サめない頭


次、目が覚めたときこの部屋にスナさんはいなかった。どれくらい寝てたんだろう。
先ほどよりだいぶ身体も軽くなり、簡単に起きあがれた。ぐっと伸びをすれば肩の辺りが嫌な音を立てる。
そのまま目線を下げて自分を確認した。ジャケットは脱がされているがシャツも着ていてブラもついているし、ほぼ昨日の格好のまま。
……だと思ったのだが、布団の中で脚を動かして気付く。素肌と素肌の当たる面積が広すぎる。まさか。
恐る恐る布団をめくってみれば、下半身はショーツ一枚だけだった。朝目が覚めたときは動揺しててここまで気が回らなかった。
シワにならないようにジャケットもスカートも脱がせてくれたのだろう、それはありがたい。だがしかし、見知らぬ男に介抱されたあげく下着姿まで見られたと思うと恥ずかしいを通り越して辛い。いい大人が何やってるんだ……。
というかスカートがないとこの部屋から出るに出られない。部屋の向こうからは音がするから、スナさんは家の中にはいるのだろう。

「ス、ナさーん」

あ、声出る。まだ掠れてはいるものの、きちんと音となって口から出てくれた。聞こえただろうか。

「起きたんだ」

ガチャ、と開けられた部屋のドアからスナさんが顔だけを覗かせてこちらを伺った。

「お腹すいてるでしょ、なんか食べる?」
「え、あー……大丈夫、です」
「本当に?」
「うん……」
「そ、でも水分は摂ってね、こっち来れる?」
「あの、下、履いてないんですけど」
「あぁ、そうだった」

とりあえずこれ着てな、と渡されたスウェット。
シワになるのもあったけれど、どうやら昨日しゃがみ込んでいたときにスカートを汚してしまっていたらしい。そりゃ汚れたスカートでベッドには上げたくない。
借りたスウェットはダボダボで、腰紐をキツめに絞り、裾は数回折った。脚長いな……。

部屋から出ると、少し広めのダイニング。コーヒーのいい香りがした。
座りなよ、と促されるままに椅子へ腰を下ろし、スナさんを見上げる様に目で追う。立ち上がってから気付いたけれど、スナさんはかなり背が高かった。
目の前に置かれた水を2口飲み込むと、グラスが下げられて代わりにコーヒーの入ったカップが置かれた。

「砂糖ならあるけど、いる?」
「あ、平気……です」
「そう」

スナさんと向かい合う形でコーヒーを啜る。浅煎りのコーヒーで美味しかった。ホッと一息ついた様子を見て「もう警戒しなくなっちゃったの?」とスナさんが笑う。

「あ、」
「ハハッ、冗談だよ」
「えぇ〜……」

思わず持っていたコーヒーカップを机に置いて中身を凝視した。まぁ、溶かされてたら見たって分かんないんだけど。

「もう身体、大丈夫そうだね」
「あ、はい……ご迷惑をおかけしました」
「で?何があったわけ?」
「えーっと……」

説明も面倒だし、ぼかして伝えてしまおうかなと思ったのだが。
スナさんの切長の目にじっと見詰められてしまうと、なんだか嘘を吐こうにも吐けなかった。というか嘘吐いたとこで身抜かれそうなんだよな。

昨日は退勤後にマッチングアプリで出会った人と食事に行っていた。1週間ほどアプリでやりとりしていてお互いの職場が近いことが分かり、会ってみませんか?と。
それで雰囲気の良いお店に連れて行ってもらって、ご飯も美味しくて。で、途中でなんかすごい眠くなってきて。
でもお酒は度数低めのを1杯しか飲んでなくて普段この程度のお酒で眠くはならないし、ちょっと異常な眠気だなと違和感を感じて。電話がきたフリをして逃げた。靴は取れなかったから仕方なく裸足で。
とりあえず走ってたけど限界が来て、あそこで潰れてたらスナさんが来たって訳だ。

黙って聞いていたスナさんは「その店ってここ?」とスマホの画面を見せてきた。
そこに映っていたのは確かに昨日行ったあの店だ。

「そうだけど、なんで……?」
「ここさぁ、ちょーっと良くない噂あるんだよね」
「へ、へぇ……」
「たぶん店もグルだよ、よく逃げたね」
「は」

衝撃の事実を聞き、開いた口が塞がらない。
うわ、本当よく逃げたね私……違和感に気づいて良かった……。もしあのまま店にいたら、と考えるだけでゾッとした。

「まぁ、これからは会う男は気を付けて選びなね」
「しばらくはいいかな……」

落ち込んでいる私を横目にケラケラ笑う口元には、やはりキラリと牙が光った。

「その牙、どうなってるんですか?」
「牙?……あぁ、これ?」
「わ、」

これ?と上唇の右側だけを指で押し上げて見せてくれるスナさん。そこには銀色の鋭い牙が歯に重なっていた。
……見せられてもよくわからない。

「ピアスだよ」
「え、そんなとこにピアスって開けれるの」
「うん、開けれんの」
「へぇ……耳もピアスいっぱいですよね」
「まぁね」

口元にあった手を耳へと滑らせれば、カチカチとピアス同士のぶつかる音がした。耳たぶだけでも4つのピアスが見える。

「昨日、スナさんが声かけてくれたとき逆光でその牙だけが見えて、なんか異世界の人でも見えるようになったかと思いました」
「っふ、なにそれ」
「頭ぼーっとしてたし、幻覚系のクスリ盛られてたらやばいなって」
「あぁ、それはやばいね」
「違ったみたいで良かった」
「……グレーなとこだけど違法なもんじゃないと思うよ、そういうの使う奴等なら獲物は逃がさないし」
「……こっわ」

ふっと笑いながらそう言うスナさんは、私を安心させたいのか怖がらせたいのかよく分からなかった。
気付けばコーヒーがすっかり冷めていて、そんなに時間が経っていたのかと驚く。

「そろそろ帰ります」
「帰り道わかる?」
「……駅までの道教えてください」
「ははっ、駅まで送るよ」
「いやいや流石にこれ以上ご迷惑は……」
「いいから」

掛けてあったスカートを渡され、そのままもう一度寝室へと追いやられた。スカートは軽く洗ってくれたのか、汚れもなく綺麗になっていた。
……いや、なにからなにまでこんな知らない女に親切すぎでは?正直、昨日はあのまま通報したのち放置されてもおかしくないような状態だったし。
とりあえず身なりを整えて寝室を出れば、昨日と同じように黒マスクをしていたスナさん。スナさんが何をしている人なのか分からないけれど、その顔とスタイルの良さから芸能関係だったりするのだろうか。黒マスクそんなに似合う人、一般にいないよ。

「あの、連絡先教えてください」
「なに?ナンパ?」
「ちがっ……お礼、させてください」
「別にいいのに」
「良くないから」
「あっそ、じゃあこれあげる」
「わ、」

ぐいっとジャケットのポッケに何かを押し込まれた。その拍子に近付いた無駄に良い顔にドキッとしてしまう。なにを入れられたのだと取り出してみれば名刺だった。

「連絡待ってるね」
「え、あ、はい」
「行くよ」
「ちょ、待って……!」

急いで名刺をポッケに戻してスナさんを追う。ちらっと見た名刺には『角名 倫太郎』と書かれていた。珍しい漢字だな。頭の中でスナから角名へと変換された。

角名さん家の最寄り駅は昨日の店から一駅離れた場所だった。といっても私が昨日一駅分も走ったわけではなく、角名さんの家が駅と駅の中間辺りにあったらしい。

「何から何までお世話になりました……」
「いーえ、気を付けてね」
「はい」

じゃあね、と軽く私の頭を撫でてから来た道を戻っていく角名さん。驚きすぎて、頭に手を置いて数秒呆けてしまった。
顔が熱いのはきっと、まだ熱がある所為だ。

家に帰ってからもスッと目を細めて笑うあの顔と口元から覗く妖しい牙が、しばらく頭から離れてくれなかった。


back

×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -