終焉 | ナノ


「例えば、の話ですが」

ジェイドが左が金、右がオリーブ色の目を細めてそう切り出して来た時、わたしは確かに嫌な予感がしていたのだ。というか、オクタヴィネルの悪名高きすてきな三人組がこういう顔で何かを言ってきた時は大抵良いことが無い。
この前は学園長に頼まれて仕入れてきた高級茶葉の残りを因縁を付けられて安値で買い叩かれたし、その前の三人がかりで懐柔され謎の契約書にサインをしてしまった時は本当に酷かった。あの期間は未だに記憶が曖昧で何をさせられたのか覚えていないのだが、精神衛生によろしくないのでこれ以上は詮索しないようにしている。それでもモストロ・ラウンジの卸業者として重宝はしてくれているのか決定的な事件は起きていないが、さて。
思わず二十五キロの小麦粉が詰まった袋を抱き締めてジェイドを見返す。いつ見ても映画に出てくるギャングのような見た目の寮服だ。全寮制男子校のナイトレイブンには、女は年に一度のマジフトの大会か学園祭の時くらいにしか足を踏み入れる事ができないので、レアと言えばレアな姿だ。特にオクタヴィネルはマジフトが強いわけでもないので長くテレビ中継される事もない。ブロマイドが出回っているという噂もある寮長一家には、ナイトレイブンまで足を運ばなければ会えないのである。わたしが月に二度は仕入れで会うと言ったらオクタヴィネルファンに刺されるかもしれない。

「赤い屋根と青い屋根でしたら、どちらがお好きでしょう」

にこっとジェイドが笑う。
また突飛な質問が来たものだ。赤い屋根と青い屋根。昔からある怪談のように選んだ答えで違う殺され方でもするのだろうか。

「……赤い屋根、ですかね」
「なるほど!素晴らしい。僕も赤い屋根の方が映えるな、と思っていたところです。でしたら、家具はマホガニーよりウォールナットが良いでしょうね。塗装はオイルでしょうか。湿気が心配ですし」

はあ、と気の抜けた相槌を打つ。何の話をしているのだろう。いや、屋根と言うからには家の話なのだろうが、わたしは食品や食器の卸業者であって、不動産屋では決してない。そもそも珊瑚の海からやってきた彼らは陸に住み続ける気があるのだろうか。
かつての海の魔女の時代には海の底には陸とも交流を持ったアトランティカという大きな人魚の国があったと言うが、それも今は昔の話で海の底は未だに謎の場所だ。陸にいる人魚の皆さんも絶対数が少ない上に浮世離れした人か油断のならない性格の人が多く、語られる話のどこまでが本当なのかよくわかっていない。

「道と階段を作って……そうですね、池と、木陰はシダよりポトスなんかが良いでしょうか。ああ、ユキノシタをこの前採ってきたんです。丸い葉の、白い花が咲く草で」
「ははあ、なるほど」

そういえば前にテラリウムを作るのが趣味なのだと言っていたような気がする。緑の指を持っているのだな、羨ましいことだと返した記憶が微かにあって、その時の楽しげな様子と今のジェイドの表情が重なった。つまりは、ジェイドはわたしに新しいテラリウムのコーディネートについて相談していたのだ。小麦粉の納品の最中にニヤニヤと笑いながら言われたので無駄に警戒してしまった。くそ。

「何か、生き物でも入れるんですか。まだ飼ったことないって言ってたと思うんですけど」
「おや、覚えていて下さったんですか。そうなんです。陸の植物を育てるのにも大分慣れてきましたし、ステップアップしてもいい頃合いかと」

にっこりとジェイドが笑う。おお、今のは嫌味のない良い笑顔だ。獣人属でもあまり見ない均等に尖った歯さえ覗いていなければ爽やかですらある。
わたしはどすどすと小麦粉の袋を台車に積みながら頭の中に少し大きめの水槽をイメージした。丸い葉のかわいい植物が生茂った陸地、ポトスの木陰、池と言っていたから両生類か何かを飼うのだろうか。カエルはキスをするとたまに王子様になったりするのでペットには不人気だ。イモリは魔法薬の材料にもなるし、魔法士のペットとしては適当かもしれない。赤い屋根の家、クルミ材の家具付きの、……イモリ?

「イモリって机とか使うんですか?」
「はい?……使うか、と言われれば、使わないと思いますが」

んん、何だか話が噛み合わなくなってきた。わたしはにこにこと笑ったまま、クリップボードに何かを書き付けているジェイドから距離を取る。幸いにも納品はこれで終わりだ。次に会うのは半月後、しらばっくれる余裕は充分にある。

「小麦粉半ダース、確かにお届けしましたので!それではまたご贔屓に……」
「イモリには必要ないと思いますが、あなたは使うでしょう?」

思わず振り返ったわたしの視界に、左右で色の違う目が映り込む。その目はダメだ。金色、ぐるぐると渦を巻く。オクタヴィネル寮の抑えられた照明の中で、月か、或いはもっと蠱惑的な何かのように脳みそを揺さぶってくる。

いやいや、使うって何だ。わたしが、どこで、何を使うって?

「今では種族を超えた恋愛もそう珍しいことではありませんから、各種手続きさえ熟せば変身薬も買う事ができますが……あなたの脚はあまり美しいとは言えないので、尾鰭になっても不恰好でしょうし、それはあまりに忍びないと思いまして」
「喧嘩売ってんのか」

ジェイドから目を逸らせないまま小さく唸るわたしを、哀れな小動物を見る目でジェイドがせせら笑う。人魚。美しい容姿と歌声とを持つ、海の魔物。そう、人よりは魔物に近い。海と陸とはいつまで経っても相容れないものなのだ。
幸福だったか?世間知らずの人魚姫。海からやってきた、まともに歩けもしない王妃を宮廷の人間たちはどう思っただろう。薄氷の上、あまりにも脆く薄い氷の上に成り立つ恋へ人魚姫を送り出した海の魔女を、わたしは慈悲深いとはどうしても思えない。

「その契約が唯一、半永久的な効果を持つ変身薬を使用できるものなんですが……契約の破棄が認められた場合、陸に戻れてしまうんですよね。それですと、大変に都合が悪い。その点、海の魔女の契約は不履行に陥った場合の対価として半永久的な魂の拘束を約束するものでして」
「なんでそこをなぞろうと考えちゃったんですか」

海の生き物は総じて臆病だ。ヒエラルキーの頂点に立つ一握りの生き物を除いて、彼らは皆あらゆるリスクを回避することで生を繋いでいる。その性質が彼らを契約社会に導いたのだろうか。
ジェイドが上から下までじっくりとわたしに視線を這わせる。一級の魔法士が作る姿かたちを変える変身薬は貴重かつ高価だが、大きさを変える薬は比較的安価で使用制限も緩い。特に特権階級である魔法士が、契約不履行の相手にペナルティとして使う場合は更に簡単だ。片側を食べれば小さく、もう片側で大きく。森のきのこを無闇に食べてはいけない事は子供だって知っている。

「あのかわいい丸い葉……あなたに似合うと思うのですが」

ユキノシタがどういう草なのか露ほども存じ上げないが、どれほどかわいい草が一緒だろうが水槽に閉じ込められるのは御免だ。それはジェイドたち海の生き物にとっても変わらないはず。

「……つかぬことを聞きますけど、海の底でわたしとどう暮らしたいんですか」
「ええ……?それは……楽しく、ですかね」
「はあ」

小麦粉の積まれた台車の横で、こてんとジェイドが小首を傾げる。珊瑚の海の情操教育は一体どうなっているのだ。天真爛漫なお姫様か女の口説き方も知らないウツボしか育たないのだろうか。
わたしは逃げ出そうとしていた足を止め、帳簿の角をちぎって業務用ではない電話番号を書き付けた。男女が一つ屋根の下で楽しく暮らすには、それなりの手続きが必要なのだ。もちろん相手を縮めてガラス瓶で飼うための手続きではない。
差し出された紙切れを、ジェイドが胡散臭そうに眺めている。いつもは差し出す側なのだから警戒するのも尤もだ。わたしはジェイドに見えるように切れ端を掲げ、業務用にしている携帯電話からメモした電話番号へコールをかける。もちろん鳴るのは胸ポケットに入れた個人用の携帯電話だ。ジェイドがつと片眉を顰めた。

「陸ではこういう段階を踏むんですよ」
「でしたら、僕のテラリウムのコレクションをご覧に入れる、というのは?」
「お部屋にお邪魔する、ということ?それは十段階中八くらいのイベントですね」
「なるほど、勉強になります。では自生しているユキノシタを見に行くのは如何です?」

こだわるね、ユキノシタ。そんなにその植物が気に入ったのだろうか。いやしかし、ハイキングか。初デートとしては中々にハードルが高いが、まあ体力には自信のある方だ。わたしは頷いて紙切れに休日を幾つか書き込む。
紙切れを受け取ったジェイドがしげしげとそれを眺め、やがて丁寧に折り畳んで寮服の内ポケットへとそれを仕舞い込んだ。その瞬間、妙に艶やかな唇がぬる、と嫌な感じに弧を描いた。覚えのある悪寒が背筋を這い上がる。……もしかして早まってしまっただろうか。



(200329 ツイステッドワンダーランド)



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