※バレンタインSS ※幻想ドイツなのになぜか日本式バレンタインでも気にしない心の広い方はどうぞ 2月14日。今日は、巷ではバレンタインデーと呼ばれる日なのだという。女性が男性に親愛の情を込めてチョコレートを贈る日――らしい。数日前にエリーゼから聞いた話だ。 それがいかに素晴らしい行事なのかをうっとりと語ってくれた彼女は、予想通り朝からチョコレートと格闘していた。 彼女が一生懸命に何かをしているところを見るのは好きだったし、フリルのたっぷり付いたエプロンドレスもよく似合っていて愛らしかったのだが、心置きなく出来上がりを楽しみにするにはいささか不安要素が多く感じられた。 「エリーゼ……無理しなくて良いんだよ、ほら危ないから……」 熱い湯の入ったボウルを支える身体がぐらついている。どうやらチョコレートを溶かすために使うようだが、彼女の小さな手ではいつか取り落としてしまうのではないかと気が気でない。 「大丈夫ッテ言ッテルデショ、メルハ心配シスギヨ!」 「でも君に何かあったら」 「ンモゥシツコイワネ! アタシダッテオ菓子クライ作レルワヨ、女ノ子ナンダカラ!」 いいから外で待ってて、と追い出されてしまった。彼女のことは気がかりだが、今は言われた通りにしておいたほうが賢明だろう。 仕方ないから森の中でも散歩しておこうか、と草を踏みしめたときだった。がさがさと茂みを掻き分ける音が聞こえてくる。それもひとつではない。それぞれ別の方向から誰かが近づいているようだ。 何事かと身構えた自分の前に現れたのは、よく此処を訪ねてくる2人だった。どちらも知った顔だったことに安堵しつつ声を掛ける。 「イヴェールに王子じゃないか……2人揃ってどうしたんだ」 「えっ? な、なんで君がここにいるのさ!」 「それはこっちの台詞だよ、僕のメルヒェンに何の用かな」 指摘されて初めて互いの存在に気づいたらしい。顔を見合わせた彼らは今にも口論を始めそうな雰囲気を漂わせている。 「いったい何があったんだ?」 「聞いてくれないかメルヒェン、全く雪白姫ときたら……」 「それがさあ、聞いてよメル君!」 とりあえず事情を聞こうと思ったのだが、どうやら話の進め方を間違えたようだ。彼らが何かしら鬱憤を抱えているらしいことにはうすうす感づいていたが、かといって好き勝手に喋られては堪ったものではない。 「……どちらからでも構わないから順番に話してくれないか」 耳を塞いで促すと、彼らはさっきまでうるさかったのが嘘のように押し黙ってしまった。ひょっとすると他人には聞かれたくない話なのかもしれない。 2人はちらちらとお互いを見遣っていたが、やがて諦めたのか小さな溜め息とともに王子が喋り出した。 「メルヒェン、今日がバレンタインデーなのは知っているだろう?」 「ああ……まあ」 エリーゼが言っていたことを思い出す。 そういえば彼女は上手くやっているだろうか。今のところ悲鳴等は聞こえていないから恐らく大丈夫だろうが、やはり心配だ。 「なら話は早い。雪白が僕のためにと今朝渡してきたものがあるんだが……」 ちょっと見てくれないか、と言った彼は苦々しげな表情で何かを取り出した。銀色の棒の先に茶褐色のつやつやした丸い物体が刺さっている。棒と言っても、鈍く光るそれは平べったくなっており何かの柄のように見えた。丸い何かはこぶし大ほどの大きさだ。 「それは…………何だろうか」 首を傾げる。いくら目を凝らしてみても、正体はおろか食べ物なのかすら判別できなかった。柄の部分を握る王子の手がぷるぷると震えている。 「林檎だよ、林檎! あろうことかフォークで突き刺した林檎をまるごとチョコレートにくぐらせたらしい」 ああ、それでそんな形なのかと合点がいく。 形はさておき味の方はそれほど酷くなさそうだし良いじゃないかと宥めてみたものの、彼の気持ちは治まらないようだ。 だが「いくらなんでもこれは酷いと思わないかい」と憤る王子の叫びはイヴェールの嘆きによってかき消されてしまった。見れば彼は半泣きになっている。 「何だって貰えるだけいいじゃないか! ぼ、僕なんて……姫君たちにねだってみたら……」 「ねだってみたら?」 「『ご自分で物語をお探しできるようになりましたら考えて差し上げますわ、ムシュー』って……」 めそめそと泣くイヴェールの周りの空気は心なしかどんよりとしている。 満面の笑みで凄む彼女たちが目に浮かんだ。何か怒りに触れるようなことでもしたのだろう、残念ながら思い当たる節はいくらでもある。 しかし、バレンタインデーとやらがこんなに面倒で、かつ一部の層にとっては悩ましいものだとは知らなかった。 落ち込んでいる彼をどう慰めたら良いものか考えあぐねていると、にっこりと笑った王子が話しかけてきた。 「ねえメルヒェン」 嫌な予感がする。彼がこういった態度をとるのは大抵碌でもないことを考えているときだ――自身に降りかからんとする災難を敏感に察知したメルヒェンはさりげなく距離を取ろうと試みたが、いともたやすく腕を掴まれてしまった。 「離し……」 「とても良いことを考えたんだ。君が僕たちにチョコレートをくれれば万事解決だと思わないかい?」 「微塵も思わないから離してくれ給え」 ぶんぶんと腕を振って何とか逃れるも、口を尖らせた王子は諦める素振りひとつ見せず食い下がってくる。利害が一致したからなのか、そこにイヴェールまで加わってやいのやいのと言われて困り果ててしまった。 いくらせがまれたところで、エリーゼならいざ知らず、自分がお菓子など作れるはずがないのだ。何とかして断らなくては。 「……だいたいその贈り物はご婦人方が用意するものだろう、私は男だ」 「そんなの関係ないさ、大事なのは気持ちだよメルヒェン。それとも何かい、君は落ち込んでいる僕たちを突き放すのかい?」 「それは……」 苦し紛れの反論もすぐに覆されてしまう。 う、と言葉に詰まると、畳み掛けるようにイヴェールが口を開いた。 「そうだなあ、メル君がおいしいチョコをくれたら僕も元気になるかもしれないなぁ」 聞こえよがしに発せられたその言葉は響きこそ軽いものだったが、とてもはぐらかすことのできる雰囲気ではなかった。彼らは最初からこれが目的だったのではないかと疑ってしまうほどだ。 「ね、メル君なら作ってくれるよね?」 「うう……」 「メルゥ? デキタワヨ!」 まるで救いのようなその声につられて後ろを振り向くと、井戸の中から顔を出しているエリーゼの姿があった。チョコレートで僅かに汚れた頬が、彼女の奮闘ぶりを物語っている。 しゃがみ込んだメルヒェンはそれを拭ってやった。 「エリーゼ! 怪我しなかったかい?」 「大丈夫ッテ言ッタジャナイ、コレデモ慣レテキタノヨ? サ、紅茶モ淹レタカラ冷メナイ内ニ来テチョウダイ」 「分かった、すぐ行くよ。……じゃあ、そういうことだから失礼!」 この機会を逸したら彼らの手から逃れるチャンスはもう巡ってこないだろう――そう思ったメルヒェンは言うが早いが井戸の底に姿を消してしまった。 彼の居なくなった後に残された2人の青年は、しばらくのあいだ未練がましそうに井戸を覗いていたという。 「美味しかったよ、エリーゼ」 「喜ンデクレテ嬉シイワ、メル!」 頭を撫でてやると、膝の上にちょこんと座った彼女は幸せそうに笑った。 彼女の作ったチョコレートケーキを思い返す。少々形はいびつだったが味は本当に美味しかったし、デコレーションも手間が掛かっていた。彼女が得意げな顔をしていたのも頷ける。 ――仮に彼女に教えを請い手助けしてもらったとしても、自分に同じものが作れるとは到底思えなかった。 「……ねえエリーゼ、やっぱりああいうお菓子を作るのは難しいのかい?」 「確カニ簡単ジャナイケド、練習スレバ作レルヨウニナルワ。……ナァニ、メルモ何カ作ッテミタイノ?」 「え! …………う、うん、ちょっと興味が湧いたんだ、エリーゼがいつも素敵なお菓子をご馳走してくれるから」 「マァ、メルッタラ! ジャア簡単ナモノカラ始メマショ!」 我ながらぎこちない受け答えだったと思う。だが、ぴょんと膝から降りた彼女は特に訝しむ素振りも見せず、楽しそうな面持ちでさまざまなレシピの書かれた本を持ってきた。 心臓は未だ早鐘を撞くようにどきどきとしていたが、どうやら思惑はばれずに済んだらしい。 振る舞う相手を知られたら何と言われるか――背中を冷や汗が流れ落ちていった。彼女には悪いが、本当のことは隠しておくべきだろう。 とりあえず、作るならなんでも良いからチョコレート菓子で、そして自分でも失敗しなさそうな易しいものにしてほしいと要望を出しておかなければ、と思いながらメルヒェンは残った紅茶を飲み干した。 ‐‐‐‐‐‐‐ Alles Gute zum Valentinstag!=ハッピーバレンタイン! メルはつんつんしきれないツンデレだとかわいいなあと思います 11.02.14 [ back ] |