終焉 | ナノ




ピィ、ピューイ、と煤竹の籠に入れられた鳥が啼く。籠の底に立てられた優美なカーブを描く止まり木は桃色の珊瑚、扉の鍵は燻し銀の細工物で、象牙の把手には渦巻く雲を彫り込んである。対して、この美事な鳥籠のとらわれ者は一見は目立たぬ唯の小鳥のように見えた。全体が黒く、目が赤く、時折囀る声は美しくはないが愛らしい。光の加減で胸元の毛が鈍く暗緑色に輝くのが唯一珍らしいといえば珍らしいか。

「この鳥の名は、鴆というのです」

行儀悪く両手で頬杖をついて鳥籠を眺めていたわたしに、伝えるともなく男が呟く。白い詰襟の衣装を着て腰に剣を佩き、竜を模した面を着けた男はこの夢の真の主である。サーヴァントと令呪で繋がったマスターは英霊の記憶を夢に見るというが、プロメテウスの炉の番人に過ぎないわたしが何故こうして夢の中を渡れるのかはわからない。唯一説明をつけてくれそうな人はすでにこの世のどこからも消え去ってしまったし、更に言えばまたこの世界はなくなってしまったので、そんな些細なことには誰も拘ってはいられないのであった。今はただ、マスターである子供の拙い魔力回路を補い続けてきたプロメテウスの火が電力を介して見せた幻なのだと思うようにしている。人に過ぎたる神の力を与えた罪で、大鷲に臓腑を喰われ続ける咎を負った不死の男の見た、束の間の夢である。

「私も、実物を見るのは初めてですが」

ピューイ、とまた小鳥が啼いた。これが数多の皇臣を殺し、時に皇帝達をも恐れさせ、その命を奪ってきた伝説の毒の鳥。その羽毛を酒に浸せばたちどころに猛毒となり、あらゆる命を奪うという。この、愛らしい小鳥が?

「孝宗穆帝の時代、この鳥が長江を越え、南京の宮殿に献上された事がありました。穆帝は酖毒を恐れ、献上した者を鞭打ちの刑に処し鳥は街頭にて焼かせたとか。何せ、鴆を江南に持ち込んではならぬという法までありましたので」

――それは、哀れな。

「ええ、哀れですとも。この小鳥に何の罪がございましょう。毒餌を食むがゆえにその身は猛毒ではございますが、その毒で死ぬるは人の勝手、その毒で他者を殺めるのも人の都合。この鳥はただ……生きているだけです」

白い指先がするりと竜面のふちを撫でる。視線は鳥籠を捉えたままだ。煤竹の鳥籠は、鳥の大きさに比していかにも狭く、しかしその把手は不釣り合いなほどに大きい。中身に触れることを恐れているのだ、この籠を作り上げた者は。

ーー哀れに思います。皇帝にその鳥を差し出した者を。

「……罪なく焼かれた鳥ではなく、鞭打たれた愚か者を哀れむのですか」

ーー少くとも、その人は皇帝を害そうとしたのではないだろうから。もしかすれば、その人は皇帝を安心させてあげたかったのかも知れない。

晋という国は、あまり穏やかな国ではなかったはずだ。初代の皇帝は帝位の簒奪者であり、元から人望には乏しい。諸侯の力は強く、軍が強勢を誇っていた。更に北には異民族の国が小競り合いを繰り返しながら犇いていたのだ。皇帝の心中に渦巻く恐慌は察するに余りある。

「……鳥刺し風情が、天子の心中を慮ると?」

ーー良いではありませんか。天子は国、国が天子。天子を想うという事は国を想うという事。いかに卑賤な少府の官と雖も、人が人を思い遣る気持ちに、真偽も貴賤もありますまい。……僭越ながら、あなたも同じだったのでは。

竜面の奥の瞳が、不意に昏く翳ったような気がした。この仮面のサーヴァントの真名は姓を高、名を粛、字を長恭、封ぜられた地から蘭陵王を号する。暗愚の皇帝にその武勇を妬まれ、人望を恐れられ、毒杯による賜死を受けた悲劇の君子。
そんなものの夢に、紛れ込むつもりは毛頭なかったのだ。人ひとりの、それも英霊の人生など、夢に見るには重すぎる。しかし、この夢は誰の夢だ?鴆鳥など、彼の時代でさえ伝説の部類に入る代物であったことだろう。はやくも隋代には鴆に関する記述はほぼ途絶えてしまうのだから。
蘭陵王がついと指を伸ばし、銀細工の掛け金を引き外した。ガラス片の落ちるような繊細な音を立てて掛け金が落ち、するりと扉が開く。狭い籠の中、桃色珊瑚の止まり木の上で小鳥は逡巡しているようだ。扉を通れることを認識できないのか、それとも訝しんでいるのだろうか。
彼の言う通り、この鳥が生け捕られた最後の鴆だというのなら、焼かれるのだ。この美しい籠ごと、見せしめの為に、白昼の路上で。美しくはないが愛らしい声は煙に呑まれ、毒持つ羽毛も、薄い肉も、軽く脆い骨も跡形も残さずに灰と化すのだろう。
強い毒を持つばかりに、この南京の地に飛び来たばかりに、この世に生まれてきた、ばかりに。

籠の中へ差し入れた指に、鳥が飛び移る。ピュイ、ピュイと囀りながら、伝説の毒鳥は呆気なく自由の身となった。わたしの指先で羽を繕う鳥を、蘭陵王は呆気に取られたように見つめている。掛け金を外したのは自分だというのに、この鳥が外に出ることをまるで考えていなかったような素振りだ。簡単なことなのだ、王よ。あまりに簡単で、それ故にひどく難しい。果たして、皇帝はこの鳥の代わりに何を焼くのだろう。鳥の飛び去った森だろうか。野山を、街を、それとも、国を?

「……一番下の弟よりも、更に年下で。お恥ずかしいことですが、愚かな者の多い一族でした。我ら兄弟には伯父君らをお諌めする術がなかった。その負債を、全て負わせてしまったのやも知れません。には奸臣ばかりが蔓延り、心休まる暇もなく」

蘭陵王の差し出した指へ、黒い小鳥が飛び移る。長い間捕らわれていた所為で、飛び方を忘れてしまったのだろうか。籠の底には、繕われて抜けた羽根が何枚か落ちている。首回りを彩る、美しい緑色の羽根だ。

「私の死は、あなたに安息を齎したのでしょうか。ーー従兄弟どの」

ばさりと小鳥が思い出したように羽を広げ、その動きに合わせて、蘭陵王が腕を差し上げた。高く、南の空を指す指先を離れて、黒い鳥は飛び去った。小さな鳥は無窮の青に紛れて最早影すら見えはしない。後に数百年を経て、何れ滅び去る定めだとしても、あの鳥は飛んで行くのだろう。元来た場所、南の国、自由のそら。人の行き着けぬところへ。そこには毒を欲しがる者も、毒を疎む者も居はしない。

「参りましょう。此処は見知らぬ者の夢、あり得べからざるもの。一振りの剣の身には過ぎたる幻です」

鳥影の消え去った空を眩しげに見ていた蘭陵王が、こちらを振り向いて微笑んだ。その背後から、幻を裂くように旭日に似た光が差す。虚数空間にも似たあわいに作られた基地に、朝日など差すはずもない。光に埋もれるように半身を蕩かしながら、蘭陵王がなにかを呟いた。古代中国の言葉など、わたしが知るはずもない。不可思議な韻律の言葉は歌のようで、美しくはないが愛らしい、鳥の囀りのようにも聞こえた。

「ああーー夜明けですよ」



(fgo 181209)



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