終焉 | ナノ


※三章配信前捏造特盛




「はい、ごっくん」

後ろからずるりと伸びてきた手に鼻を摘まれ、口に液体を流し込まれる。突然呼吸を奪われた身体は一度大きく痙攣し、生存本能に従って酸素の確保を求めた。飲み込んでしまった液体の妙な甘ったるさにしまったと思うものの、全ては後の祭りである。視界の端に納品する予定だった豆の缶がガラゴロと床に転がる残像を焼き付けながら暗渠へと引き摺り込まれていく。
モストロの名を冠した場所で本物の怪物に襲われるなんて洒落にもならない。魔法でラグーンの中に沈められていてもナイトレイブンカレッジの寮内は魔物が入って来られるほどセキュリティは甘くないはずなのだが。

「ああ、そんなに暴れないで。落ち着いて、そう、鰓を意識して呼吸してみてください。肺呼吸とそう変わりありませんから」

ーージェイド!!!!

叫んだはずの声は濁った泡となってごぶごぶとわたしの口から吐き出される。呼吸ができないわけではないが、どことなく息苦しい。全身にかかる水圧も不快だ。ちり、と潮が肌を灼く。
後ろからわたしを羽交い締めにしているジェイドを蹴り飛ばしてでも振り解こうとして、自分に脚がないことに気が付いた。顔からさっと血の気が引く。まさか、さっき飲まされたのは。

「落ち着きましたか?ふふ、やはりまだ陸上の生き物を完全な人魚にするのは難しいですねえ。海の魔女の偉大さがよくわかる」

腰の辺りはがっしりと掴まれたまま、向きだけを反転させられる。わたしは再度悲鳴を上げたが、その声も泡になっただけだった。
ジェイドは上半身に何も着ておらず、滑らかな白い肌を惜しげもなく晒している。腰骨のあたりから薄っすらとそばかすのような褐色の模様が浮き出て、それが徐々に密度を増し、灰色がかった濃い緑色の鰭となって腹部へ続いていた。体色は髪色にも似た緑、動きに合わせて複雑な色味に変化するのは細かい鱗が連なってその表皮を形作っているからだろう。楕円に潰れた長い尾鰭は、魚というよりは蛇に似ている。ぐるりとわたしの魚に変化した下半身に巻き付いている様も獲物を絞め殺そうとする蛇のようだ。

人魚。
海の魔物。わたしはぼんやりと、こんな下肢を持っていたら、陸に上がった当初はそれはそれは歩きにくかった事だろうと益体もないことを考えていた。完全なる現実逃避である。

「どうです?鰓……は出来てますね。ああ、でも肺も機能している。ふふ、ふふふ、これじゃまるでキメラではありませんか」

わたしの下肢を撫ぜながら心底楽しそうにジェイドが笑っている。お、お前が犯人のくせして……!今すぐ突き飛ばしてビンタの一つでもかましてやりたいが、しかし尾鰭はわたしの意思とは明後日の方向にゆらゆらと動くだけだ。多分今ジェイドに離されたら泳げずに沈む。そして今わたしはイルカの半魚人状態であるからして、どこかで息継ぎができなければ溺れ死んでしまうだろう。死場所に拘るつもりは毛頭無いが、死に方はできるだけ穏やかなほうがいい。溺死はその点わりと選びたくない部類の死に方だ。
ジェイドがまた焼いた煎餅を返すようにわたしをひっくり返し、巻き付いた下肢でわたしの尾鰭を持ち上げた。心持ち陸上より水掻きが発達した長く白い指がわたしの灰色の肌の上を這う。鱗のない哺乳類の肌は、何の抵抗もなく不躾な指を許してしまう。人魚界における裸の概念というのはどうなっているのだろう。わたしは上は辛うじてシャツを引っ掛けているが、ジェイドは裸だ。服は窮屈だと言っていたような気もするし、まさかこれは所謂裸のお付き合いというやつでは。思考を明後日に飛ばしているわたしを他所に、ジェイドはしげしげと己の魔法薬の成果を観察している。
休暇シーズンで幸いだった。オクタヴィネル寮はラウンジを運営している事もあって他の寮より人の出入りが多い。こんな姿を誰かに見られたら即学園長お呼び出しコースだ。わたしは出入り業者の資格を剥奪されること請け合いである。まあジェイドもそんな危険は承知の上でこの凶行に及んだのであろうが。

「元の姿、という要素に頼りすぎたのが敗因ですね。僕たちは元が人魚なので、身体の補正力が魚に向きますが、あなたは人間なので。間を取って海生の哺乳類に落ち着いたんでしょう。まだ改良が必要です」

ーー話せないしな!

ごぶ、と泡を吐くとジェイドがくつくつと笑う。どうやら話せないのはわたしが発声が下手だかららしい。海の中では海の中なりの音の出し方があるようなのだ。泳げない尾鰭といい、ナイトレイブンカレッジに在籍する人魚の皆さんの苦労が偲ばれる。陸に上がった当初は相当な苦労をなされたことだろう。

少し自力で泳いでみようかと下肢に力を込めると、ジェイドが慌てたように巻き付く力を強くした。人間の時も身長が大きかったが、人魚の姿でも相当尾が長い。

「どこへ行こうというんです。その尾はあなたが思うよりずっと速度が出るんですよ。力を抜いて、そう、それでいいんです」

確かに、弾丸のように泳ぐイルカを見たことがある。迷子になって行方不明というのも決して迎えたくない終わりの一つだ。絡み付く尾に身を任せるようにしたわたしを見て少し考える素振りをしたジェイドがラグーンの底、細かな藻が繁茂した岩陰を目指して潜っていく。この薬の効果がどのくらいで切れるのかはわからないが、しばらくジェイドに付き合うほか無さそうだ。

藻の上は意外と居心地が良かった。
まだ後ろからぐるぐると巻き付いているジェイドというクッションがあったからかも知れないが、幼い頃によく聞かされる古の人魚の国アトランティカから伝わったという童謡を思い出す。蟹の音楽家が作ったとかいう、……海の底では本当に蟹が歌うんだろうか?
訊ねようにも上手く喋れないし、当のジェイドはわたしの人とイルカの継ぎ目を観察したり背鰭の厚みを測ったり鰓や水掻きの様子を確かめたりと成果のチェックに余念がない。わたしは生活魔法程度の魔力と知識しか持たないのでこれだけでも相当にすごいと思うのだが。

「確かに、定期的な息継ぎが必要な以外は十分に水中で暮らしていけるほどの完成度です」

元々陸上生物であるわたしには面倒な以外のデメリットはあまり思い浮かばない。その表情を読み取ったのか、ジェイドが限界まで唇を吊り上げて満面の笑みを浮かべた。ちょっとゾッとするくらい綺麗な、歪な笑みだ。ゾワリと肌が粟立つ感覚があったが、人魚は鳥肌が立たないらしく気分だけで終わってしまった。代わりのように腹膜の近くに出来た鰓からごぶりと泡が立つ。

「背鰭から数えて、人差し指一本分の長さ」

すり、と腹側の、今まで意識もしていなかった場所を擦られる。何だか、そこは、こわい。
嫌だ、という抵抗も体格差がありすぎてあまり意味がないようだ。へそに指を差し入れられているような、内臓を外から強く押されているような。きっとこの感覚を恐ろしいと思うことだけが確か。

「ここ、にね。はあ、孔、が、ありまして。ご存知でしょう……?」

知らん知らん知らん。
こぷこぷと霧のように細かな泡がジェイドの言葉と一緒に吐き出される。すりすりと肌を擦っていた指にくっと力がこもる。ダメだ、そこは、開いてしまう。

「熱い……さすが、恒温動物ですね……。あなたたち、ココで卵を孵して、少し育ててから子供を外に出すんですってね。最初に聞いた時は何て気持ちの悪い生き物だろうと思ったんですが……僕たち、暖かい場所は嫌いではないので……ふふ、今は少し理解できそうです」

とうとう指が孔のナカに押し込まれた。喉に指を突っ込まれているような、内臓を掻き回される生理的な嫌悪が襲ってくる。後で調べてこの孔は総排出腔と呼ばれる全ての排泄機能をごた混ぜにしたような恐ろしい孔だと知ったが、今はただジェイドにされるがまま、締め上げられてまともな抵抗もできない。

「ですが残念ながらそういう機能は僕たちには無いので……だから、あなたに卵のまま産める身体になってもらわないとならないんです。ああ、益々勉強に励まなくては!」

内臓を弄られながら、泡と一緒に吹き込まれる言葉は殆ど耳に入ってこない。眼下で動くジェイドの腕に鱗と同じ色の雲母のように煌めく模様が浮かんでいるのをぼんやりと眺めながら、ただこの地獄みたいな時間が早く終わることを願うばかりだ。



(ツイステッドワンダーランド 200330)



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