終焉 | ナノ




「辿り着いたよ。ここが旅の終わり、あなたの目指した場所だ」

騎上の人は目深に被った布の下、灰紫色の瞳で真っ直ぐに荒れ果てた砂の海を眺めていた。もう大分前からわたしの思考を読み取っていたのだろう。ハリカルナッソスの市から十日、人の住まぬ荒地の先にその墓所はある。
遠い昔に生きた人々の、大地にこびり付くように残った微かな痕跡だ。

バクーダを灌木の茂みに繋ぎ、その背から荷を下ろす。市で購った没薬を炭を埋めた香炉の中に敷き詰め、鎖に吊るす。音もなくバクーダから滑り降りたミュウツーの手を取り、なだらかな荒地を指し示した。

「ここに、いるのか」
「もう誰も名を知らぬ神だ。祀るものは絶え、姿さえも失われて今はこの砂の中に眠っている」

ミュウツーは無言のままに腕を掲げる。
ザワザワと砂がさざめき、天蓋を取り去るかのようにざあっと四方へ散っていく。崩れかけた壁、礎しか残らぬ家の跡、砕かれた金属のかけら、赤土で塗られたひとかたまりの木片。人の暮らした跡と言うには、あまりに廃れすぎている。砂の中から現れた広大な遺跡は、村の死骸、ただそれだけのものだった。
祈りの煙を上げる香炉を携え、そっとミュウツーの腕を取る。

「ここにいた者たちは、どこへ行ったのだ」
「……戦いか、疫病か、それとも気候の変化か。この村が見捨てられ滅びた理由はわからない。けれど、この場所を離れた人々の血はあなたが歩いた地に今も生きる人たちの中に混じっている。長い長い時を、そうしてわたし達は生きている」
「生きている……」
「この世で生命を生み出すことができるのは、神と人だけだと誰かは言った。この地に住んだ人々は、それを"彼女“だと思っていた」

円錐状に抉れた遺跡の中を香炉を振りながら歩く。階段を降り、崩れ去った敷居を越え、力尽きたように佇む壁の前へと進み出る。ケンタロスに似た獣の描かれた壁の下に、白い石の像が落ちていた。
床に香炉を置き、石像を拾い上げる。アラバスターを削って作られたそれは殆ど球体に近く、誇張された乳房と臀部を膨れた腹に乗せ、全身に入れ墨を刻まれている。頭部の半分は失われていた。

「肉の塊。肥え太った女。或いは際限なく孕み続ける女。大地の化身であり、塩辛い水であるもの。絶え間なく呑み込み、そして産み続ける。母なる神。生き物は全て、母の胎から生まれてくる」

ミュウツーはじっと像を見つめている。
かつてこの村で暮らした人々も、こうして彼女に問いかけたのだろうか。我々はなぜ生まれ、存在し、死んでいくのか。この偉大なる、辛く苦しい、長い長い旅路を、なぜ貴女は我々に課したのか。

不意にミュウツーが手を掲げ、その手のひらからコトリと白くくすんだ丸い石のようなものを祭壇に落とした。それは一つ二つと祭壇の上に転がり落ちて、女神の像の足下に散らばる。
歪で、しかし柔らかな造形の、石灰質の小石。

「骨だ。私が作ったコピーたちの。いつだったか、もう遠い昔、彼らが私に問いかけたことがあった。『なぜ私たちを造ったのか?』と。私は造ったわけではないと答えた。私はただお前たちをコピーしただけだと。私のコピーは完璧だった。フシギバナ、リザードン、カメックス以外の者たちは、全てオリジナルと同等の強さを持ち、オリジナルと同等の寿命、オリジナルと同等の生き方をする筈だった。遺伝子というものがお前たちをそう生かすと、私は彼らに答えたのだ」

わたしは思い描く。か細い光の差す小さな箱庭の中、高いところに立つミュウツーへその問いを投げたポケモンたち。それぞれの面持ちで、造物主へと答え無き問いを投げかけた彼らを。
真摯な目をして、悲しげな顔で、それでも怒りを持って、生きていることを問いかけた彼らを。

「ある者は子を持つことを望み、ある者は同じポケモンたちの群れに入ることを望んだ。世界に、彼らは組み込まれていくことを望んだのだ。かつて私が得たのは、もう生きている、この世界のどこかで生きていくという答えだった。そして、彼らは更にその先の答えを得た」

死んでいったから。
生と死のサイクルを経て、彼らは死んでいったから。その先に何かがあるという確証はなくても、恐ろしくても、死しかなくても、生きてゆく他にはない。その命の意味を世界に託して、彼らは死んでいったから。

「私にはできない。まだその瞬間は訪れない。ミュウが、私のオリジナルが生き続けるかぎり、私に死は訪れないのかもしれない。子を成すこともなく、この力を誰かに託すこともなく、問いの答えを見つけ出すこともできずに、ただこの世界にあるだけの……」

灰紫色の瞳に苦しみを湛えた獣を、アラバスターの女神が虚ろに見つめている。母の慈愛、などと嘯くには、その表情は酷薄だった。

「ならば、これが彼らに私がしてやれる最後の事だろうと思ったのだ。お前たちを造った私を造った人間たち、更にその人間を造った者へ」

呆気ないほど軽い音を立てて、散らばった骨に火が付いた。青白い炎が歪な骨を焼き溶かし、煙が香炉から立ち上る煙と合わさって混じり合い、宙に消えていく。
いつか、いつかこの哀れな獣の命が尽きる時、そこにこの樹脂が焚かれてあれば良いと思った。神々の榮域に満ちる弔いの香の中で、かれがその問いに答えを得る日を見届ける者があればいいと。
その時こそ、わたしはこの獣の爪先に跪き、泣きながら赦しを乞うことができるだろう。滂沱と涙を流し、胸に燃える苦しみに焼かれながら、造物主として憎しみを与えた間では決して告げることの出来なかった言葉をむなしく叫ぶことができるのだ。同じ苦しみを抱え、同じ憎しみを燃やし、あなたと同じようにまた我々も生きてきたのだと。生きている、そうして生きていくのだと。

あいしている、ともよ。



(ポケットモンスター 201127)



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