藍の帳にとける 1(冬闇) | ナノ



「ぼんそわ、メル君。今日はいいもの持ってきたんだ」

 そう言ったイヴェールはずいぶんと機嫌が良さそうだった。
 はいこれ、と手渡された籠はずしりと重い。
 深紅の布が敷かれた籐編みの籠の中には、数本の葡萄酒が寝かされていた。
 白や淡黄色のラベルには、華やかな図柄とともに銘柄とおぼしきものが金文字で書かれている。
 一番手前の瓶を手に取ると、深緑の硝子ごしにちゃぷんと濃色の液体が揺れるのを感じた。

「陛下がくれたんだけどね、僕ひとりで飲むにはちょっと勿体ないかと思って」

 ああ、道理で、とメルヒェンは納得した。
 イヴェールの態度からおおよその見当はついていたが、恐らくかなり値打ちのある物なのだろう。
 ワインの知識など皆無に等しい自分でも、安物でないことくらいは何となく分かるほどだ。
 陛下からの頂き物だと思えばそれも合点がいく。

 そんな大切な物を共有する相手として自分を選んでくれたのを素直に嬉しく思う反面、申し訳ない気持ちで胸が一杯になった。

「……あの、イヴェール」
「なあに? あ、もしかしてメル君、フランスのワイン飲むの初めて?」

 でもこれだったら絶対美味しいから大丈夫だよ!ね!だから早く開けよう!とうずうずしているイヴェールを前にして話を続けるのは非常に憚られた。
 どうやらイヴェールが持ってきたのはフランスワインのようだということは分かったが、地方の違いなどメルヒェンにとってはさしたる問題ではなかった。
 そもそもそれ以前の話なのだ。

「その――悪いんだが、僕はアルコールの類はちょっと、」
「……え? 飲めないの?」
「すまない……」
「一滴も?」

 目線を逸らしたまま、ただこくりと頷く。
 明らかに落胆の色が滲んだ声を聞くだけでも心苦しいのに、顔を見る勇気など到底湧かなかった。

「ええー? メル君ドイツ人でしょ……? ドイツだってワインの名産地じゃない……まさかそんな、飲めないなんてさあ……」

 頭を垂れてぶつぶつと呟くイヴェールはいつになく気落ちしているようで、どんよりと暗い影を背負っているようにすら見える。
 しかし、がっかりするイヴェールには悪いと思いつつも、あんなものを好んで飲む人間がいること自体メルヒェンには信じられなかった。

 先日イドルフリートに無理矢理飲まされかけた酒の味が思い出されて自然と顔をしかめる。
 メルヒェンが口にしたのはごく少量だったが、それでも充分すぎるほどの嫌悪感を抱いたことは記憶に新しかった。
 あの胃の焼けるような感覚と舌に残る苦味をもう一度味わう気にはなれない。

「イヴェール……君はなんであんなに苦いものが好きなんだ?」

 率直な疑問をぶつける。
 少しでもイヴェールの気が紛れれば、との意図もあったのだが、思いもよらぬ反応が返ってきてメルヒェンは戸惑ってしまった。

「なにメル君、苦いのが駄目だからお酒飲まないの?」

 ぱっと顔を上げたイヴェールの目は輝きに満ちていた。

「え、いや、それだけじゃ」
「なんだ、それならそうと早く言ってよ! これならすっごく甘口だから絶対気に入ると思うなあ」

 ああ、これはまずい、と直感したメルヒェンは咄嗟に否定の言葉を口にしたがもはや後の祭りだった。
 こういうときだけやたらと頭の回転が早いのもどうかとメルヒェンは思う。

 メルヒェンの複雑な思いをよそに、イヴェールは言うが早いか先ほど指し示していたボトルを抜き取り開封を試みている。
 イヴェールが嘘を吐くとはあまり思えなかったので味についての懸念は薄らいだものの、メルヒェンは未だ飲酒への抵抗感を拭いきれずにいた。
 何とか上手く言い逃れできないだろうか、と思案する。

(……そうだ)

 メルヒェンはうきうきとした様子のイヴェールに声を掛ける。

「イヴェール、申し訳ないんだがここにはワイングラスがなくて」
「あ、グラスならあるから大丈夫だよ!」

 籠に伸びたイヴェールの手がひょいとグラスを摘み上げる。
 なるべくやんわりと断るにはどうしたらいいか知恵を絞った末の発言だったのだが、珍しく用意周到なイヴェールの前では全くの無意味だった。

(もし口に合わなかったとしても、少々我慢すれば良いだけのことか……)

 にっこりと屈託なく笑うイヴェールを見て、メルヒェンはついに諦めた。
 ふう、と軽く溜め息をつく。
 これ以上イヴェールの好意に背くことはメルヒェンとしても本意ではなかったので、仕方なく腹を決めた。
 どうか苦くありませんように、そして低めの度数でありますように。

 そう願いながら、メルヒェンは差し出されたグラスを受け取ったのだった。



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11.03.26 


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