終焉 | ナノ




「うわ、雨だ!」

誰かの悲鳴のような声と慌てた足音が聞こえたと同時にざあっと強く雨が降ってきた。わたしは慌てて台車に乗せた荷物の上にユニーク魔法を掛ける。大体二メートル四方の範囲に耐熱、耐風、耐水、耐紫外線、あとちょっぴりの耐魔法効果のあるバリアを張るスキルである。魔法士としての訓練は受けていないのでささやかにも程がある魔法だが、卸業者としては大変に有用な魔法だ。持続時間にも限りがあるので、早めに雨宿りができる場所を探さなくてはならない。

中庭の、それぞれの寮に繋がる鏡舎がある場所の近くにはちょっとした四阿があって、そこならきっとこの台車も邪魔にはならないだろう。荷物は全てオクタヴィネル寮のモストロ・ラウンジへの納品なのでこの通り雨が止んだらすぐに運ぶこともできる。
ガラゴロと台車を転がして駆け込んだ四阿には先客がいた。崖下にある四阿は雨天の中でさらに暗く、その中で長身の男が何をするでもなく立っていると都市伝説系の怪談の趣がある。こう、子供をさらって食べる感じの。怪談染みた男は、台車を引きずるわたしを見るとゆっくりと口角を上げて微笑んだ。

「おや、雨宿りですか」
「そちらこそ。ウェザーニュースには雨のマークは無かったと思ったんですけどね」
「この降り方では通り雨でしょう。直に止みますよ。それよりも、どうぞこれを」

ジェイドが礼儀正しく差し出してくれたハンカチを受け取って、ありがたく髪を拭う。悲しいことにわたしのユニーク魔法は自身には作用しないので、荷物は無事でもわたしはそうは行かなかった。もっときちんと魔法を学ぶ機会があれば、もう少しマシに魔力を扱えるようになるのだろうか。海の魔女は天候を操って何艘もの船が沈んでしまうほどの嵐を巻き起こしたと言うが、それほど強くはなくともその力の片鱗を目の前の男が持っているのだと思うと少しだけ奇妙な感じがした。
当のジェイドは誰もいない、雨の降り頻る鏡舎へ続く道を何を見るともなしにぼんやりと眺めている。

ぬるま湯のような、生暖かい春の雨だ。灰色の雨粒に花の色も褪せていく。わたしは手のひらに魔力を溜め、指でシャボンを吹くように息を吹いた。妖精の翅から落ちる魔法の粉を模した光がキラキラと輝きながら雨の中に消えていく。火の魔法と風の魔法を使った子供騙しのおまじないは、昔近所に住んでいた魔女がよく見せてくれた雨を止ませるおまじないだった。嗄れた声が柔らかに呪文を唱える。レイン、レイン、ゴーアウェイ。

「何です、それ」
「雨を止ませる魔法ですよ」

笑いながら答えると、ジェイドが奇妙な顔をした。もちろん、天候を変えるなど超一級の魔法士でなければ無理な話だ。ネタばらしをすると、ジェイドはさらに変な顔をした。

「……海の中には、雨が降らないもので」

こうして陸の上に居て、雨の降るのを眺めたり、況してや雨に濡れたりすると未だに妙な気持ちになるという。いつも身の周りにあったそれが、陸に上がった途端に忌むべきものにでもなってしまったようで。濡れることを煩わしいと思う気持ちが、自分の心ではないようで。

「僕たちの家は深いところにありましたから、フロイドの気まぐれについて行く他は海上に出ることもありませんでしたしね。……一度だけ、僕たちが小さな頃の話ですが、強い雨が降っていて。雨粒が海面を叩いても、海に溶けてすぐに消えてしまう。いつもは青い水面が割れた鏡のような銀色で、何かが弾けるような奇妙な音がして……それを僕たちは手を繋いだままいつまでも眺めていたんです」

思い出をなぞるようにジェイドが空を見上げた。かつて小さな双子の人魚が見た景色を想像するのは、わたしには悲しいほどに難しいことだ。
あめ、あめ、あっちへ行け。いつかどこかで、わたしが降り止めと願った雨がジェイドとフロイドに銀の水面を見せたのだろうか。わたしは指と指を擦り合わせ、いつもより少し多めにフェアリーダストを雨空に振り撒いた。乾いた火の魔法と雨粒がぶつかって一瞬だけ水蒸気が立ち上る。

「『どうして火はあるの?燃えるってどういうことかしら』」
「え?」
「例のね、海の魔女と契約したアトランティカの姫君が残した言葉です。彼女は素晴らしい歌姫で、僕たちの国にも愛唱歌と言いますか、そういうものとして残っているので。少し思い出してしまいました」

では今のは地上への憧憬を歌った歌の一節か。

「……なかなか良い声でしたよ、ジェイド。今度通しで歌って聴かせてください」
「それは……この歌を陸に上がった人魚が人間に聞かせるのは、少し滑稽でしょう」
「じゃあ海の底で聴かせてもらおうかな」

ジェイドが珍しく呆気に取られた顔をした。フェアリーダストのおまじないが効いたわけでもないだろうが、雨足が大分弱まっている。素早く荷物にユニーク魔法を掛け直し、鍛えられた台車捌きで少し泥濘んだ道を駆け出した。まあ、またすぐにモストロ・ラウンジで会うことになるのだが、その時にはもう何事もなかったような顔をしているに違いないのだ。



あなたの世界の一部(ツイステッドワンダーランド 200402)



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