夏期合宿G波乱


※G=ゴキブリです。ゴキブリという単語が多用されていますので苦手な方はご注意ください。




「もしもし?どうした?」
「……」

お風呂上がり、珍しく合宿中の聖臣から電話がかかってきた。数コールで出たのに応答がない。間違えて掛けてきた?

「おーい?聖臣ー?」
「……帰りたい」
「へ?」

1分ぐらいして返ってきたのは絞り出すような弱々しい声で。帰りたい?え?ホームシックとか?……いや、聖臣に限ってそれはないか。

「どうしたの?」
「……出た」
「なにが??」
「G」
「あー……」

なるほどね、合宿所にゴキブリが出ちゃったのか。それで聖臣はもう帰りたいと。あと2日あるもんね……。
電話の向こうからは長く深いため息が聞こえてきて、相当参っているのがわかる。

「どこで出たの?」
「食堂」

あぁ、食堂はよく出るね。たしか今回の合宿所は結構山奥にあって古い場所だったから虫は出やすいだろうとは思っていたけれど、よりによってゴキブリに遭遇しちゃったか。

「ほんっと無理」
「逃げられた?てか見たの?」
「逃げられたし見た……」
「それは……どんまい」
「どんまいじゃねぇし」

2回目の深いため息。そう言われても、私何もできないしなぁ。
ていうかゴキブリ出てきて帰りたいって電話してくる聖臣可愛い。レア。……そんなこと言ったらぶっ飛ばされちゃうから言わないけど。
うーん、どうにか聖臣の気分を上げられないかと思考を巡らしたところでふと思い出す。そういえば、

「聖臣」
「……なに」
「ハッカ油持って行ってなかったっけ?」
「!!」
「うおっ、」

聖臣が息を飲んだと同時にぼふん、とスマホが投げられたような衝撃が伝わってきて、少し遠くからゴソゴソと荷物を漁るような音が聞こえてくる。これは忘れてたな?
前にゴキブリ対策について伝授したときに教えたハッカ油。あのときハッカ油がゴキブリ以外の虫除けにもなるし、マスクの不快感も取れるしでいろいろ使える万能アイテムと知った聖臣は、必需品のひとつとして持ち歩いていた。だから今回の合宿にも持って行っているはず。
ちなみにあのゴキブリ対策講座以降、聖臣の部屋にゴキブリは出ていない。

「……あった、どうしたらいいの」
「ん〜、ティッシュとかタオルに1滴垂らして部屋に置いとくといいよ」
「1滴でいいの」
「心配なら何個か作って、枕元とかトイレとかに。ハッカ臭くなるけど」
「ゴキブリより全然マシ」
「っふ、でしょうね」
「笑うな」

ごめんごめん、と言えば電話の向こうから自分の声が返ってくる。聖臣がスピーカーに切り替えたらしい。早速作るのかな〜。
作るから切る、と言われると思っていたからなんだか嬉しい。今日の聖臣可愛いな、ゴキブリのおかげかな。でもこれで聖臣の部屋にゴキブリ出ちゃったら本気で帰って来ちゃいそうだし、帰ってからもめちゃくちゃ不機嫌だろうから、ゴキブリさんお願いだからもう聖臣の前には出ないであげてね。
聖臣がハッカ油をせっせとティッシュに垂らして、自家製退治グッズを作ってるであろう音を聞きながらそんなことを考える。

「ナマエ、なんか喋ってて」
「えぇ〜?無茶振り」
「……じゃあ今日何してたの」

まさかの聖臣からの無茶振り。2人同じ空間にいても無言になることなんて普通なのになんか喋ってて、なんて。
なに?ゴキブリ出たから心細いの??よしよししてあげたい……じゃなくて。今日はね〜。

「今日は急にバイト入っちゃってさ、さっき帰ってきて丁度お風呂出たとこだったよ」
「は?」
「え?」
「遅番入ってたわけ?」
「え、うん。シフト入ってた子が体調崩しちゃって」
「なんで帰り電話しなかったんだよ」
「だって聖臣合宿中じゃん!」
「遅番の帰りの時間なんか練習終わってるに決まってんだろ」

なんでそんな怒ってんの。たしかにいつも遅番にシフトが入った日には、聖臣と電話しながら帰っている。たまに迎えにきてくれる日もある。でも今日は急に入ったシフトだったし、そもそも合宿頑張ってる聖臣にわざわざ電話できないじゃん。

「なんでいつも電話しろって言ってるか分かってないの?」
「……危ないから」
「そう」
「でも!」
「でもじゃない」
「はぁ?!聖臣の邪魔したくないの!わかってよ!」
「邪魔だったら付き合ってない」
「なっ、そういうことじゃないでしょ!」
「ナマエになんかある方が集中できなくなる」
「っ!」

だから、合宿中だろうがいつでも電話して。宥めるような優しい声でそう続けた聖臣に、なにも言えなくなる。ぎゅっとスマホを握りしめてごめん、と小さく漏らした。

「……俺もごめん、ナマエが言いたいこともわかるけど、邪魔なんかじゃないから」
「……うん」
「確かに今日みたいに急な日は出れねぇかもだけど、掛けるだけ掛けてきて」
「……ん。」
「うん」
「……ありがと」
「俺もありがとう」

お互いにお互いのこと考えてて、ありがとうって言い合って。なんだか胸がぽかぽかした。
聖臣がハッカくせぇ、と呟いたあと声が近くなり、スピーカーが解除される。作業が終わったらしい。ハッカティッシュは1個でも十分な気がしたけど、何個置いたんだろうなぁ。ていうか聖臣の声聞いたら眠くなってきちゃった。
ふあ、と我慢しきれなかったあくびが小さく漏れた。

「……もうこんな時間か」
「んね、聖臣も寝なきゃ」
「うん」
「ん〜…明日も電話していい?」
「……いいけど」
「聖臣から電話してくれてもいいからね!」
「はいはい」
「んふふ、明日もがんばってね、おやすみ」
「ん、おやすみ」


明日も1日頑張ろうっと。
早く合宿終わらないかなぁ、会いたくなっちゃった。


翌日、ゴキブリが一匹粘着トラップに引っかかっていた、とチームメイト伝いに聞いたという旨のメールが届いていた。でも油断ならないからハッカテッシュは今日も新しくする、とのこと。
ひとまず安心したけれど、昨日みたいにまた甘えてきてほしかったなぁ、なんて思ったのは内緒。


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