えに二人とも察するところがあったらしい。この兄弟なかなか顔に出やすいぞ。

「それは……すみません、と言うべきなんでしょうが……」
「いやいやいや、住民税を納める場所が変わっただけですから!それも結局国には変わりないし!手続きとかは自動でされてたし、ヨコハマになるよりは!全然!近いし!」
「ヨコハマ……」

あ、墓穴掘った。どうしてわたしはいつもこうなんだ。余計なことをしすぎるのは良くないと一郎さんの件で学んだばかりだろう。暗い顔をする兄弟を前に一人で狼狽えていると、二郎くんが思わずといった風に吹き出した。

「ははっ、アンタ、顔!……いーよ、前のバトルは、悔しいけど俺たちの力不足だったわけだし、でも、もう俺たち負けねーから。だから、大丈夫」
「……お、応援!応援しています!」

だから、早く一郎さんを元に戻さなくては。



***



メッセージアプリのアカウントIDをお互いに交換し、一郎さんを除いた三人だけのグループと四人のグループを作る。バスターブロスのアカウント情報を手に入れてしまった……。スマホを操作してメッセージアプリに二重ロックをかけていると、三郎くんに軽く笑われてしまった。
とりあえず一郎さんが暴漢に襲われていた時の状況でも話しておこうかと思った矢先、下からじろー!という大声が聞こえてきた。二郎くんが飼い主に呼ばれた犬のようにすっくと立ち上がり、なぁに兄ちゃーん!とこれまた大声を出しながら階段へ駆けて行く。両隣のビルの上階は下階の店舗の倉庫になっているので多少騒いでも大丈夫とのことだったが、何せ彼らの声はよく響く。今時珍しいぼろアパート住まいのわたしは思わずはらはらしてしまうのだった。

「おう、放っちまって悪かったな!」
「さぶろぉ……」

一郎さんの元気な声と一緒に、階段の下からモコッとした白い塊が現れた。ギョッとするわたしと三郎くんを他所に、モコモコはずんずんと階段を上がってきて布団を抱えた一郎さんになる。その後ろから情けない声を出したのは掛け布団と枕を持った二郎くんだ。
どうやら一郎さんは仕事の電話のついでにどこからか客用布団を調達してきたらしい。さすがブクロを支える萬屋ヤマダ、仕事早すぎんか?

「ずっと仕舞ってたらしいけど今から布団乾燥機突っ込んどけば使えるだろ。いやー助かったぜ!三郎もでっかくなってきたし、俺嵩張るからなー」

二人で寝たらベッド壊しちまってたかも、と笑って一郎さんはどさっと布団をフローリングに置いた。二郎くんも三郎くんも困り果てた顔をしている。

「ね、兄ちゃん、この布団どこに敷くの……?」
「ん?ああ、今まで通り俺の部屋でいいだろ。な?」

な?はわたしに向けられた言葉であった。人は困り果てると天を仰ぐ。

「三郎、お客さんへの電話、ありがとな。二郎も、急ぎのやつ代わりに行ってくれてサンキュな」
「えっ?いえ、当然のことで……へへ……」
「う、うん!サインしてもらったやつ、事務所に置いてあるから……へへ……」

ぽん、と一郎さんが二人の頭を軽く撫でる。へへ……とはにかみながら、二人は褒められて嬉しさを抑えきれない様子だ。うーんこれは可愛い。若い子を可愛く思うのは歳を食った証拠だろうか。
照れ照れの二人は布団を抱え直して階段を上がっていこうとする一郎さんを止めるのには全く役に立たず、無情にも布団は一郎さんの部屋にきちんと敷かれてしまった。布団乾燥機のホースを突っ込まれた布団が、生き物のように膨らんだり縮んだりしている。
本当に今日ここで寝るの?

「あの、一郎さん……」
「兄さん、て呼んでくれよ。お前は覚えてねぇかも知れねえけど、ずっとそう呼んでたんだ」

ナパージュされた果物のように膜を張って艶々と輝く色違いの瞳の奥に、紛れもない悲しみを乗せて一郎さんがじっとこちらを見ている。淋しさとか、悲しさとか、そういった感情をストレートに伝えられるのには慣れていない。

「……いいさ、ゆっくりやってこうぜ」

ぽんぽん、と軽く頭を撫でられ、わたしが罪悪感に悶えている間に一郎さんはさっさと立ち上がって病院から引き揚げてきた自分の荷物の整理を始めてしまった。シュコー、シュコーと呼吸を繰り返す布団の横で、わたしは手持ち無沙汰に部屋を見回す。もちろん見覚えなどあるはずもない、打ちっぱなしのコンクリートの壁に貼られたポスターや、昔読んだこともあるティーンズ向けの文庫レーベルの本がみっちり詰まった本棚、全体的に統一感が無いように思うのは、家具のほとんどが一目見て同じ人間が長く使ったようには見えないからだろう。誰かのいらなくなったものでできた、寄せ集めの部屋。そこに詰め込まれているものは。

考えるな。踏み込むな。
ぺたんこになったボストンバッグをラックに掛けた一郎さんが、わたしの方を振り向いて、見透かしたように優しく笑った。



さて、とりあえず夜ご飯である。山田家の冷蔵庫は、これまた馬鹿でかい両開きタイプで、昼は三郎くんに材料を出してもらったのでまだじっくり中を見たことはない。ひんやりとした庫内に顔を突っこむようにして中を検分する。どうやら山田家は一週間分の食材をドンと買い溜めておくタイプらしい。近所の大型スーパーマーケットは水曜日がセール日である。ドアに貼られたチラシには案の定買うべき品に赤ペンで豪快な丸が付けてあった。

「今日は買い物の日」

冷蔵庫を閉めたわたしに鹿爪らしくそう言って、二郎くんは赤、青、黄色のバンドで留められたエコバッグを扇のように広げて見せた。萬屋ヤマダのロゴが付いた、手ぬぐいの代わりにお得意様に配ったノベルティの余りであるらしい。ネットに流したらプレミアがつきそうな代物だ。

「特別に、赤を使わせてやるよ」

特別だぞ、と念を押して、二郎くんから赤いエコバッグを手渡された。
多分赤いエコバッグは一郎さんモチーフなのだろうな。わたしは神妙な顔でエコバッグを受け取り、上着のポケットに収めた。この辺りの住民なら誰でも知っている。
水曜日のスーパーは戦場である。


「いやー!買った買った!」
「鶏モモグラム四十八円は驚きでしたね」
「姉ちゃんいたからお一人様一つ限りもめちゃくちゃ買えたな!」

馬鹿でかいエコバッグを片手に三つずつ、一人全部で六つも抱えて何故そんなにスタスタ歩けるのか。
乾物や葉物野菜なんかが詰め込まれた比較的軽い袋でさえ、二つ抱えるのでやっとなのに。マンモスを仕留めた原始人のような達成感でもって意気揚々と歩く三人の後ろで塩かけた菜っぱのように萎れているわたしは、スーパーという名の戦場では全くの役立たずであった。
お一人様ひとパック限りの玉子争奪戦ではひとパックを手に取るのが精一杯(その間に二郎くんが三パックも取ってきた)、お弁当用冷凍食品の詰め放題ではひたすらに冷凍ほうれん草を詰めるだけで終わり(三郎くんは立体パズルでも組み立てるかのように様々な取り合わせのビニールの柱を作っていた)、タイムセールの目玉である鶏モモ争奪戦では人の波にすら入っていけなかった(果敢に飛び込んでいった一郎さんが特大パックを三つ持ってきた時は思わず拍手した)。

「すみません……何の役にも立てず……」
「いえ、姉さんがいるおかげで動線が大分スムーズでしたよ。いつもは乾燥ワカメまで辿り着けずに終わるんです」
「どうしても生鮮食品を優先しちまうからなー。今回はふりかけも買えたし……しかもコラボ柄……」
「あっ、そういやラミネートしたパッケージでキーホルダー作るやつ!ダチに作り方聞いてきたんだった」
「マジでか二郎!そんならこのふりかけで作ってみっか!」

きゃいきゃいとじゃれ合いながら歩く三人の後ろ姿をぼんやりと眺める。いつもの風景。なんて事のない日常。この美しい毎日を守るため、三人は戦っているのだ。そして、今より良い未来があることも、きっと彼らは信じている。

「大丈夫ですか?すみません、疲れちゃいましたよね」
「あ、いや、全然!ちょっとぼんやりしちゃって」

三郎くんの声に一郎さんと二郎くんがハッとしたように振り返る。三対の色違いの瞳に見つめられて、もげるほど勢いよく首を振った。別に疲れたわけじゃない。どうでもいい、この三兄弟には邪魔ですらある、ただの感傷に足を浸していただけだ。
恥じ入るわたしに、全員がそっと歩幅を合わせてくれる。やめてくれ、と言えたらどんなに良かった事だろう。








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