チョコレート・ホリック | ナノ



※バレンタインデーSS
※日本式バレンタインです





「メールッ、何か僕に渡すものとか、ない?」
「はぁ……?」

 薄暗い茂みの中。
 どこか確信めいた笑みを隠そうともしない王子を前にして、メルヒェンは首を傾げることしかできなかった。
 ちょっとこっちにおいで、と手を取られ、木々の陰へと連れ込まれたのはつい先程のことだ。
 鬱蒼とした木立が日の光を遮るためだろうか、踏みしめる地面や下草は僅かに湿り気を帯びている。
 言われるがままについてきたものの、こんなところで一体何をするつもりなのか、メルヒェンには皆目見当がつかなかった。

「やれやれ、君は相変わらず世事に疎いね。今日はバレンタインデーだろう?」
「……聖ウァレンティヌスが処刑されたことと、私が君に何かを渡すことに、何らかの関係性があるとは思えないんだが」

 依然として愉しげな表情を浮かべる王子に、メルヒェンは困惑を深めるばかりだった。
 メルヒェンとて、2月14日が歴史上どういった意味を持つ日なのかくらいは知っている。
 ローマ皇帝の迫害を受けたウァレンティヌス司祭が、処刑された日だ。
 冬の子から借りた書物のうちのひとつで得た知識だが、間違ってはいないはずである。
 しかし、もの問いたげな視線を向けるメルヒェンに対して、王子はただうんうんと頷くだけだった。

「ここまで期待を裏切らないなんて、さすがは僕のメルヒェンだね。いいかいメル、バレンタインデーはね、愛する人にチョコレートを贈る日なんだよ」

 まるで何も知らない子供に言い聞かせるかのような、明快かつ噛み砕かれた説明だ。
 だが、今さら自分にそれを教えたところでどうにもならないだろうに、とメルヒェンは溜め息をついた。

「王子……もう分かっていると思うが、残念ながら私には君の期待に沿うような準備は」
「もちろん、これも予想のうちだよ。君からの愛情の証は次の年の楽しみにとっておくさ」

 勝手な物言いをする王子に、気落ちする様子はない。
 多少なりとも落胆の色を見せるだろうと思っていたメルヒェンにとっては、意外な反応だった。

「確かに、君は何も用意していない。でも、それは僕の贈り物を受け取らない理由にはならないだろう?」

 王子の唇がゆるりと弧を描く。
 彼が取り出したのは、高さ15cmほどの小ぶりで細長いビンだった。
 きらきらと輝く硝子の中には、とろりとした茶褐色の液体が閉じ込められている。

「それは?」
「チョコレートソースだよ、城の者に作らせたんだ。はい、ハッピーバレンタイン、メル」
「え、あ、ありがとう……?」

 にっこりと微笑まれたものだから、反射的に礼を述べてしまった。
 贈り物というからには、自分が貰っても差し支えないのだろうか。
 メルヒェンはもう一度、王子の手の中の小ビンに目を向けた。
 チョコレートは、嫌いではない。どちらかといえば甘党のメルヒェンにとっては、むしろ好物の部類に入る。
 しかし、液体状のそれを見るのは初めてだ。
 ソース、と呼ぶくらいだから何かにかけるのだろうと推測してみたが、製菓の心得などないメルヒェンには使い道がよく分からなかった。
 味の方は普通のチョコレートと変わらないのだろうか、と思量する。

「ふふ、興味津々だね。少し味見してみる?」
「っ、ちが……!」

 くすくすと笑われて、慌てて目を逸らした。
 もしかすると、物欲しそうな顔をしているように見えたのかもしれない。
 そう思うと恥ずかしさに顔が熱くなる。

「だっ、だいたい、それは何かにかけるためのものじゃないのか? そのまま舐めるなんて、」
「『行儀が悪い』……かい? 大丈夫だよ、此処には君と僕以外誰もいないじゃないか。見咎められる心配はないさ」

 羞恥をごまかすべく紡がんとしていた言葉まで言い当てられ、メルヒェンはいっそうしどろもどろになってしまった。
 そんなメルヒェンを尻目に、王子は言うが早いかビンの口を封じていたコルクを抜き取る。
 王子は自身の中指の先に軽く歯を立て、手袋からするりと右手を引き抜いた。

「はい、あーんして? メル」

 いたずらっぽく笑んだ王子が、メルヒェンの口元に指先を近づけた。
 唇にちょん、と触れた人差し指には、たっぷりとチョコレートが絡みついている。

「ちょ、ちょっと待ってくれ、王子っ」
「それは出来ないな。早くしないと垂れてしまうからね……ほら、遠慮しないで良いんだよ?」
「そ、そんな……んぐ、っ」

 慌てふためいたメルヒェンが抗議の声を上げるも、それが聞き届けられることはなかった。
 半ば強引に差し入れられた指を噛むこともできず、口を開けたメルヒェンはおずおずと舌を動かし始める。
 濃厚な甘みが口の中に広がるのを感じたが、当のメルヒェンにはそれを味わう余裕など全くと言っていいほど無かった。
 自らが立てる僅かな水音にさえ、どうしようもなく羞恥心を煽られてしまう。

「メルのその顔、すっごくやらしい」
「……!」

 愉悦を滲ませる王子の表情に、不意に身体の芯が疼くような錯覚を覚える。
 メルヒェンがふるりとその身を震わせたのを見計らったかのように、王子はようやく指を抜き去った。

「どう、美味しかった?」
「あ、あんな状況で味なんて分かるわけがないだろう……!」

 メルヒェンは自然と早口でまくし立てていた。
 自身の奥底でじわりと首をもたげ始めた欲望から、必死に目を背ける。
 しかし、意識とは裏腹に衝動は勢いを増すばかりだった。
 つい先程まで口内に残っていたのだから、チョコレートの風味などすぐに思い出せるはずなのだ。
 それなのに、頭の中に蘇るのは王子の囁き声や湿った水音ばかりだった。

「そう? じゃあ、僕もちょっと味見させて貰おうかな」
「え、なに」

 王子の手が、おもむろにメルヒェンの頬に触れる。
 今度こそ、声を上げる暇もなかった。
 くい、と顎を掴まれた次の瞬間には、口内はぬるりとした温かい感触に侵されていた。

「ふ……ぁ、あ、」

 断続的に這い上がってくる快感に、がくがくと脚が震える。
 息が苦しい、でもやめてほしくない――矛盾するふたつの欲求に折り合いをつけることができずに、頭が真っ白になる。
 その刹那、ちゅ、と舌をきつく吸われて、メルヒェンはとうとうへたり込んでしまった。

「うん、なかなか美味しかったよ」
「は……っ、ぁ……」
「おや、腰が抜けてしまうほど気持ち良かったのかい?」

 ちょうど背にしていた木の根元へと身体を預けるメルヒェンに、王子は満足げに問いかける。
 くったりとした様子のメルヒェンは、ただはふはふと苦しそうに呼吸を繰り返すだけだ。
 しかし、潤んだ黄金色の瞳が普段にはない色を帯びているのは明白だった。

「メル、誘ってるの?」

 メルヒェンのすぐそばにしゃがみ込んだ王子は、口角を上げたまま小さく訊ねた。
 メルヒェンが意図的にそうした態度を取っているわけでないことは、分かっている。
 だが、メルヒェンがどういった反応を返すか知っているからこそ、つい訊きたくなってしまうのだ。
 案の定、大きく目を見開いたメルヒェンは、途切れ途切れに否定の言葉を紡いだ。
 あまりにも必死なその様は、純朴な乙女と並べても引けを取らないほどに初心に思える。
 しかしその一方で、ぴったりとくっつけられた膝は擦り合わせるようにもじもじと小さく揺れていて。
 どちらも彼の本心からの行動だと理解しているがゆえに、その倒錯的な雰囲気に目眩がした。

「そう。でも、膝揺れてるよ?」
「――――っ!」

 耳元でそっと囁く。
 泣きそうな顔をして口をぱくぱくさせているメルヒェンを見ると、罪悪感と高揚感が旁魄された何とも表現し難い気持ちになる。
 意地が悪いのは自覚しているが、それでも改心する気にはなれなかった。

「ごめん、少しいじめすぎたね」

 メルヒェンの目尻に、啄ばむようなキスを落とす。
 今にも零れ落ちそうだった雫を舐め取った王子は、メルヒェンの衣服へと手を伸ばした。

「そうだ。これ、持っててくれるかい? 少しの間で良いから」
「……?」

 メルヒェンが手渡されたのは、チョコレートで満たされた例の小ビンだった。
 封を切ったばかりのそれは、少しでも傾けると中身が零れてしまいそうだ。

「王子、これ……栓は?」

 彼が懐から取り出したときは、確かに詰め物がしてあったはずだ。
 メルヒェンは、うっかりこぼしてしまわないようにと注意を払いながらも王子に尋ねる。
 だが、王子はメルヒェンの声などまるで聞こえていないかのように振舞っていた。
 王子の指が、はだけたシャツの隙間から潜り込んでくる。

「お、王子? ん、っ……」

 首筋に口づけられ、僅かに身体が跳ねた。
 胸元で揺れる鎖の冷たさに、微かに眉をひそめる。
 きっちりと留めていたはずの釦は、いつの間にか全て外されていた。
 皮膚の上をするすると撫でていく手のひらの感覚に、ぞくりと肌が粟立つ。
 このままだと、辺りがチョコレート塗れになるのも時間の問題のように思えた。

「おうじ、っ……聞きたまえ!」

 乱れる息を何とか整えながら、精一杯呼びかける。
 幾度目かの要求で、ようやく王子は愛撫の手を止めた。

「どうしたんだい、メル」

 何か問題でも?とでも言いたげな笑顔が白々しい。

「さっきから訊いているだろう! ビンの栓はどうしたんだ?」

 こんな状態では集中できない、とはさすがに言えなかったが、何を言わんとしているかは伝わったようだった。
 いよいよはぐらかすのも限界だと悟ったのだろう、王子はゆっくりと口を開く。
 だが、元々詰められていたコルクの所在を知ったところで、果たして何の解決にもならなかった。

「ごめんね、さっきうっかり落としちゃったんだ」

 汚れたままじゃ使えないし、と申し訳なさそうに呟く王子を責めるのも憚られて、メルヒェンは押し黙ってしまった。
 とは言うものの、いつまでもメルヒェンがビンを持っているというのも無理がある。

「仕方ない、しばらく地面の上に置いておこうか。メル、貸して」

 息を衝いた王子は、ビンに手を伸ばした。
 メルヒェンの方も、気を配りながら手の中のものを差し出す。
 これでやっと気が楽になった――メルヒェンがそう安堵したのも束の間だった。

「ありがと……あっ」

 王子がしまった、という顔をしたのと、メルヒェンが小さく悲鳴を上げたのはほとんど同時だった。
 受け取るときに手許が狂ったのか、王子が持つビンからはどろりと中身がこぼれ出てしまっていた。
 そのおかげで、メルヒェンの胸からへその辺りにかけてはチョコレートソースでべたべたというひどい有様だった。

「ごめん、こんなつもりじゃなかったんだけど」
「いっ、いいから早く、拭いて、っ」

 鳩尾や脇腹をつう、と流れていく液体の冷たさに身震いする。
 いくら食べ物とは言え、あまり気分の良いものではなかった。
 少しでも早く拭い取ってほしい、という思いだけが募る。
 また、この形容しがたい不快感から逃れられるならば、使うものは何だって構わない、とも思っていた。
 ただし、それは布など常識的な範囲での話だ。
 脇腹をくすぐる生温かい感触に、メルヒェンは堪らず身体を強張らせた。

「ひゃうっ!? や、王子っ、なに、して……ッ!」
「ん、これが一番手っ取り早いかと思って」

 王子がべろ、と肌を舐め上げるごとに、背筋がぞくぞくとわななく。

「もっ、やめ、ぅ、やだ、あぁあっ」
「メル、きみは甘いんだね……舌がとろけてしまいそうだ」

 ぢゅ、くちゅ、と執拗に這い回る舌に、なす術もなく翻弄される。
 否応なく高められる性感の前に、メルヒェンはただあられもない声を漏らすことしかできなかった。
 なけなしの気力を振り絞って、日の光を集めたように輝く金の髪を弱々しくかき乱す。
 といっても、薄い背中を反らせるたびに、くしゃりと指先で撫でる程度だったが。
 力の入らない身体では、それが精一杯の抵抗だった。

「き、君は馬鹿か……! チョコなんだから、ぁ、甘くてあたりまえ、っんん!」

 再び口を塞がれて、メルヒェンは目を白黒させた。
 舌を絡められたかと思うと、とろりとしたものが口腔から喉の奥に流し込まれる。
 吐き出すこともできず、何とか嚥下すると、既に消えかけていた甘みが再び口内に溢れた。
 むせ返るほどの濃厚な風味に、くらくらする。

「元はといえば君のものなのに、僕ばかり味わっていたら悪いからね」

 ぺろ、と自身の唇を舐めた王子は、悪びれもせず笑っている。
 身体の内も外もチョコレートをまぶされて、まるでメルヒェン自身がチョコレートになってしまったかのような錯覚に陥りそうだった。
 吐息まで甘ったるい気がして気持ちが悪い。
 中途半端に高められた熱と相まって、思考がどろりと溶けていく。
 もう、しばらくチョコレートは見たくない――メルヒェンは心の底からそう思った。





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ハッピーバレンタインデー!

1日遅れたような気もした……
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12.02.15 

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