終焉 | ナノ



「『あなたを恋うている。例え、私のこの身であなたを灼き尽くしても。三界の果てまでもあなたを恋い続ける』」

「『わたしは決して一人のものにはならぬ』」

「俺、あ、わた……だああっ、ごめん!もう一回!」

台本をソファに放り投げ、龍がパン!と手を合わせた。もう3回も同じ場所で躓いているのだ。その焦りが出ているのだろう。とりあえず休憩を取ろうと申し出て、龍の前にコーヒーの入ったマグカップを置く。北欧の輸入雑貨店で見つけた通常より一回り大きいカップは、身長も手の大きさも規格外の龍に合わせて購入したものである。情けなく眉尻を下げた龍がコーヒーを一口飲んで大きくため息を吐いた。

「どうしても女言葉に慣れなくて……ダメだなあ」

「難しいお芝居だもの。仕方ないよ」

次回の龍のお仕事は舞台の主演で、太古の神話と現代が交錯するストーリーと気鋭の舞台演出家が演出をすることで話題の恋愛ものである。龍の役所は古代の雷神と現代の青年実業家というダブルロールで、何とまあ雷神というのは女役なのだ。
まだ人が稲作を始めたばかりの古の頃、人の植えた稲に恋をした雷神がいた。彼女はその昔、黄泉の底の暗闇で太祖神の一柱の亡骸から生まれ、その気性は荒く奔放で、姿は美しく常に炎を纏って雨雲に乗り天空を駆け巡る。一方の稲は泰然とした男性で、己が人の糧であることも、雷神に抱かれればその熱で燃え尽きてしまうことも知っていた。稲は雷神を拒むが、雷神の恋は益々燃え盛る。稲が人のものであることが許せず、とうとうその身を一条の稲妻と転じて一直線に恋しい男のもとへと駆け下りた。稲も、田も、村落一帯をも焼き尽くして雷神は己の恋を終わらせたのだ。
一方現代では、幼い頃から雷を怖がる癖のあった女性記者が絶大な権力を持つ青年実業家の実態を暴こうと奮闘していた。莫大な資金が動く都市開発を巡る陰謀に巻き込まれた女性記者は、段々と青年実業家との距離を縮め、その異常性に気付いてゆく。その合間に蘇る、神々の記憶の意味とは……というのがあらすじで、龍はどうしても雷神の女言葉が言えずに詰まってしまうのだった。
そもそものセリフが泉鏡花調なうえに大半は嫉妬と恋に狂った女の激情なので、今どき珍しいほど温厚な性格の龍には感情移入が難しいのだろう。こういう狂った演技は天くんの方が上手そうだし、青年実業家にしても楽くんの方がハマっているような気がする。きっとキャスティングした人はエロエロビースト十龍之介しか知らないのだろう。どちらにとっても哀れなことである。

「なまえはすごいよね……」

「そりゃあ、わたしは読み聞かせのプロですから。『生きる』朗読してあげようか?」

「多分泣いちゃうからまた今度にしてくれ」

図書館司書として数多の子供たちを相手に時に笑わせ、時に泣かせ、時に恐怖のどん底に突き落としてきたわたしの読み聞かせ力を舐めてもらっては困る。歌ったり踊ったり、ましてや全身を使っての演技は逆立ちしたって無理だが、読み合わせにはこの上ない人材だろう。きっとそれで、龍は時々わたしに台本を読ませるのだ。
龍とわたしの出会いはわたしの職場で、有名な劇をもとにしたドラマに出ることになった龍が本を借りるなら図書館という安易な発想のもと、へたくそな変装をしてやってきた事から始まる。案の定すぐにTRIGGERの十龍之介だと見破られ、おばちゃんから子供にまで揉みくちゃにされていた龍を助け出したのがわたしだった。あらゆるところを揉まれまくり、へろへろになった龍はテレビで見るエロエロビーストとは大分印象が違った。元来男は強引な方より森のくまさんが一番だと思っていたわたしは、それでちょっと十龍之介にときめいてしまったのだ。カウンター奥の事務所で、まだPPを掛ける前の本を思わず手に取り、サインを頼んでしまったわたしをきょとんと見つめたあと、思いっきり破顔して快くサインをしてくれた龍は輝いていた。サイン本はこっそり持ち帰り、後日自腹で購入した同じ本をしれっと積んでおいたが、司書にあるまじき行為であったと反省している。反省はしているが後悔はない。
図書館にわたし宛の手紙が届いたのは数日後のことである。大胆だがとめ・はね・はらいに忠実な字で丁寧に先日の礼が綴られた手紙と別の団体による例の演劇のチケットが入っていた。折角なので見に行ったその劇場の隣の席に開演のブザーと同時に座ったのが十龍之介だった衝撃がお分かり頂けるだろうか。本当にイケメンは何をしても様になって腹が立つ。後から楽くんの入れ知恵だったと聞いたが、あの時の龍は本当にキザだった。
そんなこんなで交流を続け、今は立派なオトモダチである。人生は本当に何が起きるかわからない。

「やっぱり俺にはこういう役は向いてないよ」

「弱音は珍しいね。いつも演技して生きてるようなものなのに」

「スイッチの切り替えが本当に大変だよ……」

コーヒーを飲み干した龍が放り投げた台本を引き寄せる。開いたのは、ちょうど嫉妬に狂った女神が天から身を投げて稲神を焼き尽くすシーンだった。現代サイドにも失脚した青年実業家が宙へ身投げするシーンがある。二人とも同じ絶望を抱えて、炎の中へ消えゆくのだ。色とりどりの裳裾を引いて宙を舞い、激情に駆られて落雷の化身となる龍は美しかろう。
直線に、欲しいものの手に入らぬ絶望を抱き締めながら、それでも最後の望みで諸共に全てを焼き尽くして。龍は強く、正しく、美しい男である。健全なる精神を健全なる肉体に宿した、人としての美しさを持った男だ。わたしは龍のそういうところを好いていたし、彼にとって不幸なことに世間の大多数は龍のそういうところを知らなかった。
頭を抱えて唸る龍の後ろに、わたしには美しい女の顔が見える。恐ろしいほどの女の恋情が、誰に届くこともなく、ただ恋しい男を燃やし尽くしただけの悍ましい想いが、今度は男の肉体を得て蘇った。その恐ろしさ、醜さ、美しさ、そして虚しいまでの悲しさが、龍の顔をしてこちらを睨みつけている。美しいものは似通う。男も女も。男性としての完成された美しさを持った龍は、きっと目元に紅を引いただけで激情を発する女神に成るだろう。

「君……君なら、どう演じる?この、女神を」

咄嗟に傍らの台本を手に取ろうとして、やめた。そんなわたしを龍が怪訝そうに伺っている。



(アイドリッシュセブン 161109)



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