終焉 | ナノ




海辺の国は豊富な海産資源と人々の大らかな気質でよく知られた、小国ながら豊かな国だ。そして大昔に王子が海で助けた娘を妃にしたという伝説が残る地。この国にはよく塩と海産物の買い付けに出向くという話を以前ジェイドにした時は何も思い当たる事は無かったのだが、よく考えなくてもこの娘というのはアトランティカの王女にして海の魔女に足をもらった人魚姫ではなかろうか。
仕入れた塩やら乾物やら缶詰やらを大量に積んだマジカルモービルを転がして、指定のあった海岸へ向かう。入り組んだ入り江は全くの無人で、地元の人でさえあまり知らないような場所らしい。確かに砂が驚くほど白い他は特に珍しいものもない。村からも遠く、船が繋げるほど広くもなく、極め付けに陸側は崖になっている。モービルが道無き道に生えた灌木をばきばきと薙ぎ倒して悲しいほどにゆれるので、途中で諦めてエンジンを切った。助手席から取引先のおばちゃんが好意でくれたランチボックスとコーヒーを入れた魔法瓶を掴んで肩掛け鞄に入れ、なるべく緩やかな道を探して崖を降っていく。

ジェイドに電話番号を渡して以来、カレッジのホリデーにたまに二人で出かけるようになった。清く正しいお付き合いの道である。
今はカレッジも長期休暇に入っているので、当然休業中のモストロ・ラウンジへの納品もなくここ暫くジェイドやアーシェングロット氏の顔を見ていない。存外わたしはあの変な学校の変な人たちに会うのを楽しみにしていたのだなと思いながら灌木の茂みを抜けた。トゲのあるこの灌木はハマナスというのだと、いつだったかジェイドに教えてもらったものだ。

「おお、……おお?」

茂みを抜けるとそこは男性用浴場だった。
人が踏みいることの無いだけあって、なるほど美しい入り江だ。やたらに白い砂、真っ青な海とどこまでも続く水平線、盛夏だけあって岸壁に生い茂った草も青々としている。風の向きが良いのか、磯臭さはほとんど無く、心地いい潮風が吹き抜ける砂浜は腰掛けるのにちょうど良さそうな鈍い銀色の岩さえ誂えたように転がっていた。

そしてそこに裸の男が座っている。

裸というには語弊がある。何せ男の下半身は青緑色の鱗と粘液に覆われたウツボの鰭になっているからだ。岩に乗せた腰骨の辺りから徐々に模様が広がって、濃色の尾鰭の先は海に浸かっている。何というか、万人がかくあるべしと想像する人魚姫の図であった。それがガタイの良い、妙に肌の白くてギザギザの歯の、胡散臭い笑顔が素敵な男でなければ完璧だったのだが。

「あっ!ヤドカリちゃんじゃーん!おっそぉーい」

ざばっと波を掻き分けて、人魚男の向こうから同じ顔がもう一つ上がってきた。普段あまり接することのない相手に少したじろいでしまう。
ヤドカリというのはフロイドお得意の愛称で、わたしがいつも大荷物を背負って来るかららしい。その荷物を発注しているのは君たちだ。ぶんぶんと水飛沫を飛ばしながら手を振ってくるフロイドは、カレッジにいる時より大分ご機嫌に見える。実家、というか海に帰省しているからだろうか。

「どうぞこちらへ」

にっこりと笑ってジェイドが岩の上を指す。ランチボックスの入った鞄を先に乗せ、勢いを付けて岩の上によじ登った。今日のジェイドからは嗅ぎ慣れない海の匂いがする。隣には人魚姫ポーズのジェイド、鞄を挟んで向こうには上半身だけを岩の上に乗せたフロイド。何だか妙な光景だった。
早速鞄を漁り始めたフロイドが、ランチボックスの中にタコと季節野菜のマリネサラダを見つけて歓声を上げた。一緒に入れていたフォークで器用に野菜を避けてタコだけをひょいひょいと口に放り込んでいる。ジェイドはそれを何だか親みたいな顔でにこにこと眺めていた。

「お忙しいところを急に呼び出して申し訳ありません。あなたがこちらの方へお仕事に来ると伺ったものですから、つい」
「いやいや、今日は仕入れだけなので。忙しくも何とも」
「ラウンジもやってねえし、ヤドカリちゃん暇なんじゃね?って話してたんだあ」

フロイドの言葉にジェイドがちょっと困ったような顔をする。カレッジ内にあるモストロ・ラウンジとMr.サムの店はそれは大口顧客ではあるが、他にも仕事は山ほどあるのだ。まあフロイドの言葉に一々目くじらを立てていても仕様がない。わたしはフロイドに避けられてしまった可哀想な野菜を摘みつつ、ジェイドに手作りのサンドイッチを渡した。塩漬けのハムと卵、レタスだけのシンプルなものだが、ジェイドは嬉しそうにサンドイッチを食べ始めた。
珊瑚の海の国は海底にあるだけあって、魚介類は豊富だが肉類が手に入りにくいらしい。海鳥以外の卵も貴重な部類の食材だろう。

「オレたちはねー、ちょー暇!なぁーんもやることない!」
「課題も終わらせてしまいましたしね」
「海ん中は楽しーけど、これなら授業あった方がよかったかも」

ぱしゃぱしゃと半身を水に浸けているフロイドの尾が水面を叩く。タコを全て食べ終え、今度はチキンと胡瓜のサンドイッチから胡瓜だけを抜いてシャクシャクと齧っている。ジェイドが催促するので胡瓜を食べ尽くされたサンドイッチを渡してやった。
陽光の下で見る人魚の尾鰭は色鮮やかだ。海中での煌めきが薄い分、より細かい色合いが見えるのだろう。双子でもフロイドはより金色の模様が強く、ジェイドはオリーヴ色の割合が多い。鱗の連なりも魚というよりかは蛇に近いようだ。それが身動ぎの度に視界の端できらきらと光るので、ネコが動くものを目で追うように何となく気になってしまう。
特にフロイドが泳ぐ時のあの動き、人の脚では絶対にああは動かない。どうなっているんだ。

「さっきから、随分と熱心にフロイドを見ていますね」
「ん?……あー、その、尾鰭がね」

人魚界において他人の尾鰭に言及するのは失礼に当たらないだろうか。
人魚になる薬を飲んだ時も結局最後まで鰭を上手く動かせずに終わったわたしには、未だに鰭というのは謎の器官であった。

「僕たち、双子なので」
「ええと、存じてますが……」
「それは良かった」

ずい、とジェイドが両手を岩に突いてこちらに寄ってくる。近いので、肩のあたりの肌に雲母の模様が薄っすらと散っているのがよく見えた。真珠色の肌に暖められた海水から取れた塩の粒が浮いているのさえ。

「ですから、どうぞ」

膝の上にべちんと尾鰭が乗せられた。
半乾きとはいえちょっとぬるぬるしているし、やっぱり濡れている。じわじわとズボンの布地が水を吸って色が変わっていくのが見えた。そして普通に重い。
フロイドは双子の奇行には興味がないのかデザート代わりのリンゴを芯まで食べ尽くして岩の上でうとうとと微睡み始めた。助けてくれるとは端から期待してはいなかったが、一言くらい言及してくれても良かったのに。

「気になるのでしょう?」
「それは、まあ」

気になるかならないかと言われたらめちゃくちゃ気になる。わたしはそっと鰭の上に手を乗せ、ぬる、と撫でるように滑らせてみた。
感触は完全に魚のそれだ。ほのかに脈打っていて、人肌よりは大分冷たい。少し力を入れて、軽く揉むようにしてみる。皮、なのだろう。肉と骨の感触から少し弛みというか、動きがずれる感じがあった。筋肉構造はウツボのそれと同じなのだろうか。ウツボは骨が多くあって、熟練の職人が捌かないと上手く食べられないのだと市場のおやじさんが言っていた。

「ふふ、そんなにまじまじと触られてしまうと……あなた、変態さんみたいですね」
「自分から乗せてきたんじゃないですか」
「ふふ、ふふふふ」

ジェイドが口に手を当ててくすくすと笑う。確かに乗っているのが人魚の馬鹿でかい尾鰭でなければ恋人同士が膝の上でイチャついているような体勢ではある。

「でも、そんなにいやらしく触るから。人間の手はとても熱くて……おや、僕はもしかして弄ばれてしまったんですか?」
「学術的興味!学術的興味の範疇です!」

いきなり美人局みたいなことを言い出さないでほしい。やけに似合うし慣れている感じがまた嫌だ。ジェイドがすり、と魚が身を寄せるようにすり寄ってくる。首を傾ければ直ぐそこにジェイドの顔があった。左が金、右がオリーヴ色の不思議な色の目玉が二つ。目を見て、目を逸らさないで。

「『僕の鰭、触ってどう思いました?』」

にっこりとジェイドが笑う。薄い唇から尖った歯が覗く。蕩けたような金色がわたしを射抜く。
喉の奥から何か、わたしの知らない何かが溢れて来るようで、咄嗟に目の前の唇にかじり付いてしまった。ジェイドの唇は薄くて冷たくて、少しだけサンドイッチに使ったマヨネーズとマスタードの味がした。目を見開いたジェイドがバランスを崩して岩から海へと滑り落ちる。ドボン!と重そうな落下音が響いた。

「えっ!ナニ?!」

微睡んでいたフロイドが飛び起きて周りを見回している。じっとりと湿った太ももの布を掴んで、未だに波紋に揺れている水面を見下ろす。
食べられるかな、と思ってしまった事はお昼時だったということで許してもらおう。


(ツイステッドワンダーランド 200404)



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