ひるのねごと


コンコン、と通い慣れた理科準備室の扉をノックするも、中から返事は返ってこない。
プリント持ってきてくれって先生から言ったくせにー。
思わず心の中で悪態を吐きながらも、机に置いておけば良いかな、と扉を開けたところで一瞬固まってしまう。
いないと思ってた先生が、そこで寝ていたから。
キラキラとした日差しが窓際にある机へと降り注がれていて、先生はその日差しの中で腕を枕にして突っ伏していた。
あまりにも静かだし、扉の音でも一ミリも動かなくて、寝てる……んだよね? と無駄に不安になって近くまで寄って息を確認すれば、すよすよと気持ちよさそうな寝息が聞こえてきてホッとした。窓から差し込む日差しが温かくて気持ちよかったのかな。ちょっと眩しそうだけれど。
机の横にしゃがみ込んで、じっと先生の顔を眺める。こんなに近くで顔を見られるなんてここを逃せばもうないかもしれない。寝顔なんて尚更レア。顔と顔の距離は十五センチと言ったところか。相手が寝ていればこんなにも積極的になれてしまう自分に苦笑しながらも、そのまま目線を逸らすことはできなかった。

……こんなところで寝ちゃうなんて、毎日忙しいのに最近は私なんかとデートに行ってるから、疲れてるんじゃないですか? なーんて。

デートって思ってるのは私だけかもしれないけれど、月に一度、二人だけで出掛けるようになってから半年くらいが経つ。牧場だったり、遊園地だったり。でも全部、私からは誘わせてくれないのが、ずるいなって思う。

先生は私のこと、どう思ってるの? 他の子とも二人きりで出掛けたりしてるの? 
そろそろ、期待するなっていうほうが無理だよ。

顔にかかった髪の毛を避けようと伸ばしかけた手を、グッと握りしめて下ろす。別に疚しいことをしようとしているわけじゃないけれど、何かがダメな気がして。
はぁ……プリントを置いて私も早く戻ろう。
立ち上がったところで先生がもぞりと動いた。起きたのかと思ったのにそれ以上動くことがなくて、もう一度顔を覗き込む。薄らと開けられた瞼の奥から覗く瞳と、目が合った。そのままゆっくりと伸ばされてきた手の意図が分からず、固まってしまう。
「せんせ、……」
私の声でぴくりと身体が揺れて、動きが止まった。一瞬ここの時間だけが止まったみたいな間があってすぐに、宙に浮いていた手をバッと自分の方へと引いた。「すまん、寝惚けてたみたいだ」と笑って机に向き直り、ぐっと伸びをしてみせる。
今、私が声をかけていなかったら、先生の手はどこに伸びていた?
寝惚けて、何に触れようとしていた?
固まったまま動けずにいた私を、今度は先生が心配そうに覗き込んでくる。

「おーい、大丈夫か? わざわざプリント持ってきてもらったのに寝ちまってて悪いな」
「……いえ。でも先生、あんな寝方してちゃ首痛めちゃいますよ」
「ハハッ。本当だな、気を付けるよ」
「はい、これ」
「ありがとな……美奈子?」

プリントを差し出したものの私の手はそれを離そうとせず、先生は不思議そうに小首を傾げる。ぎゅっと握った場所に皺が寄った。

「先生にとって、私はただの生徒ですか?」

言うつもりのなかった言葉が口から漏れてしまい、先生が持っている側にも小さな皺が出来た。
言ってしまったものはしょうがないと先生からの答えを待つも、長い沈黙が怖くなって恐る恐る顔を上げれば、眉を下げて困ったように笑い、プリントを持っていない方の手で後ろ頭を掻きながら「お前は大切な生徒だよ」と答えた。

「……先生って嘘つくとき、後ろ頭掻きますよね」

なんて、それこそ嘘なカマをかけてみれば、ほんの一瞬だけぴくりと反応したけれど「俺がお前に嘘ついたことなんてあったか〜?」と意地悪そうに笑われた。
これはカマかけたのバレちゃってるや。
でもその答えが、一番ひどくて甘いウソだったりするんですよ。

「そもそも、今のが嘘だったらお前のこと大切な生徒だと思ってないことになっちまうだろ? そんな訳ねえよ」

そうだけど、そうじゃない。分かってるくせに。
私は手を離して、「そうですね」と笑った。

「なぁ、次の日曜日、空いてるか?」
「……へ」

ぺし、とプリントを持った手を頭に置かれて先生の顔が見えなくなる。紙を退かそうとしたけれど、私が動こうとしたと同時に手に少しだけ力が込められた。今は見るな、と言われているようで、動くのをやめる。
ていうか、どうしてこの流れで誘うの?
……違う、この流れだからこそ誘うんだ。

「空いてますよ。デートのお誘いですか? 楽しみにしてますね」

紙を暖簾のように退けて、挑発するように笑いながらそう言ってやった。
ずるい誘い方しかしない先生への、精一杯のお返し。
ぎょっとした顔を見せたかと思えば、楽しそうに笑う先生に、まだまだ勝てそうにないなぁと廊下をスキップしながら思った。
日曜日、何着て行こうかな。

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