甘い甘い君を食んで | ナノ



※ハロウィンSS



 もうすっかり夜の帳も下りてしまった。
 墨を流したような濃い闇夜には、星々が控えめに瞬いている。
 宵闇の森の中、王子は如何せん機嫌の悪い恋人を前にして、困り顔で佇んでいた。
 今日は珍しく早めに執務が片付いたため、少しでも長く一緒に過ごしたいという想いを胸に急いでメルヒェンの元を訪ねてきたのだ。
 だからこそ、こうして不毛な時間を消費しているというのは王子にとって非常に不本意だった。

「メル、一体どうしたんだい」

 言ってくれなきゃ分からないよ?と、なるべく優しい声音で問いかける。
 しかし、メルヒェンがそれに応じる様子は一向に見られなかった。
 メルヒェンは相も変わらず、口を閉ざしたまま眉間に皺を寄せて俯いている。
 不機嫌というよりは、王子との会話を避けている、と形容した方が近いかもしれない。
 彼がへそを曲げているときには、たいていの場合王子自身にも何かしらの心当たりがあるものなのだが、今回に限ってはそれもなかった。

 さてどうしたものか、と王子は密かに溜め息を吐いた。
 恐らく何かあったのだろうが、聞き出そうにもこの調子では本人の口から直接聞くのは不可能に近いだろう。
 となれば、推測する以外に手立ては残されていなかった。
 何か普段と違うところはないだろうか、と意識しながら、王子はしげしげとメルヒェンを眺める。
 別段変わったことはなさそうに思えたが、王子は不意にあることに気づいた。

「あ、今日はそっちのリボンなんだね」

 メルヒェンの髪は、黒地に金のストライプが入ったリボンで結わえられていた。
 最初に出逢ったときに彼が身につけていたのと、同じものだ。
 ここしばらくは深紅のリボンを付けた姿を見慣れていたため、何だか不思議な感じがした。

 血を思わせるような濃い紅色をしたそれは、王子がメルヒェンへと贈ったものだった。
 「君に似合いそうだったから」という何とも単純な理由での贈り物だったが、事実それは彼の髪色に映えておりとても愛らしかった。
 メルヒェン自身もそれなりに気に入ったらしく、背中で揺れる黒と銀の巻き毛は艶のある深紅で束ねられていることも多かった。
 とはいえ、別のものを使っていたところで特に何か問題があるわけでもない。
 王子にとっては本当に何気ない疑問だったのだが、しかし、メルヒェンはびくりと身体を強張らせた。

「メル?」

 訝しく思った王子は、じっとメルヒェンを見つめる。
 だが、黄金色の瞳は依然として伏せられたままだ。

(……なるほど)

 少しずつ状況が呑み込めてきた王子は、先程と同じように柔らかな調子でメルヒェンに呼びかけた。

「メル、何があったの? 怒らないから言ってごらん」

 井戸に腰掛けていたメルヒェンに目線を合わせるように、しゃがみ込む。
 ゆっくりと頭を撫でてやると、ややあって、メルヒェンはようやく言葉を発した。

「……本当に、怒らない?」
「ああ、本当だとも。僕が君に対して嘘を吐いたことがあったかい?」

 おずおずと目線を合わせてきたメルヒェンを安心させるように微笑みかけると、恥ずかしいのか彼はすぐに視線を外してしまった。
 そして、ぽつりぽつりと事の顛末を語りだした。

「今日は、ハロウィンと呼ばれる日なんだろう」
「え……うーん、まぁそうだけど、それがどうかしたかい?」

 いきなり予想外の話題を振られて、王子は少し戸惑いを見せた。
 そもそも、世俗のことに疎いメルヒェンがハロウィンの存在を知っていたこと自体驚きだった。
 もっとも、誰から与えられた知識なのかはおおかた想像がついたが。

「ハロウィンの日に“トリックオアトリート”と言えば、たくさんお菓子を貰えるんだ、とエリーゼが言い出してね」

 王子は、ああやっぱり彼女だったか、と心の中で納得した。

「それで私もお菓子をねだられたんだが、あいにく何も持っていなくて……」
「“悪戯”として、リボンを取られてしまったのかい?」

 ぱっとメルヒェンが顔を上げる。
 どうして分かったんだ、と言わんばかりに目を丸くしているところを見ると、どうやら図星のようだった。

「でも、まさかエリーゼ嬢だって本気で奪ったわけじゃないだろう」

 あくまでも悪戯なのだから、彼女の行動も一時の悪ふざけに過ぎないはずだ。
 王子はそう楽観視していたのだが、メルヒェンの表情は曇るばかりだった。

「たぶん、エリーゼもふざけていただけだったんだと思う。ただ、辺りをちょこちょこと走り回っていたせいか、運悪くリボンを踏んづけて転んでしまったんだ……そのとき、リボンが破けてしまって」

 すまない、と詫びる声は消え入りそうなほど小さなもので。
 見れば、メルヒェンは今にも泣き出しそうな顔をしていた。
 リボンは恐らく、辺りに落ちている木の枝か何かに引っかかって傷んでしまったのだろう。
 損傷の程度は分からないが、さほど丈夫な素材でできているわけでもないので、裂けたり破れたりしても不思議ではない。

「そうか……。ところで、彼女は無事だったのかい?」

 メルヒェンは黙ったまま、こくりと頷く。
 それを確認してから、王子はメルヒェンの頬にそっと手を添えた。
 そして、未だにびくびくとしているメルヒェンの緊張をほぐすように、にこりと笑った。

「そう、それならよかった。そんな顔しないで、メル。リボンならまた仕立てれば済む話じゃないか」
「でも……!」
「でも?」
「……せっかく、王子に貰った物なのに、」

 ふ、と視線を落として唇を噛むメルヒェンの目は潤んでいた。
 必死で涙を堪えているのだろう、目の縁に雫が溜まっている。
 そんな顔をするな、と言った手前おおっぴらに口にすることはできなかったが、王子にはそうした表情もまた愛しく感じられて仕方がなかった。
 ついさっきまで、碌に会話を交わすことも叶わなかった反動だろうか。
 メルヒェンのいじらしい態度を目にしたことで、己の中の欲望が急速に高まるのを感じた。
 王子は衝動のままにメルヒェンを引き寄せ、唇を重ねる。

「……! んぅ、ふ……はぁ……っ」

 ぴちゃ、くちゅ、と湿った音が吐息に混じってこだまする。
 奥の方で縮こまっていた舌を絡め取り、唾液を交換するうちに、冷えたメルヒェンの口内に次第に熱が移っていくのが分かった。
 苦しそうに鼻を鳴らすメルヒェンに構わず、王子はメルヒェンを貪る。
 そして、互いの体温が溶け合い、すっかりメルヒェンの息が上がった頃、ようやく王子はその身を引いた。
 メルヒェンの口の端からは、とろりと唾液が伝う。

「ぷは、っ……おうじ、いきなり、何で……」
「それはひみつ」

 王子は、人差し指をすっと自身の唇へ当てた。唇がゆるやかな弧を描く。
 理由は言わない方が賢明だろう。
 君の泣き顔に欲情したから、なんて正直に告げたら何を言われるか分かったものではない。

「……それよりも、」

 人差し指をメルヒェンの唇へと移した王子は、唾液に濡れた柔らかなそれをなぞりながら、愉しそうに囁いた。

「エリーゼ嬢だけがハロウィンを満喫しているのは許せないな。僕だって君に質問する権利はあるよね、メル?」

 快楽の余韻に蕩けた瞳をぱちぱちと瞬かせるメルヒェンは、いまひとつ状況が理解できていないようだった。
 しつもん?と小さく首を傾げてはみたものの、ぼうっとした頭では考えが回らないらしい。
 ぼんやりと王子を見つめるメルヒェンの表情は、すっかり熱に浮かされていた。

「トリックオアトリート。君はどちらを選ぶんだい?」
「え……?」
「“お菓子をくれなきゃ悪戯するぞ”――ハロウィンの決まり文句だろう?」

 もっとも、君は菓子の類いは持っていないようだけどね、と付け加える。
 そこまで言われて王子の意図にやっと思い至ったのか、メルヒェンは羞恥と、そして抗えない欲望の入り混じった何ともいえない表情で、王子を弱々しく睨みつけた。

「君は、ずるい……」

 メルヒェンはぼそりと呟く。
 しかし、もじもじと目の前で身じろぎをするメルヒェンに気を良くした王子は、ただ選択を迫るだけだった。
 メルヒェンには、王子の“悪戯”を甘んじて受け入れる以外の道など初めから用意されていないのだ。
 それを分かった上で尚も訊いてくるのだから、たちが悪い。
 答えを促す声がやけに嬉しげなのが、メルヒェンは気に食わなかった。

「さあ、メル……わっ」

 せめてもの反抗にと、メルヒェンは思い切り王子の首筋に抱きついた。
 ぎゅ、と回した腕からは、王子の体温が伝わってくる。

「……君の……好きに、したまえ」

 メルヒェンは王子の肩口に顔をうずめたまま、言葉を絞り出した。
 素直に悪戯をねだるのも悔しくて、精一杯婉曲的な表現を選ぶ。

「それじゃあ、遠慮なく」

 くすくすと、嬉しそうな微笑が耳朶をくすぐる。
 どこかからかうような色を含むそれに、メルヒェンは改めて羞恥を覚えた。
 しかしそれも、背筋をぞくぞくと駆けていく快感にすぐに取って代わられてしまった。
 首筋を舐め上げられ、かぷりと噛みつかれる度、身体が震えるのを抑えられない。

「ふふ、メルったら。かわいい」

 じわりじわりと募るもどかしさに、身を捩る。
 メルヒェンは、これから施されるであろう悪戯と称した愛撫を想像しては、ただその身に熱を燻らせるばかりだった。




11.10.30 

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