オーバーフロー


花冷えの時季。僕ははばたき学園の最高学年となり、彼女は大学生になった。
入学式の日には綺麗な桜と、見慣れないスーツ姿の先輩の写真が送られてきた。その写真を見て、もうあの制服を着た先輩は見られないのか、と妙に寂しくなった覚えがある。頼み込めばまだ着てくれそうだけれど。
新生活の準備やらで忙しかった先輩とやっと会える今日は、桜もとっくに散ってしまっている。メッセージやたまの電話でやりとりはしてたけれど、やっぱり実際に会って話したかった。……素直にそう言えていたらもっと早くーー花見ができる頃にーー会えていたのかな、なんてらしくもないことを思う。
そんな素直に口に出せないことぐらい、自分がよく知ってるよ。
同じ学年だったなら学校で毎日のように会えたのに、と今まで何度も考えてきた“もしも”の話をまた考えそうになっていることに気付き、軽く頭を振ってその思考を飛ばす。この“もしも”は考えるだけ無駄。どうにもならないんだから。
でもここ最近、しばらく考えないようできていた“もしも”が、頻繁に浮かぶようになっていた。

この1ヶ月、彼女から聞く話が全部、まだ僕の知らない世界だから。

画面の向こうで、楽しそうに新しい環境について話す彼女を遮ることなんてできないし、楽しく過ごせてるなら僕だって嬉しい。それなのに、心の中の小さな僕が、置いてけぼりにされた子供みたいに泣くんだ。わんわん泣くそれを無視していると、どんどん泣き声が大きくなっていって耳障りで、苦しい。僕が泣きたくなる。どうしろって言うんだ。
待ち合わせの公園のベンチでそんなことを考えていれば、今僕の頭の中を半分くらい占めているんじゃないかと思う本人が視線の先に現れた。

「一紀くん、待たせちゃった?」

波の音とはまた違った心地よさを持つ声が僕を呼ぶだけで、考えていたモヤモヤが飛んでいくようだった。
何度か彼女のことを単純だ、と思ったことがーー言ったこともーーあるけれど、これじゃ僕も人のこと言えないなと心の中で苦笑する。

「ていうか、わざわざ迎えに来なくても僕がそっちまで行ったのに」
「私待ち合わせするの好きなの!」

そう、今日は先輩の家で過ごす予定なのに、この人は落ち合う場所をわざわざ近所の公園に指定したのだ。ニコニコしながらそう答えられてしまえば、何も言えなくなる。
ま、君が好きなら、これからもそうすれば良い。好きな人を待つのは意外と悪いものじゃないと、半年くらい前から僕は知っている。

「……じゃあ待たせないでよね」
「はーい!」

また素直になれない口から出た言葉に先輩は、笑顔を消すことなく元気よく返事をする。行こう、と隣に並んで歩き始めてすぐ、お互いの手が軽く触れた。ここから目的地までは数分もあれば着く。それでも、手を繋いでもいいのかな。僕は、君に触れたい。
そう一瞬悩んでいる間に、するりと指が絡められる。

「え」
「……ふふっ」

驚いて手を凝視していれば、照れくさそうに先輩が笑う。頬がほんのりと赤いのに気付くとそれに釣られて僕の顔も熱くなってきて、誤魔化すように眼鏡の位置を直した。君も、同じ気持ちなのかな。

先輩の部屋に上がるのは今日で二度目。前回は先輩が風邪を引いてお見舞いに来たとき。まだ、この人の中で僕がただの一つ下の後輩だったときだ。あのとき既に僕の中ではただの先輩じゃなかったけど、どうせ君は気付いてないんだろうね。
好きに座ってて、と言われてラグの上に腰を下ろす。あまり人の家に上がることがない所為でどうにも落ち着かない。
……いや、きっとそれだけじゃない。自室とはまるで違う女子らしい部屋の雰囲気と、扉を開けてから僕を包み込むこの柔らかい香り。
いつも彼女からふわりと香る、においだ。
前回もこの空間にいたはずなのに、関係が変わったからと無駄に意識してしまっているのかもしれない。
お菓子と飲み物をつまみながら他愛のないことを話したり今ハマっているという動画を見たりと、かなりゆったりした時間を過ごした。その中でも合間合間に覗く知らない世界に、小さな僕がぐずり出す。置いていかないで、僕を見てと。
……あぁ、もう、泣かないでよ。
こんなに近くにいるのに、君との距離がすごく遠く感じ出す。どうすれば近づける?
高校はどうだと聞かれて、とうとう滲み出した視界。それが溢れてしまわないように、グッと奥歯を噛み締めて堪えた。
それなのに、心が、溢れていく。
ぐっと肩を押せばそのまま後ろに倒れていって、鈍い音が響いた。クッションはあったけれど、少し痛かったのか眉を寄せた先輩に、ごめんと思いながらも口から漏れたのは震えて声にならない音だけ。目が合った途端先輩は、大きな目をさらに大きく開かせた。ぽたりと落ちて行った雫が、先輩の頬を滑る。

「いのり、くん?」
「置いてかれたほうの気持ちも、考えなよ……っ!」

泣くつもりも、こんなこと言いたかった訳でもないのに。溢れ出したら止まらない。ぽたぽたと彼女の頬を、僕の心が濡らしていく。

「ごめんね、私……」
「っ君が悪い訳じゃないんだから、謝らないでよ、」

ーー僕がもっと惨めになる。
そっと彼女の手が頬へと伸びてきて、目尻を拭われた。こんな急に泣き出した僕にも柔らかく微笑む彼女は、どこまでも優しい。優しすぎて困る。
そのまま首に腕が回ってきて、ぎゅっと頭を引き寄せられた。彼女を潰さないように気を付けながら力を抜いて頭を預ければ、ゆっくりと頭を撫でられる。子供みたいにあやされているのに、不思議と嫌な気がしない。小さな僕ごと、包み込んでくれるようだった。いつの間にか耳障りなあの泣き声も聞こえてこない。

「私もね、ちょっと不安なんだよ」
「え?」

思わず顔を上げると、バチリと合った視線を即座に逸らされる。唇を尖らせて「私がいたときより学校楽しそうなんだもん」とぼそぼそと呟いた。予想外の回答に何も言えず固まってしまう。

「一紀くんが楽しそうなのはすっごい嬉しいんだけど……」
「……ははっ」
「も〜! 笑わないでよ〜!」
「そうじゃなくて」

ぐりぐりと頭を撫でる力を強くしてくるその手を掴んで、僕の頬に添えた。温もりがじんわりと伝染する。

「僕と君、同じこと考えてたから」
「そう、なの?」
「うん。僕も君と一緒」

お互いに、お互いがいない場所で楽しんでるのを喜びながらも、嫉妬してたんだ。また同じ気持ちだったことに、なんだか胸がくすぐったくなった。
小さな僕が、泣き腫らした目でくすくすと嬉しそうに笑う。今僕が前よりも学校を楽しんでいるように見えているなら、それは紛れもなく君のおかげだと言うのに。
少しだけ身体を起こして、ピンクの髪に指を通す。海水の影響を受けていないサラサラな髪。くすぐったそうに笑う先輩の額にそっと口付けた。

「もっと君の話、聞かせてよ」

もう笑顔で、そう言える。
知らない世界も、君の気持ちも、不器用な僕は教えてもらわなきゃ分からないんだから。
小さな僕が、今度は「もっと教えて」と駄々を捏ね始めた。

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