冷たく沁み渡る


「ねぇ、大丈夫?」

街灯の下でしゃがみ込んだ私の前に現れた、真っ暗な夜には似合わない軽い声の男。
ストンっと私と同じようにしゃがみ込むと、同じ姿勢なのに男の頭はだいぶ上にあってそのデカさに回らない頭ながら驚く。
黒マスクに人差し指を引っ掛けてずらせば、口元が見えた。弧を描いた唇の隙間からは、鋭い牙が覗いた気がした。
……いや、牙ってなによ、吸血鬼かっての。
頭を働かせたくないというのに思わずツッコミを入れてしまう。つかれる。

「大丈夫かって聞いてんだけど」
「だ、いじょばない……」

カスカスの声を振り絞ってそう答えれば、まぁそうだろうねと笑う男。なんだこいつ。今これ以上変な男と出会いたくないんだけど。

「こんな時間にオンナノコが外にいたら危ないよ?」

私だって好きでいるわけじゃないし。こてん、と首を傾げる仕草が妙に似合っていてむかつく。
ふぅ、と息を吐けばちょっと気が抜けてしまったのか視界が滲み出した。頭もボーッとしていてそろそろやばい気がする。
傾いていく身体に抗う気力もなく、重力に身を任せて目の前にいる男のほうへと倒れていった。

「、ぅわ」
「も、むり……」
「は?」

頭を男の胸板辺りに預ければ、一応支える形を取ってくれる。肩に添えられた手が冷たい。
ふわっと男から香ってきたエキゾチックな匂いが私の頭をさらにクラクラとさせ、そのまま意識を手放した。明日が休みで良かったと心底思う。

意識を手放す直前、男が微かに笑った気がした。

▽▲▽

頬がひんやりとする。
冷たくて気持ちいい。ひんやりとした何かにすり寄ったとこで薄らと目を開けた。

「ん……?」
「起きた?」
「、へ」
「おはよ」

……知らない男に見下ろされている。
ひんやりとした何かは、その男の手だったようで勢いよく頭を後ろへと引こうとしたが、なんだか頭が重くて微かにしか離せなかった。
……それよりもここはどこ、そしてこの男は、

「だれ……」
「あれ、昨日のこと覚えてないの?」
「……あ」

上唇の下から微かに覗いた牙で思い出した。あの牙は見間違いじゃなかったのか。
起き上がろうとしたら、肩をぐっと押されて布団に沈まされる。なぜ。
肩に当たった手の感触が1枚布を隔てていることに気付いて、そこに少し安心した。

「起き上がらなくていいから。具合どう?熱はだいぶ下がったみたいだけど、声はまだカスカスだね」
「わ、」
「病院連れて行こうかとも思ったんだけどさ、なんか聞かれても俺何も知らないからやめた」

もう一度、手が伸ばされて今度は額へと当てられた。やはりその手は驚くほど冷えている。
ていうか、熱あったのか私。どうりで身体は重いし、昨日の夜もあんなにしんどいわけだ。

「アンタ、靴も履いてなかったけど昨日何があったの?」
「……っげほ、うぇ」

声を出そうと息を吸っただけで盛大に咽せた。男はその様子を引いた目で見てきたと思えば、一度部屋から出て行って水の入ったグラスを持って戻ってきた。

「起きる?口移しする?」
「は……?!ごっほ、げほ、っ」
「あーあ、」

せっかく落ち着いたのにバカなことを言う男のせいでまた咽せた。あーあ、じゃないのよ。
咳き込んでいれば突然ぐるんと身体を反転させられ、男に背を向ける形になる。なにするの、と振り返ろうとするよりも先に男の手が私の背中を摩ってくれていた。優しいのかなんなのかよく分からないが、摩ってくれるのはありがたかったから落ち着くまでその手に甘えることにした。

なんとか重い身体を起こし、渡してくれたグラスをじっと見つめる。中身は水、のはず。

「何も入ってないよ」
「え、あ……」
「ちゃんと疑って安心したよ、どうせ昨日もなんか盛られたんでしょ」

スッと細められた目が私の全てを見透かしてしまいそうで思わず目を逸らした。
……もう見透かされているのかもしれない。
何も入っていないことを信じ、両手で持ったグラスを傾けてちびちびと飲み込んだ。冷たい水が、痛む喉と火照る身体の内側に染み渡っていって心地良い。
水を半分ほど飲んだところで起き上がっているのが辛く、壁に背を預けた。
……帰らなきゃ。

「その身体で?」

心の中で呟いたつもりが、掠れた音となって口から漏れていたようだ。水のおかげでさっきよりは声が出しやすいせいか。
私が持ったグラスを取り上げ、男はベットの淵に座って私を見つめる。……あ、またあの香りだ。
今まで気付かなかったけれど、こうして近くでよく見てみれば整った、好みの顔をしている。しかし、その顔に似合わず(いや似合ってるけど)耳にはたくさんのピアスが。今まで出会ってきた誰よりもピアスの数が多そう。

「で、オネーサン名前は?」
「……ミョウジ、です」
「ふぅん、ちゃんと本名だ」
「え……?」

本名だ……?どういうことだ。意味がわからず首を傾げれば、ベッドの足側に置かれた鞄を指さす。私の視線が鞄を捉えたのを確認すると「何も取ってないから安心して」と付け足した。
……あぁ、そういうことか。
仕事帰りそのままだったから鞄には社員証も名刺も、免許証だって入っている。名前を調べるなんて簡単だ。別に鞄を漁られたところで何もない。

「あとスマホ、五月蠅かったから電源切っちゃった」

ポイ、とベットに投げられたスマホ。よく見慣れたそれは、たしかに私のものだった。五月蠅かったってことは連絡来てたのか、と昨晩のことをぼんやりと思い返す。アイツしつこそうだし。あとできちんとブロックしておかなくては。ていうかもうスマホ自体変えてしまおうか。

「あ、俺はスナ、ね」
「すな」

聞き慣れない名前をオウム返しすると本名だよ、と笑われた。別にそこは疑ってないし、偽名だったとしてもどっちでもいいや。

「とりあえずもう少し寝てな。次起きて良くなってたら帰ったらいいよ」

そう言ってまた肩を押して寝かされる。すぐにでも帰りたいところだが、正直帰れる気力も体力もなくて。
こんな見知らぬ男の家でぐっすり寝てしまうのもアレなのだけど、ここはやけに居心地が良い。寝転がってしまえば眠気が襲ってきて、もう一度目を閉じた。


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