※幸せMarchen ※エリ・ベト+メル、兄+メル 椅子に深々と腰掛けて読書に耽っていたメルヒェンは、くい、と遠慮がちにズボンの裾を引っ張られて初めて彼女の存在に気づいた。 「ん……どうしたんだい、エリーゼ」 文字を追うのをやめ、ゆっくりと顔を上げる。 彼女の方へ視線を移すと、何か言いたげな眼差しがこちらへ向けられていた。 「ネェ、メル――」 裾を引く力が僅かに強くなる。 いつになく歯切れの悪い彼女の姿は新鮮だった。 ともすれば毒舌家と言えないこともない普段の態度とは掛け離れている。 そわそわと落ち着きのないエリーゼを怪訝な表情で見つめていたメルヒェンは、ふとあることに気づいた。 「おや。その髪飾りは?」 エリーゼの艶やかな金髪を飾っているのは、普段彼女が愛用している紅と黒の羽根に鎖をあしらったものではなかった。 幾重にも重ねられた闇色のレースの上には、大振りな深紅の薔薇がいくつか並べられている。 「ソノ……エリーザベトガ作ッテクレタンダケド、」 「ああ、とてもよく似合っているよ」 「本当?」 頭を撫でてやると、微かに強張っていた彼女の表情は一気に綻んだ。 どう言われるか気掛かりだったのだろうか。 何を身につけていたって僕が愛しているのは彼女自身なのだから気にしなくて良いのに、と思うのだが、女性にとってはそう簡単な問題ではないらしい。 「ね、言ったでしょう? メルならきっと褒めてくれるって」 「……!?」 何の前触れもなく開いた扉に少なからず驚く。 うふふ、と微笑みながら部屋の中へ入ってきたのは、小さな籠を手にしたエリーザベトだった。 「エリーザベト?」 「ごめんなさい、こっそり様子を伺ってたの」 エリーゼをふわりと抱き上げた彼女は、悪びれる様子もなく笑っている。 姿かたちのよく似た彼女たちが仲睦まじく戯れているというのは不思議な光景だった。 「そうだわ、メル、貴方にも作ってきたのよ!」 「僕に?」 向かいの椅子にエリーゼを降ろした彼女は、籠の中から何かを取り出した。 ほら、と差し出された掌の上には、藍色の薔薇が一輪乗っている。 サテンやレースと思しき布地で丁寧に造られたそれには、華美ではないが細やかな装飾が施されていた。 「髪留めなのだけれど……どうかしら?」 「綺麗だね。よくできているよ」 事実それは出色の出来だった。愛しい人が自分のために誂えてくれたものだという贔屓目を抜きにしても。 ただデザインが如何せん女性的なことを除けば、だが。 (これは……もしかしなくても、僕が使うんだろうか) もちろん飾り自体には何の文句もないが、それは彼女やエリーゼが身につけるならの話だ。 自分のような男が使うには少々厳しいのではないか、と思わずにはいられなかった。 とは言え、喜ぶ彼女の目の前でそんな態度を露わにすることができるはずもない。 従って「じゃあ早速着けてみましょう!」という彼女の提案に抗うことも当然不可能だった。 「じっとしててね、メル」 改めて椅子に座り直したメルヒェンは、髪を梳かれる感触に目を細めた。 背後に回ったエリーザベトは慣れた手つきで櫛を操っている。 擽ったいような、しかしどこか懐かしい気持ちが胸を掠めた。 「モウ少シ高イ位置ノ方ガ良インジャナイ?」 「そうね、そうした方がきっと可愛いわね。いつもと同じじゃつまらないもの」 「え……」 後ろから聞こえる不穏な会話はこの際気にしないことにした。 衿元が涼しいのもきっと気のせいだろう。 彼女たちが満足ならそれで良いさ――半ば諦めにも似た感情を抱いたメルヒェンは、ただ解放されるのを待つばかりだった。 「――という訳なので! これは断じてそういった趣味の類いでは……っ」 「なるほど、ひとまず君に羞恥心がないということは良く分かった」 エリーザベトの兄は、白と黒の入り混じった毛先を揺らしてわたわたと弁解するメルヒェンを複雑な表情で見遣った。 ――ああ、客人を招いている最中でなくて本当に良かった。不幸中の幸いだ。 未だ動揺の収まらない胸を撫で下ろす。 「ぼ、僕だって恥ずかしいんですよ!」と情けない声を上げるメルヒェンの髪は、エリーザベトと寸分違わぬ形に結い上げられていた。 廊下でばったりと出くわした男が、小綺麗な髪飾りまで付けて自分の娘と同じ髪型をしていれば驚きもするというものだ。 その男が娘の意中の相手だと知っていたら尚のことだろう。 「全く……百歩譲ってそんな頭になったのは仕方ないとしても、その姿で屋敷内をうろつかれては敵わん」 「すみません、彼女たちと約束してしまったせいで解くに解けなくて」 「と言うと?」 「今日一日はその姿で過ごしてね、せっかく可愛くしたんだから、と口を揃えて念を押されてしまって……」 柳眉を下げて力なく笑う青年に呆れる。 確かに、似合っているかいないかと聞かれれば前者寄りかもしれないが――ああ、私は何を考えているんだ! ぶんぶんと首を振る。 くだらない思考を掻き消そうと躍起になればなるほど散らかっていく自分の思考に腹が立ってどうしようもなかった。 「と、とにかく今日だけは極力自室で過ごすように、分かったな?」 ごほん、と咳ばらいをしたエリーザベトの兄は妙に焦った様子でそう告げた。 メルヒェンは何が何だか分からないままに頷いたが、彼は目を合わせることもなく元来た方へと足早に去っていってしまった。 ――あんなに急いで、どうしたんだろう。 遠ざかる彼の背中を、メルヒェンはきょとんとした顔で見送っていた。 11.05.01 [ back ] |