終焉 | ナノ




紺碧の天塩、という名前に反して塩を採取する塩田は赤い色をしている。
真っ青な海の広がる、珊瑚の海の南にある孤島はかつては処刑の場であったらしい。東側を崖、北側を浜、南から西にかけてをぐるりと塩田に囲まれた小さな島は、たしかに乾燥を嫌う人魚にとっては地獄の島だろう。植生が貧弱で木陰らしい木陰もなく、真水も湧かないために人間が住むことはできない。かといって人魚が登るには恐るべき島だ。浜は這って海まで戻れるほど狭くはなく、東の崖は切り立った岩が並んでいて危険、他は塩田が広がっているために人魚は塩に水気を取られて灼かれるような苦しみを味わう。
絶海の処刑島で塩を作ろうと考えたのが誰だったのか、今となってはもうわからない。海から水を汲み、赤い砂の上に撒き散らす。砂を掻き、塩を漉して、釜で茹で上げ、深い絶望と辛い労働の中からひと掬いの塩を掴み出すのだ。

朝の、最も大気の冷たい時間帯に島の中央に据えられた小さな荒屋を出る。長い棒の両端に皮袋の括られた道具を担いで砂浜へ行き、海水を汲む。水の満ちた皮袋は重く、首の骨に棒が食い込んでひどく痛むが、太陽が昇り切っては肌の焼けて、殊更に辛い。海水に濡れた足で赤い塩田の砂を踏み、染ませるように水を撒く。

「なんて可哀想なんでしょう」

塩田の向こうから、わたしに魔物が話しかけてくる。わたしは俯いて日に焼けて赤茶けた髪を垂らし、魔物の声を遮ろうとする。白い肌、白い髪、甘く高い声の、その魔物は人魚である。
憐れまれる筋合いはない。これは償いなのだから。ジリジリと日は中天に差し掛かり、塩田から薄赤い蜃気楼が立ち昇る。ゆらゆらと揺れる大気の向こう、魔物が嗤う気配がした。
水を入れていた皮袋の中に、今度は塩田から乾いた砂を薄く掻い取って詰める。砂は重く、塩水に浸された足はひび割れてひどく痛むが、夕になっては砂の冷えて、殊更に辛い。荒屋の隅で砂に海水をかけ、その塩水を一昼夜大釜で煮詰めるのだ。塩の結晶になるまで、例え煙で目が焼けて、髪に塩の粒が付き、掻き混ぜる手に血が滲んでも。

「そんな苦役を、一体誰が課したと言うんです?」

誰が課したわけでもない。これは祖先の罪だ。
熱に皮膚を焼きながら釜を掻き回すわたしを、微笑みながら魔物は眺め続ける。塩の結晶が浮けば浮くほど混ぜる棒は重く、肉刺が潰れて皮が剥けるが、朝になっては眠ることもできず、殊更に辛い。釜に残った塩の塊をざるに掬い、篩にかける。さらさらと落ちる塩は涙のように蒼く、涙のような味がする。
その篩から落ちる最後の一掴みを、島に唯一生えた木から毟った葉で作った舟に乗せて波間へ流すのだ。

「僕の故郷には、お痛をした稚魚を嗜めるための決まり文句がありましてね。"そんなに悪い子だと、塩の島に置き去りにしてしまうよ"だなんて。その島には恐ろしい人喰いの怪物がいて、人魚を食べてしまうそうなんです」

悲鳴のような音を立てて篩の目から塩が落ちていく。細やかなその音は、潮騒や海鳴りや、或いは啜り泣きにも似ている。わたしは、わたし達は、こうして塩を作り続けなくてはならない。そうして人魚たちに返すのだ。わたし達の罪を、その償いが終わる日まで。
この島は実りの少ない、日差しばかりが容赦なく降り注ぐ地獄の島だ。陸生の、大型の生き物など幾日も生きられる島ではない。だから食わねばならなかった。真水の代わりに生き血を、肉の保存のために塩を。海の魚は焼かずとも食べることができる。

「可哀想に。こんな島に流れ着いてしまったばかりに。けれど僕らはあなた方の贖罪なんて興味はありませんよ。あなたが作った塩なんて売り飛ばされて終わりですからね。確かにあなたのその身体は魔力を含んだ人魚の肉を食べ続けた為の変化ですが、どんな償いをしたって元に戻るわけがありません」

魔物は口に手を当てて、幼い少女のようにコロコロと笑った。かつてこの島に打ち上げられた時、こんな魔物を見たような気がする。青白い肌をして、白い髪の、黒い衣装の魔物。己が強く美しいことを知り尽くした恐ろしい女のようで、それでいて世界の中心が自分であると信じて疑わないひどく無垢な少女のようで、ああこれが嵐の夜に船乗りを飲み込む海の女神かと思ったのだ。

魔物に縋ってでも、わたしは死にたくなかった。

「あなたは疾うに対価を支払い終えていたんですよ」

魔物がわたしの手から篩を取り上げ、鱗の生えた腕を撫でた。魔物の指は、白く滑らかな人の肌だ。爪は丸く、砂浜で波に洗われた貝のように光り、艶めいている。その爪がわたしの鱗のふちをさぐり、容赦なく引き剥がした。山になった塩の上に鮮血が飛び散り、紺碧に輝く塩が水気に触れて見る間に結晶の形を失っていく。

「契約をしましょう。お代は変わらずその塩で構いません。海には流さずに、この僕へ」

じくじくと傷口から血が流れ出し、塩を溶かしていく。
わたしは信じられない思いで魔物を見つめていた。この塩はわたしの償いだ。食い続けた人魚たちへの弔いの涙だ。この塩はわたしの悲しみと嘆きを吸って紺く、苦しみを吸って碧い。望みを得て、それが失われては、塩としての価値は無いものを。

「おや、おや。それはとんだ考え違いですよ。あなたは人間だ。苦痛は尽きず、悲嘆は限りない」

血に塗れた指先が黄金色の紙に触れた。するするともう忘れ果てていたわたしの名前が赤い文字で記されていく。書き終えると同時に、その巻き紙は魔物の手の中で消えてしまった。

「あは、あはは!契約ありがとうございます!」

魔物が哄笑し、わたしの傷を撫でる。小さく明かりの灯った傷口からは、真っ青な血が滲んでいた。

塩は変わらず、美しい紺碧に輝いている。



(ツイステッドワンダーランド 210310)



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