星は知っている


「行ってきます」

夕方、ママが作ってくれたおにぎりを2個食べてから自転車に乗って家を出た。

いつもなら素通りするコンビニに立ち寄り、ペットボトルのサイダーを持ってレジに並ぶと後ろから声をかけられた。

「あれ、ナマエじゃん。塾は?」

恐る恐る振り返ると幼馴染の倫太郎が不思議そうな顔をして私を見下ろす。
Tシャツにジャージ姿だから倫太郎もお盆返上でバレーの練習をしていたのだろう。

「……さぼる……予定」
「へぇ、めずらしいね」
「あの……この事はママには……」
「わかってるよ、その代わり」

倫太郎は手に持っていたスポーツドリンクをすっと私に差し出しながらニンマリと笑う。

「おごってくれるよね?」
「……もちろんです」

会計を終えて外に出ると外はもう宵の口で、紫がかった空と影絵のような建物が並ぶ中、倫太郎は私の自転車に勝手に跨っていた。

「はい、倫太郎」
「さんきゅ」

倫太郎はもう声変わりしてしばらく経つのに私は未だに彼の声に違和感を抱いている。
差し出したスポーツドリンクを受け取った倫太郎はそれを一気に喉へ流し込んだ。
飲み込むたびに動く喉仏に視線が釘付けになる。

知らない人みたいだ

ぷはーと息を吐く馴染みのない幼馴染から慌てて視線をそらす。私が見ていたことには気付いていないようでほっとする。

「で?ナマエは塾サボって何すんの?」
「高台公園に行ってくる」
「え、ひとりで?」
「うん」
「何しに?」
「流星群見に行く」
「……危なくない?」
「いつも遊んでた公園だよ?」
「そうじゃなくて」

跨っていた自転車から降りて私の前に立つ倫太郎は中学生の割には大きくて見上げると首が痛い。

「女子がひとりで夜に公園行くとか危ねぇよ」

大人のように私を気遣う倫太郎はいつまでも子供のままの私を置いていく。
身体的な面でも、精神的な面でも。

そんな幼馴染の態度へどう対応すればよいのか、言葉がなかなか出てこない。そのまま押し黙っていると、ため息をつきながら倫太郎が話を切り出した。

「しゃーねぇから付き合ってやるよ」
「いいよ、倫太郎練習で疲れてるでしょ?」
「疲れてねぇし」
「や……でも」
「わかった、言い方変える。俺も流星群見たい」


倫太郎のエナメルバックを自転車の前かごへ入れて高台の公園を目指す。
私の漕ぐ自転車に並走している倫太郎は安定したピッチと呼吸でスイスイと坂を登っていく。
昔は一緒に遊びに行った公園。こうして二人で行くのは小学校以来かもしれない。

坂を登りきった公園には人影もなく、街灯も少なくてとても暗い。
自転車を停め展望デッキへ向かうと、私達の住む小さな町の小さな夜景が眼下に広がる。

でも今日の目的はこの夜景ではない。

私はリュックから大きなビニールシートを引っ張り出して地面にそれを敷く。
その様子を黙って見ていた倫太郎がシートを広げるのを手伝ってくれた。

そのまま二人でビニールシートの端に距離を置いて座る。
私は空を見上げた。

毎年、8月のお盆の頃に見ることのできる流星群。
まだ流れ星を見たことがなかった私でも今日なら見られるかもしれない。

そんな興味が頭を過ぎってしまうと居ても立っても居られなくて、テレビや新聞、ネットから情報を集めた。

ママに星を見に行くと正直に言えば
「そんなことよりも今は受験勉強の方が大事でしょ?」
って話をすり替えられるに決まってる。

だから塾はサボることにした。

この小さな町の小さな高台からそれが見られるかは正直わからない。
でもやらなくて後悔するよりずっといい。

しばらく黙って空を見上げていたら、倫太郎がそのままごろりと寝そべった。

「あー、こっちのが楽だよ?ナマエ」
「ふたりで寝転ぶのは無理だよ、狭いし」
「ずっと空見上げてるつもり?」
「うん」
「首痛めるよ。それに寝転んだ方が空広く感じるよ?」

倫太郎はいつもメリットとデメリットを並べて私を丸め込む。首が痛くなってきたのは事実なので大人しくシートの上に寝そべることにした。

本当だ。
倫太郎の言うとおり
座って見上げるよりも空が広い。

昔、ママがよく聞いていた歌に空に落ちそうになるという歌詞があった。
どうして空なのに落ちるんだろうなんて子供心に不思議に思ってた。

夜空は暗くて、果てがなくて、それに比べると宇宙の塵よりも小さな私はその闇に飲み込まれるような気がした。あぁ、落ちそうというのはこういう感覚なんだろうか。
そんなことをぼんやりと考えていた。

だからだろうか、急に子供の頃を思い出した。

「夏休みによくこうして倫太郎と一緒に昼寝してたよね」
「あー、懐かしいな。ナマエ寝相悪いから起きたらいつも180度回転してたよね」
「そうだっけ?」
「あとナマエが怖い夢見て起きてさ」
「そんなことあった?」
「黙って泣いてる時あったよね」
「……昔のことだよ」
「あ……流れ星」
「え、どこ?」
「流れた」

倫太郎は人差し指で空中に流れ星の軌道を描く。
「……見逃しちゃった」
私がそう呟くと「またすぐに見られるよ」と倫太郎は答えた。


私が流れ星をひとつ見逃したあと、いよいよ天体ショーが始まった。

初めて自分の目で捉えた流れ星はほんの一瞬で、思わず息を呑んだ。

星が流れて消える間に願い事を唱えられたら叶うなんてよく言うけれど、この一瞬に自分の願いを託すのは至難の業だろう。

ひとつ、またひとつと流れてゆく星たちを見送りながら私はまたぼんやりと思考の海に潜る。

「ナマエは……なんか願い事でもあんの?」

倫太郎が突然声をかけてきた。

細かい願い事ならたくさんある。
好きなアイドルのコンサートに行きたいし、スマホ欲しいし、先日ようやく決めた志望校に受かりたいし。

でも私の願いなんて星に願うようなロマンのあるようなものじゃない。

「……や、特には」

そう濁した。
倫太郎は「そっか」と興味なさげに返事をする。

「倫太郎は?」
「俺も……特にない」
「ほんとに?」
「ないよ」
「バレーのことは?」
「バレーは自分でなんとかする」
「倫太郎らしいね」

小学校からバレーボールを始めた倫太郎はそこからズブズブとのめりこみ、彼がバレーに打ち込めば打ち込むほど私達が一緒に過ごす時間はなくなっていった。

先日、ママから倫太郎が県外の高校から推薦がきていて中学を卒業したら家を出るかもしれないということを聞いた。

バレーと一緒に倫太郎が私から遠く離れていく

そんな気がした。

「倫太郎はさ……高校は兵庫に行くの?」
「うん。今のところ声かけられてる高校の中で一番強豪だし」
「そっか」

ついに彼の口から卒業後の進路の話を聞いてしまった。

応援しなきゃ、背中を押さなきゃ、

そう思えば思うほど、私の中の寂しさが急にぶわりと膨れ上がり、ふと浮かんでしまった言葉が頭の中を駆け巡る。

声に出してはいけない
絶対に

少なくとも
倫太郎には聞かれたくない

そんな思いとは裏腹に
私は耐えきれなくてそれを口にしてしまう。

「大人に……なりたくない」

そう呟いてしまってからしばらく時間を置いて倫太郎は私に問う。

「ずっと子供でいるつもり?」
「……無理だってわかってる。でも私にはやりたいことも目指してるものも……何もない」

このまま、この夜空に落ちてしまいたいと思った。何も選ばず、何も得ず。
私は倫太郎のそばに居たかった。でも彼は夢中になれるものを見つけてしまったから。
永遠に続くと思っていた日々は終わりを告げる。繋いだ小さな手はいつの間にか離れてしまっていた。

夜空に瞬く星がじわりと滲んだ。

泣いていると気がついたのは、私の頬に倫太郎の指が触れたからだった。

「ほら……黙って泣くとこ、昔っから変わんない」
「これは……違う」

手のひらで瞳から溢れたそれを拭おうとすると

「ナマエは俺がいなくなるの寂しい?」

頬に触れていた倫太郎の指は離れていき、かわりにシートへ投げ出していた手が握られた。

「……寂しい」

大きくなった倫太郎の手は子供の頃と変わらない温かさで私の手を優しく包んで、私の心をいとも簡単に絆した。

「ナマエが泣いてるの見るとなんか切なくなるんだ」
「倫太郎が?」
「ん……俺が守ってやんなきゃって」
「嘘ばっか……中学に入ってからはそんなに話すこともなかったじゃん」
「そうだっけ?」
「そうだよ」
「でもずっとそう思ってるよ」

いつの間にか本音となって紡がれた言葉たちは夜空に吸い込まれていく。
私の言葉も飲み込んで、風がさわさわと雑草を揺らす音がその隙間を埋めた。

倫太郎へ視線を向けると少し寂しそうな表情で彼は私を見つめていた。
もしかすると寂しいのは私だけではないのかもしれない。

「でもこれからはしばらくナマエのそばに居られないから」
「……なんかごめん、余計な心配かけて」
「そんなんじゃない」
「……倫太郎?」
「約束……置いていっていい?」

そう話す倫太郎の表情はあまりにも真剣で、私は何も考えず「いいよ」と返事をしていた。

「俺、自分の力がどこまで通用するのか試したいんだ」
「……うん」
「だからナマエのことも大事なんだけど今はバレーを優先する」

倫太郎の瞳は私を見つめつつ未来を見据えている。一瞬揺れた彼の瞳の奥に確かな決意と微かな迷いが垣間見えた。

「倫太郎が居なくなるのは寂しい。でも倫太郎が大事にしてることは応援したい」

私がそう話すと倫太郎の表情が僅かに緩んだ。

「俺が自分の力に自信持てるくらいになったらナマエに聞いてほしいことがあるんだ」
「……何?」
「今は言えない。何年後になるかはわからないけどまたここで流星群見よう、ふたりで。その時に聞いてほしい」

繋いだ手は離され、代わりに倫太郎の節の目立つ長い小指が差し出された。

「約束」
「うん……約束」

差し出した小指が絡まると倫太郎はいつものように私をからかう表情に戻る。

「ちゃんと覚えててよ?」
「わかってるよ!」
「あと彼氏とか軽率に作んないでよね」
「……そっちこそね」


そろそろ塾が終わる時間が近づいてきたのでビニールシートを片付けた。
さっと砂をはらってビニールシートをリュックに詰めていると、
「ねぇナマエ、何か飲むもの持ってない?」
と倫太郎が言う。

「え、さっきコンビニで買ったスポーツドリンクは?」
「あんなの一瞬で飲んじゃったよ」

あっけらかんと答える倫太郎に「しょうがないな」と言いながら買ったサイダーを手渡した。

「……これ封空いてないじゃん」
「いいよ、倫太郎にあげるよ」
「や、流石にこんなにいらない」
「……わがままだなぁ」
「だからさ、ふたりで半分こしようよ」

昔から私と倫太郎は色んなものを半分こしていた。最近は大人びてしまった倫太郎に勝手に距離を感じていたけど、小さい頃のように半分こをしようと提案する倫太郎はあの頃のままだった。

「いいよ」

差し出したサイダーを受け取る倫太郎の背後にまたひとつ星が流れた。

どうか彼の歩む道が明るく照らされますように

私の密かな願いを流れ行く星が連れてゆく。

そして私自身も

この先迷うことなくまっすぐ自分の足で
倫太郎に追いつけますように

そう、願わずにはいられなかった。

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