終焉 | ナノ




「すみません、その、本当に」
「もういいですよ。怒ってません」
「それは……良かったです。心から」

不慮の事故だった。元はと言えばモストロ・ラウンジのキッチンに魔法薬学で使った試験管を置き去りにした何者かが悪い。試薬を入れた後の試験管はしかるべき手順で洗浄しなければならないのだが、犯人はそれを行わなかったようなのだ。結果ラウンジのキッチンは汚染され、そこで作った料理を食べた最初の者が被害に遭った。つまりわたしである。

「今、アズールが犯人と使われた薬品の調査をしています。おそらく試験管の中身はイモムシのマッシュルームかと思われますが、確証がなくて」
「ああ、あの分量計るのが難しいやつ……」

イモムシのマッシュルーム、通称やばいキノコは薔薇の王国の迷いの森に生えるキノコで、食べた者の大きさを変える作用がある。なぜか迷いの森に住むイモムシが好んで食べるのでそういう名前がついたが、生憎わたしは生えているところを見たことがない。迷いの森は気の狂った、あるいは薬や魔法で一時的に正気を失った者しか出入りができない森だからだ。そのキノコを仕事で扱うこともあるが、危険度は文句なしの一級である。そんなものをキッチンに流すな。

「しかし、大きくならなくて良かったよ。ラウンジを押し潰したらアーシェングロット氏に何をされるか」
「あなたは被害者ですから。アズールも弁えていますよ」

くつくつとジェイドが笑うので、腰掛けていた手のひらが地震のように揺れる。何を隠そう今のわたしは全長二インチほどしかない手のひらサイズの小人なのである。ジェイドがわたしを握り潰そうと思えば、多分簡単に潰れてしまうくらいには小さい。
目の前には一口しか食べられなかったキノコと鶏肉のチーズマカロニ、そしてどことなく上気した顔のジェイド。薄っすらと頬を染めているのがなんとも言えずおそろしい。そういうフェティシズムがこの世に存在すると小耳に挟んだことはあるが、まさかそういうご趣味か。

「もしこれがイモムシのマッシュルームの効果なら、同じだけのキノコの反対側を食べなくては元に戻れません」
「なんて厄介な……」
「今のあなたの大きさでは同量を摂取するのに一週間はかかるかも知れませんね」

全長も縮めば胃も縮む。道理である。とりあえず上司に連絡して今日は上がりにしてもらおう。就業中の災難ということで労災が下りればいいのだが。有給の残りを頭の中で数えていると、微かに顔を赤らめたジェイドが何か言いたげな目でじっとこちらを見ているのに気が付いた。その目には覚えがある。こんなに小さくてもちゃんと鳥肌は立つのだなと思いながらそっとジェイドの手のひらを後ずさる。なんだかこの上に乗っているのは危険なような気がするのだ。
テーブルに降りようとしているのに気が付いたのか、ジェイドがゆっくりと指を曲げて蝶を捕まえるように手のひらを丸め始めた。身長もでかけりゃ手もでかい。指なんか長すぎて今のわたしの視点では細身の丸太のようだ。そんなものが四方八方から迫ってくるので、本能的な拘束への恐怖に背中に汗が滲んでくる。

「あの、ちょっとテーブルに降りたいなー、なんて」
「おや。高いところは危ないですよ。風に煽られるかもしれませんし」

普段の怜悧な様子が嘘のようにとろんとした目付きで見つめられる。さっきのしおらしい態度はどうした。またお得意の詐欺か。いや、彼らはやり口が悪どいだけで詐欺を働いているわけではないのだ。ただあまりに鮮やかに陥れられるので騙されたような気がするだけで。

ついに手袋の皺に足を取られてこてんと転げたところを指に絡めとられた。あくまでやさしく押さえられているが、逃してくれる気は更々無いらしい。ハムスターでも転がすようにしながら、ジェイドはニコニコと不吉に笑っている。

「ああ、そんなに怯えないで。ただ、少しだけ僕の作ったテラリウムの中を歩いてほしいだけなんです」
「…………」

少し譲歩した途端にすぐこれだ。わたしはやんわりと腹の上を押さえる指をぐいぐいと両手で押し返して抵抗を示す。もちろんジェイドにはアマガエルが暴れているくらいの感覚だろうが、意思を示すということが大事なのだ。勝手にテラリウムに閉じ込めて海の底で飼う算段を付けられていたことをわたしは忘れていない。

「以前、ちょっとした催し物をした際に入手したドール用のドレスがあって……赤を基調に黒を締め色で使った美しいドレスなんです。また催事に使うかもとラウンジの倉庫にしまってあるのですが、いかがでしょう?」
「いやいやいや、それ入ったら二度と出してもらえないやつ」

以前行った上映会で見たアマチュア映画にそんな筋書きの作品があった。有名な童話をもとにしたありふれた映画だったが、とにかく主人公を閉じ込めた時の魔法使いの演技がおそろしく、その日の夜は夢で少し魘されたのを覚えている。その魔法使いも、一日だけ、少しの間だけだと言って主人公をガラス瓶に閉じ込めたのである。
迷い込んだ人間を閉じ込める時の魔法使いのテンプレートでも存在するのだろうか。



(テラリウムで飼って)


***

?


「あなた、いつもこんな事に巻き込まれているのですか。オンボロ寮の監督生さんも相当なトラブルメイカー……いえ、巻き込まれ体質だと思っていましたが、まさかあなたもとは」
「わたしのトラブルの原因は大体あんたなんですけど?!」

海に引きずり込まれたり人魚にされかけたりテラリウムで飼われそうになったり、ジェイド関連でのトラブルは枚挙に暇がない。今だってただ二人でちょっとした買い物に出かけただけなのに、どう見てもカタギではない人たちに追われているのはどう考えてもジェイドが原因だった。何せ彼らはジェイドを見て「フロイド・リーチ!」と叫び、魔導銃まで持ち出して我々を攻撃してきたのだ。咄嗟にジェイドの腕を掴んで裏道を抜け、マジカルホイールに飛び乗ったわたしも悪いとはいえトラブルメイカー呼ばわりは頂けない。

「何なんですか、あの人たち!」
「この辺りは交通の要所ですし、活気のある市場が沢山ありまして。二つの組織がどちらがケツ持ちになるかで争っていたんですよ」
「それで!どっちと取引したんです?!」
「両方です」
「両方!!」

ミラーに映るジェイドはわたしの絶叫などどこ吹く風といった顔でにこにこと笑っている。今すぐマジカルホイールから蹴落としてやりたいが、ジェイドの腕はガッチリとわたしの胴体をホールドしているのでそれも叶わない。
相争う二つの組織、その両方と取引するなんて一体どこをどう間違えたらそんな恐ろしい事態になるのだ。あのアズール・アーシェングロットとこの双子の事である。人間界の常識など毛ほども通用しないすてきな三人組を頼った挙句、組織は二つとも壊滅的なダメージを被ったに違いないのだ。それこそもう組織と呼べるような体は為していないのかも知れなかった。

「クレームを付けて来られたのでフロイドが丁寧にご挨拶に伺ったのですが、気に入っては頂けなかったようですね。人数が多いと思って、お菓子は個包装のマドレーヌを持たせたんですがやはりクッキーの方が良かったでしょうか。どう思います?」
「辛党だったんじゃないですかね!!」

素で言っているのかとぼけているのかよくわからないボケはやめてほしい。ジェイドの顔を見てフロイドの名前を叫ぶくらい追跡者の皆さんは酷いトラウマを植え付けられたという事だろう。ちゃんと見れば全然違う顔をしているのに。

「嬉しいですね。そんなことを言ってくださるのはあなただけですよ。他の方はソックリ兄弟とか、ヤバいほうとか、あまりセンスのある見分け方はしてもらえなくて」
「わたしはジェイドを見間違えたりしません!!良いから障壁張って下さい!!」

魔導銃は比較的ポピュラーな、人なら誰しも少しは持っている魔力を圧縮して撃ち出す簡単な構造の武器である。その分変換効率も良いし、威力も高い。それでもジェイドクラスの魔法士が張るバリアを破れるほどではないが、弾がマジカルホイールに当たりでもしたら大事だ。
今はもう両脇に店の並んだ大通りを抜け、住宅街まで逃げてきたがこんな所で大魔法をぶっ放すわけにもいかないのでとにかく我々は街外れまで逃げる他ない。確かこの街の外れには旧い石切場があって、そこなら多少派手な魔法を使っても大きな被害にはならない筈だった。

「こんな人気のないところに僕を連れてきて……一体どうしようと言うんです?まさか、僕の貞操を……?」
「その小ボケいつまで続ける気だ。何なんだ、浮かれてるのか?」
「それはもちろん。気付いていなかったんですか?だって、デートなんですよ?」

バチンと障壁で銃弾を跳ね返しながらジェイドが笑う。頬を染めるな頬を。

ギュル、と愛車が悲鳴を上げ、噛み損ねた砂がぱらぱらと体にぶち当たる。荒い息を吐くわたしを他所に、軽やかな動作でジェイドがマジカルホイールから降りた。その向かいに続々と集まってくる皆さんはどう見てもチンピラかヤクザといった風体で、その上えらく殺気立っておられる。

先頭の男が何かを叫ぼうとした瞬間にジェイドがファイアショットをぶちかました。

「ああ〜!ひどい!名乗りを上げる前に攻撃するのはルール違反ですよ!」
「イグニハイドの寮長さんのような事を仰いますね。まああの方も別に攻撃するのを躊躇うわけじゃないんですけど。まあ、決闘と戦闘は別物ですよ」

ボカンボカンと炎が爆発する。直接人に当てているのではなく、地面を爆破して脳震盪を起こさせたり鼓膜を破いたりして戦闘不能にしているのだ。もちろん魔法で人を傷付けるのは犯罪である。魔法を使った搦手で肉体的社会的不利に陥らせるのはアリ。全然アリだ。だからジェイドたちの悪徳魔法商法を見抜けなかったチンピラたちは完全なる逆恨みなのだが、逆上している相手にそれを納得してもらうのは難しい。



(気の狂った天使と話せる悪魔なら果たしてどちらが良いのかという話)


***
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?





生い茂った草を掻き分け、煉瓦を積んで作られた粗末な物置を探す。堆く積まれた堆肥置き場が隣接しているので、辺りはひどく臭う。鍬やシャベルと一緒に壁にかけられたサラマンダー皮の長手袋と長靴を身に付け、腰に園芸道具の入ったベルトを巻く。サラマンダーは火山地帯に住む魔物で、これの皮は分厚く、火と毒を通さない。本来であれば特殊なフィルターの付いたマスクもしなければならないのだが、何代か前に混じった妖精の血のおかげで普通の人間よりは体が丈夫にできている。装備が多くなればなるほど煩わしいので、この体質には感謝していた。
歌になぞらえた魔法の呪文を呟きながら、道なき道を歩く。これはこの植物園の中で、呪文を知る者にだけ示される道である。この先にあるのはナイトレイブンカレッジでも最も危険な一帯、ありとあらゆる毒草、毒虫が蔓延るラパチーニの庭なのだ。

「やあ、ヴィルさん。いつもながらその軽装は頂けないな」
「あら、ご機嫌よう。いいのよ、慣れてるから」

トウゴマの茂みの前で、かれが優雅に微笑む。
この庭で行き交う人は少ない。その中でもわたしのように手袋と長靴だけの姿で歩む人はかれだけだ。

「種はもう少し先ですよ」
「そのようね。今日はハシリドコロだけもらっていくわ」

トウゴマにハシリドコロ。だれかに幻覚でも見せるつもりなのだろうか。疑問が顔に出ていたのだろう、かれがこちらを見てくすりと笑う。

「フェアリー・サークルよ。街の子が、うっかり中に入ってしまったのですって」
「ああ、なるほど」

森の妖精が踊り狂う最中に入ってはいけない。ダンスが終わるまで放してもらえないから。それが小さい子供や若い娘ならば尚更だ。いくつかの毒草、それも幻覚作用のあるものを煎じて飲ませ、妖精の輪から魂を取り戻さなければならない。普通であれば街の魔法士に調合を頼むが、たまに依頼がカレッジに舞い込むこともある。今回は魔法薬学、特に毒の扱いに長けたかれに白羽の矢が立ったのだろう。

「そういえば一昨日は新月でしたね」
「暗い中で見るフェアリー・サークルはそれは綺麗だもの。小さな子が魅かれるのも無理ないわ。あなたも血が騒いだのではなくて?」

わたしはかれの言葉に曖昧に微笑んだ。わたしに混じった妖精の血は、どちらかといえば魔性だ。新月や満月の日に森や草原で慎ましく踊るだけのピクシーたちとは種族が違う。



(毒草の女王)




(ツイステッドワンダーランド 200810)




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