※ネタバレ、捏造 「フェーイ!」 突然背後から体当たりされて、思わずよろける。うふふふふと妙な笑い声をたてながら僕に体当たりを仕掛けたのは、他でもない黄名子だった。 「痛いよ黄名子…」 「ごめんごめん」 よろけた時に落としてしまった紙袋とその中身を拾う僕のまわりを、彼女は忙しなく動いている。いつも元気な彼女だけれど、今日は一段とそわそわしている。 今日はバレンタインだ。僕の時代でもこの風習は廃れることなく続いていて、毎年たくさんの男子にプレッシャーをかけているのだってもちろん同じだ。紙袋から飛び出したのは、マネージャーたちがそれぞれ準備してくれたチョコレートだった。義理チョコや友チョコだったか、そういうのだけは僕たちの時代には続いてなくて、だからマネージャーたちからチョコレートを貰ったときはひどく驚いたものだったが、こういうことにだけ聡いワンダバは知っていたようでこっそりとその意味を耳打ちしてくれた。まったく、余計な知識ばかり増やす困ったアンドロイドだ。 「あのねフェイ、今日はバレンタインなんだよ!」 「うん、知ってるよ」 「だからウチ、昨日一生懸命作ってみたやんね」 はいっ、と元気よく渡されたのはオレンジの袋にライムグリーンのリボンでラッピングされた、手のひらサイズの可愛らしいものだった。 「ラッピングも自分で?」 「もちろん!ねっ、フェイ、食べて食べて」 「えっ…今?」 「うん!」 ライムグリーンのリボンをほどき、袋を開ける。中には一口サイズのクッキーが入っていた。チョコレートクッキーにバタークッキー、抹茶やイチゴチョコでコーティングされたものもある。その中からチョコレート色のクッキーをひとつ取りだし、口に運んだ。その様子をうずうずとどこか心配そうに黄名子が見つめている。 「…すごい、すごいよ黄名子!とっても美味しい!」 「ほんと?よかったあ!」 「有り難う黄名子」 「どういたしましてやんね」 満面の笑みを浮かべた彼女は満足そうにくるりと一回転すると、キャプテンたちにもあげなきゃ、と走り去ってしまった。 黄名子の作ったクッキーはすごく綺麗に出来ていてたくさんの種類もあったし、きっとすごく時間をかけたんだと思う。そう思えば思うほど、僕は言い出すことが出来なくなってしまうのだ。砂糖と塩間違えてるよ、なんてそんな野暮なこと。きっと同じように悩まされるであろうチームメイトたちに心の中で謝りながら、またひとつ、彼女のクッキーをつまんだ。 けたたましい目覚ましの音に目を覚ます。天馬たちと別れて、どれくらいの時間がたっただろう。なんだか夢のような出来事だったけれど、枕元に飾られた写真がそうでないことを教えてくれる。本当はいけないのだけど、今回だけは特別にとエルドラドのおじさんたちが許してくれたものだった。 今日は二月十四日、バレンタインだ。世の中の男子たちは今日一日をプレッシャーと戦いながら過ごさなければならない。もちろん僕もまたそのひとりだ。ただし僕にはもうひとつ、戦わねばならないものがある。 「おはようフェイ、ハッピーバレンタイン!」 「おはよう母さん、ハッピーバレンタイン」 リビングに降り立つなり母さんから手渡されたのは、オレンジの袋にライムグリーンのリボンでラッピングされた手のひらサイズの可愛らしいものだ。中には色とりどりのクッキーが入っているはず。 「今日の予定は?」 「サルたちとサッカーの約束してる」 「そっかあ、じゃあお腹空いちゃうね。ごちそう用意して待ってるから、そのままサルくんたちも連れてきたらいいやんね」 「うん、有り難う」 いってらっしゃいと母さんに見送られて、家を出る。あんまり行儀よくないよなあとは思いつつ、歩きながらライムグリーンのリボンをほどき、袋を開ける。中にはやっぱり一口サイズの色とりどりのクッキーが入っていた。 「…いただきます」 小さく手をあわせて、その中からチョコレート色のクッキーをひとつ取りだし口に運ぶ。じんわりと口内に広がるチョコレートの甘味と、負けじと主張する酸味。ああ母さん、今年も砂糖と塩を間違えてるよ。 ソルト・ラブ ---------- 黄名子ちゃんならやってくれると信じてる。普段の料理はうまいくせに、肝心なときにどじっ子発動しちゃう |