終焉 | ナノ



砂隠れの里に、雨季がやってくる。



砂の海の間から突き出した奇岩を駆け上がり、遥か彼方へ目を凝らす。見慣れた、薄く濁った青色の向こうに黒い雷雲を見止めて、下で待機している部下にハンドサインを送った。方角は卯、風向きが悪い、里に連絡を。
部下の放ったハヤブサを模した式が力強く里へ羽ばたいて行くのを見送って、小さくため息を吐いた。砂漠の雨季は短く、恵み多いが、それ故に恐ろしいものでもある。砂の海に忽然と現れる瀑布は、有無を言わさぬ暴力だ。吹きやまぬ風より荒々しく、灼熱の太陽より怜悧で、物言わぬ砂たちよりも静かに、砂漠に生きる命を拭い去ってゆく。たった四半刻で砂岩は削り取られ、窪地は濁流になり、オアシスは水の底になってしまう。そんなものに何の備えもなく曝されてしまえば、乏しい物資を振り絞るように作られた砂隠れの建物などひとたまりもない。実際、この里で一番大切なことは治水なのだ。川の流れを変え、恒常的に水を蓄え、雨に備える。唯一困ることがないのは、塩の確保くらいだろうか。砂漠には意外に塩が多い。山間にある木ノ葉隠れなどは水よりも塩の確保が難題であり、大戦中には兵糧攻めの一環として塩の交易路を重点に塞いだ記録なんかも残されている。比較的国力に余裕のあった木ノ葉ゆえに大事にはならなかったようだが、砂隠れがそのような目にあったらと思うと背筋がゾッとする。大戦中の砂隠れはきっと共食いも辞さなかっただろうから。何の、とは聞くだけ野暮だ。

暫くして、部下の放った式に砂で作られたたぬきの置物が括り付けられて戻ってきた。腹には丸一字が刻まれている。げ、と顔が歪むのがわかったが、他ならぬ風影様の命令だ。静かに息を吐いて印を組みチャクラを練る。
この憎たらしい狸の置物は防壁の核である。砂漠で恐ろしいもの三つ、砂嵐、熱中症、そして洪水だ。まるで海に棲むという巨大な蛇の怪物のように現れては消える雨季の川を里から逸らすための防壁は、風影様を中心に里の上忍数名によって作り出される夏の風物詩だ。そして一から五まである核の中で一番チャクラを使うのがこの丸一核なのである。下手をすれば二日間はチャクラ切れで動けなくなる気がするのだが、有給扱いにしてはくれないだろうか……してはくれないだろうな……。

ぶつぶつと文句を言いながらチャクラを練っていると、下にいる部下がカウントダウンを始めたのが見えた。術の発動までカウント十、口寄せの要領で狸の頭に手のひらを当て、カウントに合わせて練り上げたチャクラを叩き込んだ。今のわたしは風影様のチャクラ庫である。
ズズ、と轟音を上げて砂岩が膨らみ、守鶴の意匠が織り込まれた何となく趣味の悪い壁となって砂の上に立ち上がる。人の命を守る仕事は、やっぱりいつもの任務とは気持ちが違うのだろうか。根こそぎチャクラを持っていかれて、少し体がふらついてもいつもの胸の悪くなるような感覚はないのが不思議だった。当たり前か、人殺しよりは遥かにマシな仕事だものな。下から隊長!と叫ぶ焦った声を聞いたが、片手を振ってやることもできない。少しばかり張り切りすぎた。ぐらりと視界が傾いで、身体が防壁に叩き付けられる。起き上がることもできずに部下たちが壁を駆け上がってくる振動を感じながら空を見上げていると、ぽつりぽつりと水滴が空から降り落ちてきて、あっという間に豪雨になった。いつの間にか、雲がこちらへ流れてきていたのだ。
痛いような雨粒に身体を晒していると、部下たちの足音が怖じるように止まり、少ししてから慌てて膝をついたのを感じた。風影様、と囁くような声がする。
二言三言、やり取りがあって、部下たちはこの場を去ったようだった。防壁の上には力尽きてぶっ倒れたわたしといつもの様に瓢箪を背負った風影様だけが取り残されている。中空に浮いた砂が傘のように雨を遮っているので、ずぶ濡れのわたしとは違い、風影様は足元だけしか濡れていない。部下を濡らしておくなんて、なんてひどい人だ。

「風影様」

囁くように呼ばわると、風影様は少しだけ眉を顰めた。余人にはわからぬ程の変化だが、わたしには嫌がっているのがお見通しである。くつくつと笑うと、今度はサンダルの先で肩を突かれた。かつてこの砂漠で恐ろしかったもの。砂嵐、灼熱の太陽、真夏の洪水、そして赤い髪の男の子。

「があら」

「……何だ」

雨に紛れてしまいそうな声を過たずに拾い上げて、我愛羅が小首を傾げる。ざあざあと雨が降っている。装束が水を吸ってじっとりと重たく、身動ぎの度に肌に貼り付いて不快だった。黒ぐろとした隈と緑の深い浅葱色の瞳、赤い髪、秀でた額に愛の一字。

「わたしに、テマリさんの代わりは無茶だよ」

にへら、と笑って言うと、そのようだなと我愛羅が素直に頷く。去年まで丸一核を担っていたのは先代風影の長女であるテマリさんで、馬の骨のわたしとではその身に抱えるチャクラ量が違いすぎる彼女は防壁を出現させた後でも平気な顔で指揮をとったりしていたのに。
何だか目を開けているのも疲れてきて、眉間から流れ込む雨粒を厭うように目を閉じる。さわ、と雨音に紛れて我愛羅から衣擦れの音がしたかと思うと、瞼に温かなものが触れた。指だ。我愛羅の指先が冷たく冷えた瞼の上を滑る。眼球の膨らみをなぞり、眼窩のかたちを確かめ、まろい爪の先が睫毛に触れてちりちりと音を立てる。

「我愛羅、わたし、泣いてないよ」

「……そうか」

目尻のあたりをするりと撫でて、指先は離れていった。泣きたいような気はしていたが、我愛羅にそれを悟られたのだろうか。雨はやむ気配もなく、バタバタと銃弾のように天から降り注いでいる。この砂漠のどこかで、この雨に流されて溺れ死ぬ生き物があるだろう。この砂漠のどこかで、この雨に生かされて明日を長らえる命があるだろう。この世界に雨を降らせる者がいるのだとすれば、その存在は自らの行為を恐ろしく思ったりはしないのだろうか。わたしは常に恐れている。この手が奪うもの、生かすもの。わたしの力が及ばぬばかりに、この手のひらから取り零してしまうものさえも。

少しだけ顔を斜めに傾け、そっと目をひらく。眼窩の窪みに溜まった水滴がまるで涙のように流れ落ちて、視界にぼんやりと赤い髪の輪郭が映る。我愛羅の操る砂は今や半円を描く卵の殻のようになって、その頭上を覆っていた。じっとりと雨に濡れて、少し変色している。実のところ、他者との接触を厭うていた本人の性質も相俟って年若い者の中には昔の我愛羅を知る者は少い。それが今の風影の治世に良く影響しているのは周知のことだ。浅葱色の瞳の中に憎悪と害意を滾らせて、それを柔らかな無関心で包み込み、何もかもを壊したがっていた男の子はもういない。あの頃の我愛羅が確かに今の我愛羅に続いていることの証明は、拭い切れぬ血臭の染み付いて、今は雨避けの傘になっているこの砂だけだ。わたしの昔の夢は、この砂に潰されて死ぬことだった。殺意でも敵意でも何でも良かったのだ。湖面のように澄んだあの水浅葱の瞳に、温度が乗る瞬間。苛烈な火花の一瞬の美しさに灼かれて、わたしは死んでしまいたかったのだ。

殺されるためにあなたの側にいたのだと言えば、我愛羅は傷付いてくれるだろうか。

「……でも、わたしは砂の忍びだから。修行、がんばって、チャクラ溜められるようにしておくね」

「そうか」

素っ気ない返事の中に確実な安堵を嗅ぎ取って、わたしはまた自己嫌悪に陥るのだ。未来の約束など、してはいけないのに。我愛羅が風影になった時、それまでずっと付かず離れず、側にいたことに対して感謝していると、嬉しく思っていたと、そう告げられて、わたしは五臓が捻れて死にそうなほどの痛みを味わったのだ。それは違う、違うのだと懺悔して、告解をして、そして断罪されたかった。わたしはただ執着に狂った母親のように妄執を抱いていただけだ。我愛羅の中にある特異な力と、孤独と、憎悪と、寂寥と悲哀とに特別を感じて、それをわたしだけのものにしたくて、醜い独占欲に支配されていた。それは死の恐怖を凌駕して余りある。そんなものが愛や、優しさや、共感、あるいは無垢さなどというものである筈がない。

どろり、と我愛羅を覆っている砂の傘が雨に濡れて崩れ、わたしの頬に滴り落ちた。我愛羅がわたしの顔を覗き込むようにしているので、それは頬を伝って口元へ落ちてくる。我愛羅に見つからないように、そっと唇を開いて雨粒ごと砂を口腔へと招き入れた。
壁土を齧るように、わたしは今までもこうして砂を噛んだことがある。妄執が極まって、我愛羅を少しでもわたしの中に取り入れたくて、最も彼と共にあったものを喰んだ。とんだストーカー気質だ。思わず自分にドン引きして、それでもあまりの多幸感におかしくなってしまいそうで、そして唐突にやってきた虚無感に吐くほど動揺して、本気で精神専門の医療忍に相談しようかと思ったほどである。

多分、わたしはそろそろ適当な任務で死ぬか、忍びとして役立たなくなるほどのダメージを受けなければならないのだ。それが相応しい罰だと思う。同い年とはいえ、幼い頃の風影に邪な妄執を抱き続けた変態である。そこそこ優秀であるがゆえに上忍として近くに置いてもらっているが、いつどこで何があるかわからないのが忍びの世界だ。うっかりで我愛羅に害が及んでは、つまりわたしの妄執が表に出てしまっては、決してならないのだ。

相変わらず、我愛羅の砂は冷たい味がする。この味だけは、昔から何一つ変わらないままだった。というか、顔に当たる砂の量が多い。まさか、我愛羅もチャクラ切れか。砂の傘が保てないほど消耗させてしまったのだろうか。根性で腕を上げて目元を拭うと、何故か薄っすらと頬を染めた我愛羅がわたしを見下ろしていた。肌が白いので、少し血色が良くなっただけで大分赤らんで見える。

「……そんなに美味そうに食わないでくれ。勘違いしてしまう」

……え?なんて?



(NARUTO 180722)



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