切り離すものと繋ぐもの


 鏡に映った自分を見ながら、鎖骨下まで伸びた髪を指で梳いてみる。始めは違和感のあった自分の長髪姿も、もうすっかり見慣れてしまった。
 家業を継ぐ前に寄り道すると決めたとき、教師になったときから伸ばし始めたこの髪。あの頃から何センチほど伸びたのだろう。
 寝癖は付くわ、夏は暑いわで大変だったなぁ。ある程度伸びてきてからは、ヘアゴムで縛っておかないと氷室教頭に注意されるしさ。ヘアゴムなんて持ってなくて、とりあえず輪ゴムで縛ってみたら大変なことになったっけな。
 こんな面倒な髪、もう切ってしまおうかと何度も思った。それでも切らなかった切れなかったのは、この長い髪は青春への未練を断ち切れない俺の心だから。
 もう未練はないと、そう言い切れるときまで伸ばし続けるつもりだった。正直、そんな日が来るとは思ってもいなくて、未練があるままタイムリミットが来るのだと考えていた。ずっと長いままで。
 それなのに、近々ばっさり切ってしまおうと決めた自分がいた。珍しく、美容院も予約済みだ。
 あの子はなんて言うだろうか。
 未練を断ち切ってくれた本人が、以前発した言葉を思い出す。教室でヘアゴムを無くしたときに、たまたま鉢合わせたときのことだ。髪を下ろしてる俺の姿を見て「いい」と。
 だから、切るって言ったら反対されたりしてな。なんて、鏡に向かって苦笑い。
 ひとまずいつも通りに髪を縛って、あの子を迎えに行こう。



「美奈子」
「……っはい!」

 駅で先に着いていたらしい美奈子にそう声を掛けると、少し頬を赤らめながらも元気の良い返事が返ってくる。“美奈子”なんて別に今日から呼び始めた訳でもないのに、まだ緊張するらしい。まぁむしろ、関係性が変わって緊張するようになった、というほうが正しいんだろうな。
 隣に並んだ拍子に軽くぶつかった小さな手をそのまま絡めとれば、軽く肩が揺れた。頭ひとつ下から、小さく「へへ」と嬉しそうな声が聞こえた気がした。

「悪いな、せっかくの休みにまた片付け付き合わせちまって」

 そう、今日は日曜日だというのに俺の引っ越しの片付けに来てくれたのだ。美奈子だって大学生活が始まって忙しいだろうに、毎週のように来てくれていた。俺は申し訳ないからと断ってはいるのだが……。
 でも正直ありがたかった。手伝いをしてくれるのもそうだが、なにより引っ越してしまえばこうして気軽に会えなくなる。今のうちに会えるだけ会っておきたいのが本音だった。毎日のように会えていた教師と生徒だった頃が少し羨ましく感じる。

「いえ! 楽しいですよ」
「片付けがか?」
「この間は先生の昔の写真も見られましたしね」
「おい、あれは忘れろって言ったろ〜?」
「ふふ、無理でーす!」
「あと、もう先生じゃねぇって」
「あ……つい」

 繋いでいない方の手で口元を隠し、またやっちゃった、とでも言うような顔をした美奈子に失笑する。なんでもそつなくこなしてしまうような真面目ちゃんでも、三年間呼び慣れた呼び方を変えることはなかなか難しいらしい。気を抜くとこうしてすぐ「先生」に戻ってしまうのだ。
 呼び名はゆっくり慣れていけば良いとは以前言ったものの、こうして手を繋いで俺の家に向かっているという状況下で「先生」と呼ばれてしまうとなかなかマズイ気持ちになる。

「今日は主に何を片付けましょうか?」
「あー、そうだな……本棚だな」
「それは強敵ですね」
「あぁ、強敵だ」
「ふふ!」

 お邪魔します、と行儀良く靴を揃えて部屋へと入り、まずは手洗いうがいなのもさすが真面目ちゃん。初めてうちに来たときもそうだった。あのときは目に見えて緊張してたけどな。そりゃもうガッチガチに。
 俺も真面目ちゃんに倣って手洗いうがいをしてから片付けに取り掛かる。本棚には教材から植物の図鑑、実家に置いていたと思っていた酪農や経営の本までが詰まっていた。パラパラと捲ってみてももう読んだ記憶すらねぇや……ってダメだダメだ、本の片付けは読み始めたらおしまいなんだよ。読み進めそうになった本を閉じて、片付けに戻る。
 それから他愛ない話をしながらも、お互い手はしっかりと動かした。

「そろそろ休憩にしようぜー」
「だいぶ片付きましたね!」
「ハーブティーでいいか? 美味そうなリーフパイ貰ってさ」
「やったー!」

 お湯を注げばふわりと漂うハーブの香り。それだけで同じ姿勢で固まった身体がホッと緩むようだった。

「……カモミールティーですか?」
「おっ、さすが元園芸部! 大正解。今日はリラックスタイムにおすすめなカモミールティーだ」
「いい香りだ

 カップを持ち上げて、すぅっとハーブの香りを楽しむ美奈子を見ながらカモミールティーを啜る。落ち着く味だ。そう思っていれば、美奈子の口からも「落ち着く味ですね」と漏れ出て驚いた。
 そうか、おまえにとっても落ち着く味になったのか。

「ふふ、小次郎さんニヤけてますよ? どうかしました?」
「ハハッ、なんでもねぇよ」
「え〜〜」

 ぷくーっと拗ねたように膨らんだ頬も頭を撫でてみればすぐに萎んで、仕方ないなぁとでも言うように笑う。そのまま手を滑らせて、サイドの髪を耳に掛けてみた。  
 美奈子のピンクの髪は高校時代から変わらない長さで、俺のと違って癖のないサラサラな髪だ。

「なぁ……俺が髪切るって言ったらどうだ?」
「へ? 短くするってことですか?」
「あぁ。おまえ前に、髪下ろしてるのいいって言ってくれたろ」

 ピンクの毛先に触れている指が震えそうだった。自分でもどうしてこんなに緊張しているのかはよく分からない。
 急にそんなことを聞かれて「うーん?」と悩んでいた様子の美奈子は、急に俺の顔を覗き込んできて、ニヤッと笑ってから「長い髪の小次郎さんももちろん好きですけど、短い髪の姿も見られるなら私得でしかないです!」と宣った。

「は……」
「楽しみだな〜! あ、そしたら今のうちに長い髪触っておかなきゃですね」

 ぽかんと呆気に取られている俺を他所に、切るまでの長い髪の俺ともっと写真撮らなきゃだとか、他には何をしようかと話している。
 ……ったくこの子は。少しでも不安がっていた俺が馬鹿馬鹿しく思えきちまうよ。ま、反対はしてこないだろうとは思ってたんだが、ここまで楽しみにされるとは予想外だ。ていうか、私得ってなんだよ。
 でもおかげで、あの頃からずっと燻っていた俺の心がようやく炎を立てられるよ。

「あ、じゃあ私が今度は伸ばしてみようかな〜!」
「へぇ、それは楽しみだ。じゃあ短い髪の美奈子とも色々しておかなきゃだな」
「そんなに急に伸びませんよ!」
「俺の髪は来週には短くなってるかもなぁ〜」
 
 ばっさりと髪を切った俺を見た美奈子の反応が今から楽しみだ。

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