ないものねだり(王子←闇) | ナノ



※割合としては少なめですが
・残酷な描写を含みます
・カニバリズム的表現があります


※王子←闇です

以上を読んだ上で、大丈夫だという方はどうぞ。
閲覧は自己責任でお願いします。










 木立がざわざわとさざめく。
 まるで塗り潰されたかの如く黒々としたそれらが生み出す葉擦れの音だけが、辺りを満たしている。
 月明かりひとつ射さないひっそりとした闇の中には、生ける物の息遣いなど微塵も感じられなかった。
 ただ一人、眼前の男のそれを除いては。

「メルヒェン」

 名を呼んだ王子の声は、どこまでも穏やかだった。
 頬を撫でる手がくすぐったい。
 慈しむような愛撫。甘やかな声。世の女性達が求めてやまないであろう寵愛はしかし、己にとっては懊悩を呼び起こす凶兆でしかなかった。

「……なんだい、王子」

 背中越しに伝わる、地面の冷たさに身震いする。
 ちくちくと肌を刺激する下草や、あちこちに転がっている小石も不快には違いなかったが、何より、無理やり後ろで組まされた両腕が痛くて堪らなかった。
 拘束自体はそうきついものでもない。自身の着ているケープから伸びる飾り布で結わえられた手首に、別段違和感はなかった。
 鎖で縛り上げられるよりはずっとましだ、と思う。
 だが、あまり良いとは言えない環境の中、長時間無理な体勢で転がされているのがつらいことに変わりはない。
 一切身動きが取れないまま、自然と後ろ手の状態で固まってしまった関節は悲鳴を上げていた。
 身じろぎすらできないのは、中途半端に脱がされた燕尾服が二の腕の辺りでつかえているせいだ。
 壊れかけの寝台よろしく軋む身体に顔をしかめつつ、王子の気まぐれな所業を恨む。
 せめて上半身を浮かすことができれば少しは楽になれるのだろうが、仰臥している自身を押さえ込むような姿勢で王子に跨られていては、それも儘ならなかった。

 彼に組み敷かれるのはこれで幾度目だろう。
 どれほど手酷く扱われようとも、彼のことを受け入れてしまう自分が情けなかった。
 腕力では勝てないから、なんて言い訳にすぎない。本当に彼の手を逃れたいのならば、井戸の底に身を隠しておけば良いだけの話だ。
 結局のところ、自分は抗えないのだ。彼の――生者の持つ温もりに。
 俗世で生きる人間を愚かだと蔑みこそすれ、羨ましいと思ったことなどないのに。
 そんな思考を嘲笑うかのように、自身に巣食う衝動は浅ましく人の熱を欲した。
 彼に対する好悪の情など関係なしに、ひたすら貪欲に。

 彼もまた、同じなのだろう。
 愛する対象が屍体であること。それが彼にとって最も重要な条件で。
 メルヒェン、という存在自体を愛しているわけではないのだ。

「今日は一段と大人しいんだね。ふふ、まるで人形みたいだ」
「その方が君は喜ぶと思ったんだが?」

 あからさまに喜色を滲ませた口調に呆れる。
 しかし、「ああ、悪くないよ」と愉しげに笑う王子は、こちらの皮肉交じりの言葉も全く意に介していないようだった。
 時折吹く湿り気のある風に合わせて、王子の持ってきたランタンの灯りが頼りなく揺らめく。
 仄かに橙色に照らされた白手袋が手際よくシャツの釦を外していくのを、ただぼんやりと眺めていた。
 こうしていると、なるほど自分が着せ替え人形か何かのように思えてくる。脱がされるばかりで、着せてもらえることなど滅多にないが。

 人形。改めてそう認識すると、より一層虚しさが募るばかりだった。
 ほとんどの場合において彼は確かに紳士的であり、そこには深い愛情が感じられた。
 しかし、それはあくまでも「物」に向けられるべき種類のものであることは明白だった。
 彼が愛しているのは、あくまでも屍と化した己の肢体なのだ。彼と接し、身体を重ねれば、嫌でもそれを実感する。

 目も耳も、塞いでしまいたい欲求に駆られる。
 彼の関心の矛先を自覚する度に、自身を襲う感覚が嫌いだった。
 まるで胸をぎゅうぎゅうと締め付けられるような、何とも言えない苦しみ。
 どうしてそんな現象が起きるのかは自分でも分からない。どうすれば、その痛みから解放されるのかも。
 彼の望み通り、物言わぬ骸になればすべては解決するのだろうか。
 だが、いくら口を閉ざし、自我を押し殺したところで、そんなものになれるわけもなかった。

「うん、確かに悪くない。でも」
「……?」

 気づけば、釦は全て外され、青白い肌が露わになっていた。
 胸元で揺れる鎖へと指を絡めた王子は、ゆるりと口を開いた。

「考えごとはいけないな、君の悪い癖だ。……屍体は何も語らず、何も思惟することなく、昏々と眠り続けるからこそ美しい。そして、全てが此方の意のままになるからこそ魅惑的なのだと言うのに」

 胸の奥を抉られたようだった。
 嫌というほど聞かされたはずの口上ひとつひとつが、棘のように突き刺さる。
 動揺を悟られまいと平静を装って吐き出した言葉は、僅かに震えていた。

「悪趣味極まりない、な」
「何とでも言ってくれて構わないよ。だけど、僕は常々思うんだ」

 ――ただ愛でられるだけの存在に自我なんて必要ない。違うかい?
 そう囁いた王子の声音は先刻と変わらず柔和で、慈愛に満ちていた。
 闇に融けた表情をはっきりと窺い知ることは叶わない。
 唯一、縹渺と照らし出された口元が綺麗な弧を描いているのが垣間見えた。

「……ふざけるな。君の自分勝手な言い分なんて、知ったことか」

 思わず、噛み付くように声を絞り出す。
 恐らく彼は、従容たる眼差しのまま、人好きのする笑みを浮かべているに違いない。
 そう思うと、遣り場の無い苛立ちがふつふつと沸き立つのを感じた。
 何もかも自分の思い通りになる、事切れた屍だけに愛を注ぐ王子にも。同時に、そうした彼の性癖を承知していながら、その手を振り払うだけの分別を持たない愚かな己にも。

「私は君の玩具じゃない……! 私は……ッ」

 ――嗚呼、何を口走っているんだろう。この歪な関係を甘受しているのは、他ならぬ自分自身だと言うのに。
 我に返り、きつく唇を噛んだ。
 彼の言動だって、今さら目くじらを立てるようなものでもない。ましてやそれによって傷つくなんてことは有り得ない。
 そうはっきりと理解しているはずなのに、きりきりと心臓を締め上げられるような痛みは酷くなる一方だった。
 つい先ほど、自分は何と続けるつもりだったのか。彼の玩具でないとするならば、どう扱われたかったのか。
 胸中に渦巻く煩悶に、今にも押し潰されてしまいそうだった。
 しかしそれは唐突に打ち切られた。唇をそっとなぞる指先によって。

「こら、駄目じゃないか。そんなに噛み締めたら傷がついてしまうよ」
「ッ、あ……ふ、」

 驚いた拍子に、微かに力が弛んだのを王子は見逃さなかったらしい。
 するりと差し込まれた白い指に、咎めるように口をこじ開けられる。
 唾液に濡れた指頭は、やがて喉仏を辿り、胸腔へと滑り降りていった。

「大人しいかと思えば、ずいぶんとご機嫌斜めだね」

 困ったような笑い声が降ってくる。
 鳩尾を滑る指がこそばゆい。手袋越しに伝わる熱がもどかしくて仕方がなかった。
 息を潜めていた衝動が、身体を蝕んでいく。

「君は少し僕を誤解しているんじゃないかな? 玩具だなんてとんでもない、僕はいつだって君のことを大切に思っているよ」
「は……んん、っ!」

 きゅう、と胸の尖りを摘まれて身体がこわばる。
 王子の触れた先から全身が痺れていくようだった。
 必死で口を噤んでも、じわじわと与えられる刺激に自然と声が零れてしまう。

「絹糸のように美しい髪、白く透き通る柔らかな肌。今にも折れてしまいそうなほどにほっそりとした肢体。どれを取っても、素晴らしく魅力的だもの」
「ひ、うぁ、あっ」
「だけど――いや、だからこそ。いくら逢瀬を重ねても、この渇きは満たされない」

 皮膚の上を這っていた手がぴたりと止まった。
 抜けるような縹色の瞳がこちらを見据える。

「僕は君が欲しいんだ、メルヒェン」
「っ……何を、言って……」

 とうに鼓動を止めたはずの心臓が、小さく痛んだ。
 まただ、と眉を顰める。
 四六時中彼が吐き出す睦言。所詮空ろなそれを聞かされたところで何の感情も湧かない。
 それなのに、意識の奥底に茨の如く絡みついたそれらは、いつまでも己を苦しめるのだ。

「君のことを手に入れたいと、ずっと願っていた。だから僕は思案していたんだ、どうすれば君が僕だけの物になってくれるのか。でも、いくら思い悩んだところで答えは見つからなかった。――つい、この間までは」

 おもむろに声が近づく。
 首筋に温かく湿った感触を受けたのは、それから間もなくだった。
 首元から鎖骨にかけて断続的に舐め上げられる度、蕩けてしまうのではないかと錯覚するほどの熱が身体を苛む。
 次第に乱れていく呼吸を抑えることができない。
 離れ際、首の付け根の辺りをきつく吸われて、ちくりと痛みが走った。

「ぅ、んぁ、いた、……っア、」
「思い至ってしまえば簡単なことだったよ。なぜこんな単純な解決策を考えつかなかったのか、不思議なくらいだった」

 ゆったりと身を起こした王子は、明朗な調子でそう告げた。
 か細い灯火の作る影がゆらりと蠢く。
 不意に、空気が変わった気がした。

「おう、じ……?」

 返答はない。闇の中、己の吐息だけがやけに耳についた。
 得体の知れない不安がじりじりと身を焦がす。
 急に押し黙った王子を不審に思い、僅かに首をもたげて彼を見遣った。
 目線の先、薄らと微笑む彼の様子は、いつもと何ら変わりはないように見えた――右手に収まっている、短刀以外は。

「メルヒェン。君を、食べたい」

 温然とした、如何にも彼らしい物言いだった。
 決して強いるような口調ではない。それでいて、拒絶することなど許されないような、絶対的な拘束力が彼の言動には秘められていた。
 柄に散りばめられた宝玉が、毒々しく輝いている。
 きみをたべたい。幾度その言葉を反芻しても、意図などまるで掴めない。
 いきなり何を言い出すのだろう。
 突如として突きつけられた要求に、困惑を隠せなかった。

 ――食べる? 私を? どうやって? そもそも何のために?
 悪趣味な戯言にしか思えない。屍肉を貪るなんて悪食もいいところだ。
 そうにべもなく突っぱねてやりたいのに、舌はからからに渇いてしまった口の中でもごもごと貼り付くだけだった。
 重苦しいほどの沈黙。
 鈍色の刃が、ランタンの微かな焔を反射しててらてらと光っている。

「冗談、だろう」

 それだけ言うのがやっとだった。
 少しでも風が吹けばかき消されてしまいそうな掠れた呟きが、静寂に溶けてゆく。
 祈るように紡いだその言葉はしかし、予想通りあっさりと否定されてしまった。

「冗談なんかじゃないさ、至って真剣だよ。……僕はね、君を手元に置いておきたいんだ。ひと時も離さず、ずっと――他の誰の手に触れられることもなく。だけど、君はそんなこと赦してはくれないだろう?」
「……っ!」

 向けられた切っ先の鋭さにくらりと眩暈がした。
 ああ、駄目だ。逃げなければ。そう思うのに、ただでさえ不自由な身体にはまるで力が入らない。

「君を独り占めするには、どうしたらいいと思う? 取り込んでしまえばいいんだよ、僕の中に。そうしたら君の血肉は全て僕のものだ」
「馬鹿げている……そんな、こと、」
「そうだね、君の美しさを損ねるようなことは僕だってしたくない。……でも、それ以上に欲しいんだ。欲しくて堪らないんだよ、君のことが」

 下腹部の辺りに重みが掛かる。
 こちらの動きを封じるようにしっかりと馬乗りになった王子は、優美な笑みを湛えていた。
 鳩尾の辺りに、ひたりと手が添えられる。

「大丈夫、怖がらなくていいよ。全部きちんと食べてあげるからね」
「い、いや、嫌だ! やめてくれ! 王子! や……ッ、――――!」

 灼けた火箸を思い切り押し当てられたような、そんな感覚だった。
 ちかちかと明滅する視界の中、腹部に深々と突き立てられた刃が鈍い光を放っているのが微かに見えた。
 熱い。熱い。上手く息ができない。
 正常な呼吸を取り戻そうと必死で口を開けても、かひゅ、はふ、とみっともない音が喉の奥から漏れるだけで。
 ぐじゅぐじゅと腹の中を掻き回されるごとに好き勝手にのたうつ身体は、自分のものとは思えなかった。

「ん、これが肝臓、かな」
「ぐ……ッが、あ、ァ……!」
「駄目だよ、じっとしてなきゃ。綺麗に取れないじゃないか」

 にちゃ、と一際不快な音を立てて、彼の手が引き抜かれた。
 赤黒く染まった手袋に、宥めるように喉元をくすぐられる。
 ぬめぬめとした感触に名状しがたい嫌悪感を掻き立てられ、弱々しく身を捩った。
 生臭いにおいに吐き気が込み上げてくる。

「嗚呼、あと少しで君が僕だけの物になるなんて、夢みたいだ」

 陰惨な場には到底そぐわない、悠揚な響きが鼓膜を震わせた。
 霞んでぼやけた視界いっぱいに彼の顔が映る。
 もはや顔を背ける気力も無く、どろどろに汚れた彼の右手が輪郭を包みこむようにして頬に添えられるのを、ただ力なく受け入れていた。

「愛してるよ、メルヒェン」

 形の良い唇が、仮初めの愛の言葉を囁く。
 うっとりとした面持ちでこちらを見下ろす彼は、ゆるやかに頬を撫でていた。
 いつもと同じ、まるで壊れ物でも扱うかのような柔らかな手つきで。

「…………わたしは、大嫌いだ」

 燃えるような疼痛に喘ぐ吐息は、いつの間にか嗚咽に変わっていた。
 眦からこぼれた雫は、こめかみを伝い落ちては音もなく地面へと吸い込まれてゆく。

 ――だれが、君のことなんて、好きになるものか。
 目をぎゅっと暝り、切れ切れにそう呟いた。
 同時に、胸の奥にわだかまっていた苦しみが、堰を切ったようにどろりと溢れ出す錯覚に陥る。
 自らが口にした言葉を拒むかのようなその痛みが、どうしようもなく腹立たしかった。
 胸も、腹も、どこもかしこもじくじくと狂おしいほどに疼くばかりで。
 冷え切った躯の中で、彼の掌が置かれた頬だけがいっそ滑稽なほどに温かかった。




11.09.15 

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